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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
第1部 一章 西成第一中学
16/87

決着

昼休みの喧騒。本に目を落としていた京志の前で、教室の扉が重々しく開いた。ざわめきが止まる。


「……加賀谷」


包帯を巻いた顔、血がにじんだガーゼ。誰もが目を逸らす中、竜は迷いなく京志の机を叩いた。


「ついてこいや」


京志は静かに椅子を引き、無言で立ち上がる。グラウンドへ向かう二人の背中を、春也と間柴が追いかける。竜の背が、微かに震えていた。


午後の陽が、埃舞う校庭を照らす。対峙する竜と京志。竜はじっと京志の目を見た。竜の喉が、ごくりと鳴る。


(なんやねん……その目……)


もう後戻りはできない。竜はゆっくり、ポケットに手を入れた――カチリ。金属音。京志の目が鋭くなる。


「……ナイフか」


「もう……なりふり構ってられへんのじゃ」


竜の声は揺れていなかった。次の瞬間、竜が走った――足音。風圧。刃の煌めき。


京志は構えず、流れるように肘と膝を動かす。

――が、その一撃で竜の右手を完全にロック。


ナイフが宙を舞い、地面に転がる。視線がナイフに逸れた、わずかな隙。そこへ迷いなく突き刺さる拳が竜の鳩尾にめり込んだ。身体が折れ、砂地に倒れこむ。息が詰まり、痛みが内側から全身に広がっていく。


―― なんでこんなやつが。こいつ、ナイフ怖ないんか……


昼休みの廊下。胸ぐらを掴み上げた際、シャツの隙間から覗いた無数の痣。

喧嘩の傷ではない。逃げ場がなかったであろう痕跡。


(一体何を見てきたんや……、なのになんで……)


竜の指先が、目に見えて震え始めた。不規則に歯と歯がもつれあい、音が鳴る。


——京志が、竜を静かに見据えゆっくり口を開いた。 


「なんでそんな怯えた目してんねん」


竜の背筋が凍る。


「は……?」


「お前、誰見て喧嘩しとんねん」

 

竜はわずかに目を見開き、その言葉をかき消すように怒鳴った。


「やかましぃんじゃぁぁ!!」


振り上げた拳。だが京志はまたもやひらりと躱し、同じ場所に左拳を叩きこむ。


「うぐぅっ!」


竜はうずくまり、数秒後、ふらつきながら立ち上がる。 


「俺は……絶対に……絶対にお前を殺すんじゃ」


震える足。恐怖を背負いながら、それでも拳を握る。


負けたら――何されるか、わからん。

 

痛みも、呼吸も、無視。血の味を嚙み潰して、竜は全身で振り抜いた。


―― 一発、入った。


「ッしゃああ!!」

 

拳が京志の頬を裂く。一瞬、竜の目に火がともる。


(絶対に……負けられへん……!)


だが、京志は踏み込んでいた。胸に一撃。顎にカチ上げ。竜の顔は勢いよく天を向き、口元から血が飛ぶ。

それでも引かない。


「俺は負けんのじゃ……絶対にぃ!!」


怒り、混乱、恐怖。すべてを背負って、竜が突っ込む。構えもくそもない。その無防備な顔面を、京志の最後の一振りが的確に射貫く――――


止まった。


鼻先数センチ。拳は竜を貫かなかった。


「お前が本気で殴らなあかん相手は、俺なんか?」


代わりにその一言が、竜の奥まで突き刺さる。

 

「……っ、ふざけんなぁぁぁ!!」


絶叫とともに、竜が再び弾かれた。

図星を突かれた羞恥、そして勝てない絶望。それらが竜の心臓を無理やり再点火させた。


構えも、理屈もない。 涙と鼻血でぐちゃぐちゃになった顔で、竜はただ、呪いを解くように拳を振り回す。


京志は、避けなかった。

その目は冷徹なまま、目の前の「鏡」を見つめていた。


京志の意識が、父に叩き込まれた「最適解」をなぞる。

一歩踏み込み、竜の懐へ。 無防備な腹部に突き刺さるボディ、そしてたじろぐ顎を正確に射抜くショートアッパー。


肉の焼けるような音が響き、竜の身体がコンクリートの地面に叩きつけられた。 激しい衝撃。 肺から空気がすべて絞り出され、竜は言葉にならない呻きを漏らしてのたうち回る。


「……っ、がはっ、あ、……」


京志は、倒れ伏した竜を見下ろした。

右拳に残る、肉を打った不快な熱。


竜の目から、なにかが落ちた。

かぶさるように頭の中で響く。


(――お前は落ちこぼれ)


その日、竜はまた負けた。兄の恐怖より、もっと得体の知れないものに負けた。


間柴は、地に膝をついた竜を見て、思わず息を呑んだ。

夕暮れの風が錆びたフェンスを揺らし、肌寒さが頬をなぞる。だが、その身震いは風のせいじゃない。


「……竜」


喉の奥で言葉がこぼれる。あの一瞬、兄に怯え、認められたくて暴れていた竜じゃなかった。恐怖を抱えたまま、戦っていた。


その姿に、間柴の中で眠っていた「後悔」と「恐怖」が疼いた。


(あの時、施設で……俺が、あいつを――)


苦しい。目を逸らしたくなる。竜の一瞬見せた強さが、自分の弱さを突き付ける。


間柴は、焼けつくような感情で、ただ竜を見つめ続けた。

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