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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
三章 西成公道百鬼夜走
56/101

不穏

西成・いつもの廃ビル屋上、夕焼け。 空は茜に染まり、タバコの煙と缶コーヒーの甘ったるい匂いが漂っていた。京志一家、いつものメンツが集まって、他愛もない話をしている。


「いやぁ、あれはバケモンやったな」


江藤が煙を吐きながら言った。


「あぁ、倒しても倒してもゾンビみてぇに起き上がってきやがる」


竜も呼応するように頷く。

江藤が一平の横顔を覗き込み、意地の悪い笑みを浮かべる。


「一平も、一発で沈められてたもんな」

 

一平の耳たぶが、夕焼けよりも赤く染まる。彼は照れ隠しに、ぬるくなった缶コーヒーを一口含んだ。


「油断しただけだ、バカやろう」


「そのわりには、聞いたことねぇ声出してたぞ」

 

身体中に痛々しい包帯を巻きながらも、春也が不敵にニヤつく。


「でもよぉ、竜が小野原に勝てたのは俺が削っといたおかげな?」


「……言ってろよ」


竜は苦笑し、乱暴に頭を掻いた。動くたびに走る激痛を隠しきれてはいない。

そのとき、鉄扉が軋む音とともにカクが階段を駆け上がってきた。


「おつかれっす!! 街じゃ、こないだの国道ゴチャマンの話で持ちきりっすよ! 駅前のタバコ屋のババアも噂してました!」


江藤がその言葉を追い風に、誇らしげに胸を張る。


「伝説つくっちまったな、俺たち」


「お前、逃げ回ってなかったっけ?」

 

それまで沈黙を貫いていた間柴が、耐えかねたように冷ややかなツッコミを入れた。


「逃げてねぇ! 殴られまくったけど逃げてはねぇ!」

 

江藤の必死な叫びに、屋上に乾いた笑いが弾ける。

カクはその熱狂に油を注ぐように、さらに言葉を捲し立てた。


「千人集まったとか、車が燃えたとか、ビルが爆発したとか……」


春也が呆れたように肩をすくめる。


「尾ひれ付きすぎやろ……」


「春也さんは金色の狼ってことで、金狼って呼ばれてるらしいっす!」


「金狼……」

 

春也の口元がわずかに緩む。その浮ついた空気に、また誰かが吹き出した。


「それに死人が出たとか、言うやつもいるらしいっすよ……」

 

カクのその一言が、鋭い刃のように空気を切り裂いた。

笑い声が、ぷつりと途絶える。

全員の脳裏に、小野原の無惨な形相が、アスファルトに滲んだ血の匂いが、救急車のサイレンが蘇る。空気が、鉛のように重く沈んでいく。


「あとから来た、あの銀髪」


京志が、低く通る声で口を開いた。


「竜、あいつ知ってるか?」


「あぁ――神谷才」


竜の声から温度が消えた。


「数年前、突然どっかの街から……今、年少入ってる“頭”が連れてきた」


竜の頬がわずかに強張るのを、誰もが見逃さなかった。


「そこから一気に幹部。異例中の異例や」


「強いのか?」


間柴の問いが、重苦しい静寂に刺さる。


「わからん。ただ――危ない奴や」


「お前が言うなよ」


江藤が震える空気を誤魔化すように、引きつった笑いを浮かべて割り込んだ。

竜は軽く江藤の肩に拳を当て、遠くの街並みを見つめた。


「けど、うちの兄貴は、あいつのことをよく思ってねぇ」と、目を細めて独り言のようにつぶやく。


「今、総長が不在でな。兄貴派と才派で、くっきり割れてる」


「大所帯も大変やな」


春也が吐き捨てた。


「それに――」


竜は、すでに紫に染まり始めた空を見上げた。


「俺たちが『京志一家』立ち上げちまったからな……」


静寂が、屋上を支配する。自分たちの存在が、巨大な組織の均衡を破壊したのだという自覚。


「地盤が揺らいで、仲間の信頼も揺らいでるってことか」


間柴の冷徹な指摘を、否定する者は一人もいなかった。

京志は静かに、しかし断固とした響きを持って告げる。


「闇天狗はしばらく荒れる。どんな形で出てくるか分からん。カク、もう少し情報を集めてくれ」


夕焼けは終わりを告げ、街はどす黒い夜に飲み込まれようとしていた。

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