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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
三章 西成公道百鬼夜走
45/83

計略

小野原千里が一人、廃ビルの屋上で紫煙をくゆらせていた。眼下に広がる西成の街は、静かで、どこか物悲しい。鼻の腫れは引ききっておらず、夜風が吹くたびに鈍い痛みが走る。  

そこへ――気配もなく、闇から滲み出るように黒い影が現れ、小野原の隣に立った。


「鼻、ようなったみたいやなぁ」


才は自分の鼻頭を、人差し指でトントンと軽く叩いてみせた。


小野原は視線だけで才を射抜いた。その目には警戒と苛立ち、そしてほんのわずかな迷いが見え隠れする。


「お前、何の用や」


「別に。ただな、鼻折れたままやと味せんやろ? 煙草」


小野原は短く舌打ちし、くわえていた煙草を口から外した。まるで、才の言葉そのものが不快であるかのように。そのまま足元へ落とし、靴底でアスファルトに強くねじり込む。


「用件、言えや」


才は屋上のフェンスに背を預け、口角を歪めた。


「簡単な話ですわ。――このままやと、猛はん、“引きずり下ろされる”」


「……は?」


「闇天狗の中でも今、ざわついとる。“京志一家に手ぇ出せへんのは、ビビってるからや”ってな。……“もう猛はんの時代は終わりや”って、囁かれとる」


小野原のこめかみに青筋が浮かぶ。怒りか、焦りか、それとも――どちらでもない感情か。


「黙れや。囁いとんのはおどれらやろが」


「――せやから」


才は小野原の抗議を、冷え切った声で断ち切った。


「わいは、猛はんを担ぎたいおもてんでっせ」


小野原は何も言わずただ、濁った眼光でじっと才の値踏みをしている。


才は言葉を重ねる。見えない間合いを詰めるように、じわりと心に入り込む。


「今、猛はんに必要なんは、“忠実な犬”やない。“証明”や」


千里の肩が揺れた。拳がゆっくりと握りしめられる。彼のプライドの急所を、才は正確に突き刺してくる。


「才ぃ……お前、俺を焚き付けて、京志一家にぶつけるつもりか?」


才は何も言わない。ただ風の中、冷ややかな笑みを浮かべている。その笑みは、憐れみでも優越でもない。“肯定”だ。小野原という男の在り方を、認めたうえで――火をつけようとしている。


「……ふん、ええ度胸しとるやんけ。――ええやろ、のったるわ。俺が潰す。誰にも――猛さんも、闇天狗も……なめさせへん」


その目は、迷いの晴れた“漢の目”だった。才はその表情を見て、ゆっくりと目を細める。  強まる風の中、彼の笑みは、どこか哀しげでもあった。


(ごめんな、千里くん。お前みたいな“真っすぐ”が、一番先に燃え尽きるんや)


だが、その言葉は夜風に消えた。

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