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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
三章 西成公道百鬼夜走
44/83

判断

打ちっぱなしのコンクリートが冷気を放つ、薄暗い会議室。 天井付近には紫煙の層が溜まり、淀んだ空気が重たくのしかかっていた。長机を囲むのは、暴走族「闇天狗」の幹部たち。  


その中央――椅子に無造作に背を預けているのは、後藤猛だ。伸びきった無精髭。獲物を狙うような鋭い双眸。その奥に、虚無の色を孕んだ薄笑いを貼り付けたまま、彼は沈黙を守っている。


その静寂を破ったのは、神谷才だった。


「緊急事態や。……京志一家ですわ。なんや、西成一中だけやなくニ中、三中の奴らも流れていってるらしいでっせ……あきませんなぁ、完全に火ぃついてますわ」


幹部たちが互いに視線を交わし、ざわめきが広がる。だが猛は無言のまま。

才が一歩、踏み込むように言葉を継ぐ。


「しかもや、後藤竜。うちの幹部の弟が、ど真ん中におるんや」


閉ざされていた猛の瞼が動き、わずかに眉根が寄る。その微細な変化を、才は見逃さなかった。蛇のような粘着質な視線で、猛の表情を覗き込む。


「まさか、弟くん庇おうとか、思ってへんでっしゃろな?」


挑発とも取れるその問いに、猛は肯定も否定もしない。ただ、深海のような底知れない瞳で才を射抜く。そこにあるのは、他者の介入を許さない絶対的な拒絶の色のみ。その威圧に、才は口元だけで笑ってかわし、さらに追い打ちをかけるように続けた。


「『京志一家入るから』言うてカンパに応じへん奴もでてきてるらしいでっせ……」


才はそこで言葉を区切ると、じとりとした視線を猛の横顔に這わせた。 無表情を貫く猛の、その奥底にある感情の揺らぎを値踏みするように探る。

沈黙が重く漂うのを確認してから、才はさらに畳みかけた。


「うちは”なめられてる”んやわ。動かんと、ほんまにヤバいですわ。猛はん――今回ばかりは、手ぇ貸しまひょか?」


部屋の空気が張り詰めた。

黙って聞いていた小野原千里も、重い口を開く。その鼻にはガーゼが巻かれ、滲んだ血が痛々しく変色していた。


「今回ばかりは才の言う通りっす。もう黙ってる時やないっすよ、猛さん。俺は京志一家、潰さな気が済まへんすわ……」


その言葉に反応し、革張りの椅子が重苦しい音を立てて軋んだ。  

猛が、ゆっくりと顔を上げる。


「……おい、ちさとぉ」


その声は、低く濁り、喉の奥で唸っていた。


「誰に意見たれてんだぁ?」


小野原の肩が強張る。  

猛が拳を振り下ろし、鉄製の机を叩きつけた。


「誰に意見してんだって聞いてんだよガキがァ!!」


怒号が狭い室内に反響する。衝撃でガラス瓶が倒れ、床で砕け散った。破片が散乱する中、猛が叫ぶ。


「やるかやらねぇかは、俺が決めんだよ……、あぁ? 俺が決めんだよぉ!!」


室内の温度が一気に氷点下まで下がったかのような錯覚を覚える。小野原は視線を落とし、唇を噛む。

しかし、才は一歩も引かない。


「猛はん、今回は闇天狗が一丸にならなあかん時ですわ」


「才ぃ……てめぇ、俺に意見するたぁどういう了見だァ? 西成のもんでもねぇくせに、幹部会に我が物顔で参加しやがってよォ……、俺はそろそろ我慢できねぇぞ……」


殺気が膨れ上がり、空気が肌を刺す。だが才は涼しげに目を細め、口元だけで笑った。


「俺はただ、アキラさん(現総長)が戻ってこない間に、闇天狗がなめられて――」


猛が立ち上がり、目の前の鉄机に拳を叩き込んだ。分厚い天板が悲鳴を上げ、大きくひしゃげる。


「誰が闇天狗をなめてるってぇ!!」


舞い上がった埃を、才は手で軽く払った。


「……怒んないでくださいよ。俺は、“次の頭はあんた”やって、認めてるんすから」


猛と才――二人の視線が空中で火花を散らす。誰も口を挟めない。聞こえるのは、換気扇が回る低い駆動音だけだった。  

猛が薄笑いを浮かべながら言った。


「……へぇ、“次の頭”ねぇ。おもしれぇよ才。お前が俺に従うんかよ?」


才は眉ひとつ動かさず、猛の威圧を正面から受け止める。唇の端をわずかに吊り上げ、その問い自体を楽しむかのような不敵な笑みを浮かべた。


「今ここに必要なんは“誰に従うか”やのうて、“誰に乗れるか”ですわ」


才が灰皿の中の吸い殻を弄びながら返す。


「乗れるか? はッ、おまえ、俺を利用したいだけやろ。弟もろとも始末つけて、その後は“アキラがいない間の代理”ってわけか?」


才は相変わらずの笑みを崩さない。


「どう思ってもぉてもかまへん……でもな、闇天狗がこんな風にグラついてんのをアキラさんが帰ってきたらどう思うか、想像つきますやろ?」


猛は、拳の跡が残る無残な机を見下ろし、鼻で笑った。


「……チッ。つまんねぇ会議だったな」


そう一言だけ残すと、ゆっくりと立ち上がり、背を向けて部屋を出ていく。重い扉が閉ざされる。 残された幹部たちは言葉を失い、ただ煙の渦巻く淀んだ空気の中で沈黙を貫いた。  

才はポケットから煙草を取り出し、オイルライターで火を点ける。


「……さぁ、どないしまひょ」


揺らめく小さな炎が、わずかに部屋の闇を照らしていた。

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