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翌朝。京志は無言のまま、粗末な昨日の残りを無造作にかきこむ。一人きりの食卓には箸の音しか響かない。
いつものこと。記憶を辿っても、食卓で「会話」をした覚えがない。
『学校はどうだ』『友達はできたか』『飯は美味いか』
そんな、普通の親が口にする言葉は、一秒たりとも存在しなかった。
あの男が口を開くのは、トレーニングに関することだけ。
『今日のメニューは消化したか』
『右の脛の腫れは引いたか』
この家には「親」はいなかった。いたのは「管理者」。それだけ。
安物の割り箸がミシリと悲鳴を上げた。
折ろうとしたわけじゃない。ただ、行き場のない熱が指先に集まっただけだ。京志は、まるで砂を噛むように冷めた白米を飲み込んだ。
京志が家を出て一中の門をくぐったとき、昨日とは違う空気を感じた。相変わらず視線は集まるものの誰も近づいてこない。すれ違う連中が、京志の姿を捉えた瞬間にわずかだけ歩速を緩め、通り過ぎてから一斉に背後で囁きを交わす。昨日の春也との一件が、この校舎の「生態系」に波紋を広げたのは明らかだった。
教室に入ると、春也は窓の外を眺めていた。
取り巻きたちは、腫れ物に触れるような距離感で彼を囲んでいる。京志が席についても、春也は視線を向けない。ただ、机を叩く指のリズムだけが、昨日よりも速く、鋭い。教室の緊張感だけは昨日より高まっていた。
昼休みの喧騒、購買に向かう生徒たち、京志がパンを買おうと廊下に出た瞬間、目の前に巨体が立ちはだかった。
「加賀谷……」
呼ばれて、京志は足を止める。
180……いやもっと。がっちりしたラグビー体型。坊主に近い短髪で、表情は無機質だが、どこか知性がある。
間柴が転校生に声をかけただけで廊下を歩いていた他の奴らが少しだけ動揺する。それだけで間柴の立ち位置が見えた。
「昨日、春也とやりあったんやってな。早速、噂になっとるで」
京志は無言で間柴の目を見据える。
「その目や。その目が春也を苛立たせるんやろな」
間柴は腕を組んで、じっと京志を見下ろす。その目には、敬意もなければ敵意もない。ただ、冷静な“査定”。間柴は更に口を開いた
「勘違いすんなよ。お前がなんなんかなんて、俺にはどうでもええ」
「なら、なんの用や」
「一中で生きてくつもりなら、知っといたほうがええ思ってな」
間柴が一歩前に出る。
「ここではな、汚れん奴が一番目障りなんや」
京志は微動だにせず、そのまま間柴の目を見返す。
「余計なお世話や」
間柴はしばらく黙っていたが、ふっと鼻で笑った。
「そうか。まあ、好きにしたらええ」
その口調には、突き放すような温度感が含まれていた。
「ただ――覚えとけ。ここの奴らはまだお前を“敵”とも“味方”とも思ってへん――でも、こっちの判断は、わりと早いで」
間柴はそれだけ言って、踵を返す。
汚れん奴が、目障り――。
京志は自分の上履きの先を見つめる。まだ、どこも汚れてはいない。
京志は遠くなる背中を見送り、誰にも属さない自分の足音だけを聴きながら、下校の道を歩き出した。




