進路
卒業を控えた放課後の教室は、進路の話題で持ちきりだった。
「春也、お前青雲学園行くってほんまか?」
間柴が少し驚きながら言うと、春也は自信満々に言い返す。
「うん、行くけど?」
「すげぇな、お前一体いつ勉強してたんや?」
「お前らが授業ふけてる時やろ!」
春也はあきれた顔をして、ついでにこんなことを言い返す。
「お前ら体育でしかみぃへんねん!」
その言葉に教室が笑いに包まれる。春也は少し照れくさいけど、胸を張っていた。
「間柴はどうすんの?」
竜が軽く問いかけると、間柴はいつも通りに答える。
「西成工業や。俺にはこの街が合ってる」
その言葉に、間柴の考えがよく現れていた。決して派手ではないが、地道に努力を重ねていく力強さがある。
「地元か……いいな」
竜はそう言って、肩をすくめる。
「竜はどうすんの?」
江藤が竜に向かって尋ねると、竜はちょっと黙った後にこう答えた。
「俺は大工やるわ。手先器用やし。引き受けてくれる高校もねぇしな」
「京志、お前はどうすんの?」
その時、教室全体の視線が一斉に京志に集まる。京志は少し黙ってから、こう言った。
「強くなりたい、それだけや」
その言葉に、教室中が呆れ返ったような空気になる。
江藤がたまらずツッコミを入れた。
「はぁ? お前、もう十分強いやんけ! これ以上強なってどないすんねん。地球でも割る気か」
乾いた笑いが、一斉に弾けた。
春也も「ほんまやで」と苦笑している。
「別に」
京志は、机の上に投げ出していた自分の掌に視線を落とした。
拳を固める。
完璧なフォームで握り込まれたその手の中には、空気以外、何一つ入っていなかった。
何も持っていないから、何も失わない。
「俺は、強いわけちゃう......」
教室が、しんと静まり返る。
その言葉の意味を正しく理解できた者は、そこには誰もいなかった。
ただ、窓の外から吹き込む生暖かい風が、京志のめくられた教科書を虚しくめくっていく。
春也だけが、京志の横顔に刻まれた「拭えない影」に、言葉にできない不穏な予感を感じ取っていた。
その様子を少し離れたところで川上は黙ってみていた――—
古い三階建ての団地、その三階が川上の家だ。
川上が家のドアを開けると、部屋の中は薄暗く、空気がどこか淀んでいる。狭い団地の中の無機質な壁の色が冷たく感じる。妹が小さな手を広げて、駆け寄ってきた。
「おかえり、兄ちゃん!」
妹は笑顔で出迎える。川上は無理に笑顔を作ってうなずいた。
そのままリビングに向かう。そこには母親が布団で横になっている。顔色が悪く、いつもよりも更に顔色が青白い。部屋の中には薬の匂いと、ひんやりとした空気が漂っている。川上は母親の元に歩み寄り、少し息を呑んだ。
「おかえり、学校どうだった?」
母親は弱々しい声で尋ねる。
「別に」
川上は冷たく答えると、目を逸らした。母親は続けて聞く。
「進路決まったの?」
川上はしばらく黙っていたが、心の中で決めた言葉をついに口にする。
「……高校へは行かない」
その一言を言うと、母親の顔が変わった。
「どうして?」
声が震えていた。川上は目を伏せ、口を開いた。
「俺、アホやから。行っても意味ねぇよ。だから働く」
川上が言い切った途端、母親は必至に起き上がろうとした。しかし体が言うことをきかず、崩れ落ちそうになる。
「光浩、あんた何言ってんの。どうしてそんなこと……」
母親の声が震え、川上はそれを聞きながら、もう一度言葉を続けた。
「母ちゃんだって病気で大変やし、妹だっているし。だから働くんや」
川上の目が鋭く光り、母親の目に涙が浮かぶ。
「あんたにはまだ未来があるんだよ! 無駄にすることはない!」
母親は必死に説得しようとするが、川上は冷たく背を向ける。
「俺の未来は決まってんねん。俺が選んだ道や」
川上はそう言うと、部屋を出て行こうとする。その背中に母親の声が追いかける。
「光浩!」
川上はその声を無視してドアを閉め、家を飛び出した。公園で足を止めると、そこには京志が座っていた。川上は少し躊躇しながらも、ゆっくりと近づく。
「京志……」
川上が一言発すると、京志は顔を上げて無言で川上を見つめる。
川上はその視線を受け、言葉を続ける。
「なんでそんなに強くなりたいんや?」
川上が唐突に問いかけると、京志は少し目を丸くした。
「いきなりやな」
そう言いながらも、京志は再び自分の手を見つめた。何も持たず、ただ握るだけの形をしたその手。
「……自分を変えたいだけや」
その目には、確かな意志と、同時に深い諦念のような色が宿っていた。川上はその言葉に何かを感じ取った。そしてぽつりぽつりと自分のことを話し始める。
「俺、住み込みで板前修行するんや。母ちゃん楽させたいから」
その言葉には、強い決意が込められていた。川上は少し泣きそうになりながら続けた。
「だから、バカやって遊ぶのもこれで最後や。お前らと一緒にいられる時間はもう残り少ないんや」
その言葉を聞いて、京志はじっと川上を見つめた。
川上は膝をついて、少し涙をこぼしながら言う。
「京志、ありがとう。お前がいてくれて、ほんまに助かった」
京志はまばたきもせず、川上の震える肩を見据え続ける。
やがて京志は静かにうなずき、手を差し出した。
川上はその手を握り返す。京志の手は、凶器のように硬く、けれど驚くほど温かかった。
川上は震える声で言った。
「俺もお前に負けんように、頑張るわ」
その後、京志は川上に自分の特攻服を見せる。そこには「京志一家 川上光浩」と刺繍が施されていた。川上はその刺繍を見て、涙をこぼした。
「これで恥ずかしいことできんやろ」
京志は静かに言った。その言葉に、川上は何度も頷いた。
「ありがとう、京志」
川上はもう一度、京志に感謝の言葉を言いながら、目をしっかりと見据えた。自分の道を進む覚悟ができた瞬間だった。




