01 歩き続けて赤レンガ
「草薙でーす、おはようございまーす。今日は体調不良でお休みさせてくださーい。ええ、体調不良です。頭痛と眩暈と腹痛と吐き気と手足の痺れと幻覚と幻聴──あ、もういいです? ではよろしくお願いしまぁぁぁぁぁす!」
わたしは電話を切ると、大きく息を吐き出した。フフフフ……休みの連絡もすっかり慣れたものよ。
今回は何処に行こうかな。うーん……行きたい場所は山程あったはずなのに、いざ時間が出来るとわからなくなってしまう。
とりあえず電車に乗って、気分とノリで適当な駅で降りよう。よし、そうと決まれば、早速身支度しなくちゃ。
通勤時間帯からずらした各駅停車で、のんびりと北へ。同じ車両には、わたしの他には女子高生が二人──遅刻かな──、二〇代半ばくらいの男性が一人、中高年の男女が五人で合計九人。女子高生二人がお喋りしている以外は静かだ。
ロングシートの左端に座りながら、何気なく中吊り広告を見やる。水族館に遊園地、ホテルなどで構成された複合型海洋レジャー施設〈横浜・八景島シーパラダイス〉、通称〈シーパラ〉で、人気アニメとのコラボレーションイベントが一〇月から開催されるらしい。
〈シーパラ〉は、八景島という人工島全体で展開されている。わたしが住むアパートの最寄駅に隣接している、金沢シーサイドラインという無人運転の電車で行けるし、実家に住んでいた時よりもずっと近くなったけど、小学校の卒業遠足で訪れたきりだ。
一緒に楽しめる人でもいればなぁ。あ、家族は無理。数少ない友達は皆、大人になって生活環境が変わったら、連絡すら滅多に取らなくなった。
……ねえ、世間の人々って、どうやって恋人を作ってるの? 未だ何の経験もないわたしってヤバいのかな。
「いやもうヤバいって」
ドキリとして、声の主の方に顔を向けた。対面のロングシートの右端に座る、女子高生二人のうちの片割れだ。金色のロングヘアーはパサパサで、あちこちに枝毛が目立つ。前髪が目にかかるのか、鬱陶しそうに何度も手で払い除けている。
「んー? どした」
金髪ちゃんの隣に座るセミロングの黒髪ちゃんが、スマホをいじりながら応えた。
「進路の事?」
「違う違う……いや、それもあるけどぉ。ウチそろそろ彼氏いない歴二年だよ。マジヤバくなーい?」
黒髪ちゃんが顔を上げ、
「あれ、クミってフリーになってからもうそんなに経った?」
「そうなの! このまま卒業とかヤダな」
「大学行ったら、逆にチャンスじゃね?」
「うーん、まあ確かにそうかもしれないけど! でも二年も空いてるのが嫌なんだよ。普通あり得なくない?」
くっ……言ってくれるじゃないの。こちとら約三〇年の人生で一度も……。
「でも、もっと長い間フリーの子とか、まだ彼氏出来た事ない子だっているじゃん」
そうだそうだ! もっと言ってやってくれ黒髪ちゃん!
「それもそうかもしれないけどぉ~! でもウチ的にはそういうのあり得ないんだよぉ~……」
「うーんまあ、わからなくもないかなー」
ぐああっ! 黒髪ちゃんまで!
「でしょー?」
体操選手のように吊り革にぶら下がって蹴りを喰らわせたい衝動を抑えながら、わたしは電車に揺られ続けたのだった。
女子高生による精神攻撃のダメージをちょっと引き摺ったまま、わたしは日ノ出町駅で電車を降りた。大岡川を横切り、伊勢佐木町の方へ真っ直ぐ進む。この川沿い、春は桜並木が綺麗なんだよね。
伊勢佐木町まで来ると、大型商店街〈イセザキモール〉を北へ。向かう先は、ここから更に先の、みなとみらい方面だ。気分とノリで、なんて言っておきながら、結局賑やかな場所に行きたくなっちゃうんだよね。
何で日ノ出町で降りたかって? せっかくいい感じの気候なんだもの、歩かなきゃ勿体無いでしょ。わたし、スポーツはそこまで得意じゃないけど歩くのは大好きで、長時間の移動も全然苦じゃないんだ。
よーし、まだまだ歩ける所まで歩くぞ!
……何となく小腹が減ってきたけど、お昼ご飯まではちょっと早い。まだまだ我慢!
で、更に歩く事数十分。
〈横浜赤レンガ倉庫〉の前まで通り掛かったわたしは、レトロな外観の三階建ての二棟に対する好奇心、そして徐々に増してきた食欲に負けを認めた。
まずは大きな2号館の方へ。通路が狭くて、ベビーカーが来たら避けるのがちょっと大変。一階と二階には雑貨やアパレルの店が多くて、トルコ雑貨やオルゴール、かんざしなど、普段はあんまり目にしないものが魅力的!
せっかくだから奮発して、お高い買い物でもしちゃおうかな!? ほら、どうせ次の朝起きたらなかった事になってるんだから、無茶したって痛くも痒くもないじゃない?
……あれ、何かちょっともやもやするぞ。
それから、三階のレストラン街と一階のフードコートを両方見て回り、最終的には後者にあるパエリア専門店で、ちょっと早めのお昼ご飯。一人前の海の幸のパエリアは、大して待たずに提供された。
むむむ……期待以上の美味しさ! サフランライスが柔らかい! エビ大きい! 魚介の出汁にレモンがいい感じに効いてる! あっという間に胃袋に収まっちゃった。
ああ、この感動を誰かと分かち合えたらなぁ。フードコートを見回すと、一人で食べている人はほとんどいない。
……なんかわたし、さっきの金髪ちゃんの発言、だいぶ引き摺っちゃってない? しっかりしろ、草薙麻希奈。独りなんて慣れっこじゃないの……。
食後に少し休憩してから1号館へ。こっちは一階に店とカフェがあって、二階はイベントスペース、三階はホールになっている。今は日本人画家による絵画の展示と、朗読劇をやっているらしい。
青いガラス製品や苔テラリウムに惹かれつつ、一通りの店を見て回ると、わたしは〈赤レンガ倉庫〉を後にした。
さて、何処まで行こうかな。エネルギーチャージした事だし、限界まで歩こうか。ああでも、リセットされるとはいえ、やっぱり何か買い物もしたいかも。
赤信号の横断歩道の前まで来て、一旦立ち止まる。買い物するなら、近くにショッピングモール〈横浜ワールドウォーカーズ〉があるから立ち寄ってもいいな。その先に進むと〈よこはまコスモワールド〉もある。ジェットコースターで叫びまくってストレス解消とか!? ……いや、カップル多そうだしやめておこう。
ああ、何か今日はちょっとナーバスだ。おのれパツキンJKめ!
海沿いを歩いていこうかな。横浜ハンマーヘッド〉まで行って、そこから更に〈新港パーク〉、そして〈臨港パーク〉まで。
あ、これってループに入る前、本来の九月二五日水曜日と同じじゃん。
……待てよ。となるとそれはマズいかもしれない。ループ前と同じような行動をとる事で、ループが解消されて木曜日になってしまったら……?
駄目でーす! 嫌でーす! 無理でーす!
このまま誰にも邪魔されず、自由気ままな九月最後の水曜日を生きてゆくんだから!!
で、結局わたしは〈ワールドウォーカーズ〉に行き、好きなアニメのキャラクターグッズや秋物の服を買ったり、ガチャポンを回しまくったり、フードコートでダブルアイスを食べたりしたのだった。
そして帰りの電車の中で、次回はどう過ごすかも決めた。
次回は……猫カフェ行くぞ!