閑話 アリサvs魔王
「――何なのだ、これは?」
異常な光景を前にしてアリサは唖然としてしまった。
王太子が何の準備もないまま騎士を突っ込ませたのは……まだ理解できる。指揮官が王太子なのだから戦の常道を知らなくても当然とすら言えた。あとは騎士たちが『いい感じに』対処すればいいだけだったのだから。
だが、その騎士たちは同士討ちを始めてしまった。
さらには指揮官であるはずの王太子がこちらに向けて馬を走らせてきたのだ。
明らかな敵前逃亡。
次代の王が、なんと情けない。
(……いや、精鋭であるはずの第一騎士団が同士討ちを始めたのだから混乱しても仕方ないか)
そう自分を納得させたアリサは王太子に近づいた。正気を失ったまま馬を走らせても落馬の危険があるからだ。
「たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて……」
狂ったように繰り返す王太子。そんな彼に近づいたところで、
「む?」
嫌な感じがしたアリサは王太子の姿を凝視する。わずかながら、黒いモヤのようなものが纏わり付いているような?
(これは、状態異常の魔術か? もしや騎士たちも? ……いや、王太子であれば状態異常対策の魔導具を身につけているはずだし、騎士たちは全員が訓練を受けている。そう簡単に状態異常に掛かるはずがないのだが……)
あるいは。
状態異常に『何か』が上乗せさせられたのだろうか?
その可能性に思い至ったアリサであるが、この国の魔術にはさほど明るくないので何が正解であるかは分からない。ニキであれば鑑定眼で鑑定することもできるのだが……。アリサにはそれほどまでの力はない。
ともかく、敵陣前で正気を失った騎士たちはもう駄目だとアリサは判断した。
「団長殿! 殿下を連れて撤退を!」
「む、そうだな……」
どこか乗り気ではない騎士団長。いくら精鋭ではないとはいえ騎士を見捨てるのが忍びないのか。あるいは『魔王』らしき存在を前にして撤退するわけにはいかないのか。――もしくは、王太子を『処分』する好機を逃したくないのか。
「――大軍を率いて負けた! 汚名には十分でしょう! ここで『王太子』の首を取られては魔王軍の士気が上がりすぎます!」
「……それもそうだな。分かった。アリサ、後は任せる。ほどほどで撤退せよ」
「はっ!」
頷いたアリサは腰の刀を抜き、魔王らしき存在と相対する。
ローブで顔は見えないが、それでも目が合ったような気がした。
「ちっ」
状態異常が掛けられたとき特有の不快感。
だが、『術』を極めたアリサには効かない。……それを言えば状態異常耐性訓練を積んだ騎士たちにも効果が薄いはずなのだが、そんな常識を越えてしまう『何か』があるはずだ。
目の前にいるのは、おそらく魔王だろう。四天王の中にこれほどまでの『力』を持った存在はいないはずなのだから。可能性としては、何の情報も得られていない魔王本人であると推定するべきだ。
薄汚いローブを身に纏っているので性別や年齢は分からない。ずいぶん華奢に見えるので女性か、あるいは少年かもしれない。
「――でぇええいっ!」
ものは試し、とばかりに斬りかかるアリサ。対する魔王はさほど慌てず、自らの剣で受けてみせた。
(……弱いな)
剣と剣を合わせれば、相手の力量も大体察することができる。理屈で言えば剣を振るときの身体の動きや、つばぜり合いをした際の筋力などから。
長年の経験から、魔王の実力が大したことないと判断するアリサ。ならば、やはり特殊なスキルか稟質魔法を有しているのだろう。
稟質魔法。
適性があれば誰でも使える魔法や、同種のものが存在するスキルとはまた違った存在。固有魔法とも言われることのある、その個人でしか使えない特殊魔法だ。
(状態異常の魔術や精神操作系のスキルなら騎士もそこまで混乱しないはず。ならば、特殊な稟質魔法があると考えた方が自然か)
アリサが魔王に刀を向けつつ思考を深めていると――魔王の顔を隠していたフードが、風に煽られてめくれ上がった。
露わになった、その顔は――
――ニキ。
手が震えた。
膝から力が抜けた。
「ぐっ!」
舌の先を自ら噛み切り、正気を取り戻そうとするアリサ。
だが、現実は変わらない。
目の前にいるのは魔王。
魔王で、あるはずなのに。
その顔は。
その肉体は。
ニキであるとしか思えなかった。
舌を噛み切った痛みが襲いかかる。これが現実だと教えてくる。だというのに、目の前の光景はとても現実とは思えなくて。信じたくなくて――
「――我、急命を発す!」
アリサが呪文を唱えた途端、アリサと魔王との間に紙の洪水が出現した。
一つ一つは何の変哲もない紙切れだ。大きさとしては手のひらに収まる程度の、人形。しかしそれが瞬時に何百枚も展開し、アリサを守る壁のようになったのだ。
竜列国においては『式神』と呼ばれる術。それを行使したアリサはひときわ大きな式神を呼び出し、飛び乗った。
「――撤退!」
まるで自らに言い聞かせるように。この場に留まって『ニキ』の正体を探ろうとする自分に喝を入れるかのように。大声で叫んでからアリサは飛び乗った式神を操り、戦場から離脱した。
回復薬で舌先を癒やしつつ、魔王の様子を確認する。
みるみるうちに遠ざかる魔王。
彼は追撃してくる様子はなかった。……それもそうだろう。本人の戦闘力自体は大したことがないのだから。もし最精鋭の騎士たちとの乱戦になれば普通に討ち取られる可能性もある。
ニキとした思えない風貌をした魔王。
その顔は、もう、見えないほどに遠くなっていた。




