日常
季節が、巡る。
あべのハルカスの工事用クレーンが、少しだけ高さを増した気がする。
春の湿った風は、いつしかアスファルトを焼く初夏の熱気へと変わっていた。
街から「紫」の色が消え、日常という名の喧騒が戻ってきていた。
殴られた頬の腫れが引き、青あざが黄色く変色し、やがて肌の色に馴染んでいくように、あの夜の出来事もまた、この街の澱の一部として沈殿していった。
ただ一つ変わったことといえば、一中の裏通りを歩く生徒たちの背筋が、以前より少しだけ伸びていることくらいだ。
そして、三ヶ月後。
ガード下。煤けた赤提灯が、夕闇にぼんやりと滲んでいる。
引き戸の隙間からは、味噌と砂糖が焦げる甘辛い匂いと、白い湯気が漏れ出していた。それは、暴力とは対極にある、安らぎの匂いだ。
松葉杖を壁にもたせかけ、建て付けの悪い戸が軋ませながら開く。
「おー、間柴。やっと来たんか」
湯気の向こうで、竜がビールケースをひっくり返した椅子に座っていた。その顔にはもう、包帯はない。
狭い店内は、煮込み鍋の熱気で満ちている。
奥で鍋をかき混ぜていた若い女が顔を上げた。
「健坊! あんたぁ、やっと退院したんか! そらよかったわ」
髪をひとつにざっくり束ねた彼女は、江藤より随分年上に見える。だが姉弟と言われても、誰も信じないだろう。涼し気な顔立ちに細身の体つき、けれど目だけは強い光を宿していた。
「卒業までは毎日リハビリですけどね」
「まぁ祝いや、今日は好きなだけ食べ」
熱々の一本をカウンター越しに差し出す手は、油に何度も焼かれてきた跡がある。
「……あざっす」
間柴は照れたように、どて焼きを受け取った。
「でけぇ体で相変わらずちっちゃい声やなぁ」
江藤がからかうように笑うと、彼女がピシャリと睨んだ。
「お前が言うなや。あんた、この前もケンカ売られて泣かされとったやろ」
「ちょ、姉ちゃんそれ今ここで言う!?」
春也がニヤニヤしながら追い打ちをかける。
「間柴おらん間に、三回な」
「おい春也! やめろって!」
笑い声が飛び交う中、間柴の表情が少し曇った。
「……青木と高松は、どうなったんや」
竜は串を置くと、まっすぐ間柴の目を見て言った。
「あぁ……スピンの後遺症は相当みたいやな……。二人とも病院でリハビリ中や……せやけどお前に救ってもらった命やから、絶対諦めへんってよ」
「そうか……」
間柴は深く息を吐き、どて焼きを嚙み締めた。その様子を少し離れて見ていた京志の仏頂面に、彼女が気づいた。
「にいちゃん、なんや辛気臭い顔して。男前が台無しや。もっと食べな」
串をひとつ差し出す仕草は豪快で、なんのためらいもない。
京志は一瞬だけ彼女の顔を見ると、小さく頷き恐る恐る串を受け取る。
「うまい……」
まじまじと串を眺める。
ママが豪快に笑う。西成で五年、たった一人で店を切り盛りしてきたママと呼ぶには若すぎる女のたくましさをのぞかせる。
見返りを求めず、ただそっと手を差し伸べる、そんな温かさがそこにあった。
ライゼルトップスとの抗争から三カ月、ようやく日常が戻ってきた――――




