06 わんわんが、来る
ストックが少なくなってきたので、しばらく更新ストップします。
「あ……あいつが来る! あいつが来るんだ!!」
とある町の公民館の一室。腰を抜かして壁際にへたり込んでいるバーコード頭のおじさんが、震え声で叫ぶように訴える。
「あいつって? 一体誰が来るんです?」
冷静におじさんに尋ねるのは、群青色に染めた短髪が目立つ美女。
「来るんだよ……来る……わんわんが、来る!!」
美女が振り返り、部屋の外、薄暗い廊下を見やる。誰の姿も見えないけど、不安を煽るBGMの影響もあって、誰かが──いや、何かが現れてもおかしくないような雰囲気が醸し出されている……。
今回のわたしは、一日中家でのんびりする事に決めていた。前回の件が尾を引いているのか、何かあんまり出掛ける気分じゃなかったから。
適当にスマホをいじったり、部屋の中や作業用の机周りをざっと掃除したり。洗濯は二、三日に一回で、本来ならこの九月二五日にはやらない予定だったんだけど、暇だからついでにやっちゃう。
それらを午前中に終えると、冷凍のパスタでお昼ご飯。食べ終わって間もなく、血糖値が上昇したせいか瞼が重くなってきたので、眠気覚ましにテレビを点けたら、番組が始まったばかりだった。
『わんわんが、来る』──テレビに内蔵されている番組表には、そう記載されていた。スマホで調べると、三年前に劇場公開されたホラーコメディだったので、そのまま観る事にした。
主人公は青髪美女・ヒカリ。何日も連続で夢に出て来た学生時代の友人・ナミの安否が気になって、彼女の故郷の田舎町を尋ねるんだけど、何か空気が暗いというか不気味というか。肝心のナミは行方不明で、町民たちは曲者揃い。そしてその地域では〝わんわん〟と呼ばれる妖怪が言い伝えられていて……というストーリーだ。
謎の人物に命を狙われたヒカリは、スマホで霊能力者の姉・ミヤビに助けを求めるんだけど、姉が来るまでの間に町では次々と不可解なトラブルが発生し、死者まで出てしまう。
ナミの幼馴染・タケハルと協力しながら、時には危険な地に足を運び、時には創作ダンスで町を湧かせながら、ついにわんわんを利用していた黒幕の副町長を追い詰めたヒカリ。
しかしそこは、よりにもよって町民が滅多にやって来ない薄暗い洞窟の中。そしてまさかのタケハルの裏切りに遭い、ナイフを持った副町長に距離を詰められ絶対絶命!
その時、一陣の風と共に颯爽と現れたのは──
「ミヤ姉!」
「お待たせ。あんた一人でよく耐えたわね」
ようやく現れたミヤビが術を唱えると、何処からともなく式神が現れて副町長を気絶させる。そしてタケハル自身は、ミヤビとヒカリがボッコボコにした。素手で。強い。
姉妹二人で洞窟を出たところで、今まで身を隠していたナミがやって来る。これで解決かと思いきや、わんわんに憑依された副町長が町全体を呪い始め──……
いやあ、なかなか面白かった!
コメディシーンはクスリと笑えるものからお腹を抱えちゃうものまで。そしてホラーシーンはゾワゾワするものから叫び出したくなるものまで。それぞれの落差も凄かった。全編二時間超でノーカットだったっぽいけど、座りっぱなしが苦じゃないし、時間を忘れて心から楽しめた!
そうそう、偶然にもウィリーこと鵜入圭司も出ていたんだよね。タケハルの友人役で、軽くてアホっぽい男。物語の中盤で不可解な事故に遭って病院送りになり、以降登場せず。
おっと……せっかく忘れかけていたのに思い出してしまった……前回の件──雪美との再会を。映画にウィリーが出て来た時もチラッと頭を過ったんだけど、その時は面白さの方が優ってすぐに消し去れた。
ループした事で、雪美との再会及びやり取りはリセットされたんだし、そもそもループがなければ再会すらしなかったんだから、気にするだけ無駄だよね。
うん、それはわかってるんだけど……どうもわたしの性格的に、引き摺ってしまうんだな、これが。
〝あ、独身?〟
〝ほら、やっぱり色々考えると、三〇までに一人は産んでおきたかったから〟
……ええいっ、失せろマウント女!!
気を取り直して、可愛い動物の動画で癒される事に決めると、わたしはテーブルの端に置いたスマホをひったくるように手に取った……。
〈臨港パーク〉の南側、海沿いの石畳を歩くわたしに、心地好い風が優しくそよぐ。
ああ、マジで最高の陽気! 一年中とは言わないから、せめて五月から九月の間は毎日こんな気候が続かないかなぁ。
このまま北側まで歩いていこう。そうしたら石段の上に腰を下ろして海を眺めながら、今までのループ生活を振り返ってみようかな。
ところで、今回でループ何回目だっけ? 三〇過ぎた辺りから数えるのをやめちゃったけど、五〇〇は軽く超えてるよね。まあいいや。
老若男女、様々な人間とすれ違ったり追い越したり。ああ、皆幸せそう……っていうか、わたし以外に一人でいる人、いないじゃん!? うわぁ、虚しさと疎外感が半端ない。
なんて思いながらも結局北側までやって来て、石段に腰を下ろした。後方の芝生広場の方から聞こえてくる小型犬の鳴き声や小さな子供たちのはしゃぎ声に、比較的近くにいる人たちの会話なんかをBGMに、ちょっと波の荒い海や大きな船、そして遠くのベイブリッジをぼんやりと見やる。ああ、潮の香りが強いなぁ。
さて、では今までのループ生活を振り返ってみよう。
色々あったなあ。クレープ食べたり、占いに行ったり、空を飛んで知らない山に不時着したり。わんわんは手強かった。職場のパワハラ女と雪美、そして両親は何回も殺したけど、まだ物足りない。無銭飲食と万引きは今のところ全部成功してるけど、小さな店でしかやった事ないから高級店を──……
あれ? これ全部、本当にやった事だっけ……?
ふと気付くと、声のBGMと雑音類が全て消えていた。完全なる無音。しかもよく見ると、波や船、ベイブリッジを行き来する車の動きも全て止まっている。
……変だ。明らかに変だ。上手く説明出来ないけど、空気も違う。やだ、怖いんだけど。もうここにいたくない!
慌てて立ち上がって振り向いたわたしは、思わずバランスを崩しかけた。
嘘でしょ……誰もいないんだけど!? 石畳の周辺も芝生広場も、何なら南側の方も、人っ子一人いやしない!!
……ん?
何あの真っ黒。真っ黒い妙な生き物が、わたしが歩いて来た方向の石畳の上を、四つ足でうろうろしてるんだけど。約一六〇センチのわたしよりデカい。顔部分にパーツはなくて、完全なのっぺらぼう。獣みたいな耳や尻尾もない。見た感じ人型なんだけど、でもあれ人間じゃないよね?
あ、ヤバいなこれ。
観察しているうちに、わたしは何故か急にこの生き物、いや化け物の性質に気付いてしまった。
この化け物は、自分の姿を認識している人間のみを襲う。
……逃げなきゃ。それも、何喰わぬ様子で。あれを認識している事を悟られちゃ駄目だ、絶対に。
なのに……なのに! 体が動かない! 化け物を向いたまま!
ああ、化け物が顔を上げた。そして姿勢をぐっと低くすると、ヤモリみたいな動きでこっちに走ってきて、ほら、飛び掛かっ──
──……。
テーブルの上から体を起こす。動画を見ているうちにまた睡魔がやって来たもんだから、スマホを置いてちょっと寝たんだよね。
目が覚めた瞬間、内容がほぼ全部何処かに吹っ飛んでったけど、何か不気味な、嫌な夢を見ていたのは間違いない。
ホラーを観ていた影響だよね。うん、そうに違いない。気晴らしに次はお笑い系の動画でも観るか。