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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
三章 西成公道百鬼夜走
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起動


そんな惨状の中にあって、後藤竜と加賀谷京志だけが、微動だにせず立ち尽くしていた。


竜の背筋には、冷たい脂汗が這っていた。

意識は過去の暗がりに引きずり戻される。


(……闇天狗をやる、っちゅうことは――兄貴を、裏切るっちゅうことや)


心臓の脈動が、異常な速さで鼓膜を打つ。足を踏み出そうとしても、目に見えぬ重りによって地面に縫い付けられている。


(ほんまに俺、できんのか……? あの兄貴に、逆らってええんか……?)


仲間が倒れる肉塊のような音。喉を震わせる悲鳴。それらを聞いてもなお、竜の身体は拒絶反応を示していた。  脳裏には、呪縛のように兄の声が響き続ける。


『仲間とか、そういうもんにすがる奴から死んでいくんや』

『お前は、俺の“弟”やろ』


拳を握りしめても、足を踏み出そうとしても――“兄の顔”が、それを押しとどめる。

 

(いかな……。いかんと……!)

 

心の中でどれだけ叫んでも、指先ひとつ動かない。  雨に濡れたアスファルトが、兄・たけるの冷徹な瞳のように光り、竜を射すくめている。


視線の先では、春也が小野原の無慈悲な打撃に晒されていた。

それは喧嘩ではない。急所だけを淡々と壊していく、「解体」だ。


かつて兄の背中の後ろで、何度も見てきた光景。  巨大な暴力が無機質に踏み潰していく音。


「が、はっ……!」


春也が吐き出した鮮血が、竜の足元まで飛んできた。

その赤色が、まるで毒のように竜の思考を侵食する。


(無理や……。勝てるわけない……)


圧倒的な現実の前に、膝が震える。  自分たちはただ、ごっこをしていただけなのか。  届くはずのない「居場所」を夢見ていただけなのか。


絶望が、冷たい泥水のように胃の底からせり上がってくる



そのとき――



「――全員、聞け!!!」


京志の叫びが、張り裂けた空気を切り裂いた。咄嗟に出た言葉。

全員が手を止め、京志を見つめている。その瞬間、京志の脳裏には、かつて父・慎吾が自分を殴り飛ばした時の、冷たく乾いた言葉が響いていた。


幼い京志が、喧嘩で仲間を庇ってボロボロになった日。慎吾は傷の手当てもせず、ただ吐き捨てるように言った。


「拳を握る時は常に一人や。背中を誰かに預けんな。独りで立てない奴に『強さ』を語る資格はねえ」


京志にとって慎吾の背中は、一生たどり着けない、拒絶と孤独の象徴だった。


目の前には、父が切り捨てた「弱い仲間たち」が、血を流して倒れている。

だが、その光景を見て、京志の胸を焼き尽くしたのは、父のような冷徹さではなく、言葉にできない激しい「憤り」だった。


京志は地面を踏みしめる。父が一生認めなかった「隙」が、今、自分を支えている。


「逃げたい奴は逃げてもええ!」


静まり返る。誰もが戸惑う。泥にまみれた間柴が、顔を上げた。江藤が唇を噛んだ。


京志は、父の言葉を振り払うように咆哮する。


「でも――一個だけ、忘れんな! お前らの後ろには、俺がおる! “京志一家”やろが!!」


その言葉は、地面を叩いた拳のように、全員の胸にぶち込まれた。崩れかけた仲間たちが、顔を上げる。歯を食いしばる。“しんどくても、後ろに仲間がいる”たったそれだけのことが、こんなにも心強い。


京志一家のメンバーの面々が、再び立ち上がる。


竜の中でも、何かが弾けた。


(あいつら、ボロボロのくせに、なんでまた立ち上がんねん……)


兄の声が脳裏で遠ざかっていく。


「ええか? 生き抜くためには他人を信用するんやない利用するんや」


――いや、ちゃう。“こいつらがおるから、立てる”――――。


「……なあ、京志」


竜が振り向く。


「その背中、今だけ貸せや」


京志は、にやりと笑った。


「アホか。今だけちゃうやろ」


――京志一家、再起動。絶望を突き抜けて、“仲間の絆”が戦場を塗り替えていく。

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