05 過去形の友情
新しい秋冬物の服を買おうかな。
そう思い立ったのは、朝ご飯の後、空になった食器を片付けないままぼーっとしている時だった。
同じ日をループしてるんだから、買い物したって意味がないんだとは思う。前回のうちに買っておいたお惣菜なんかも、朝ご飯用に取っておいたところで消えちゃうんだからね。
でも……何か欲しい! 買い物したい! それに今回買わなくたって、いつかこのループが終了した時のための下見だと思えば、ね。
……ループが終わっちゃったら、また会社行かなきゃならないんだよね。あーやだやだ! まだまだ続いてくれ……!
というわけで、JR線鴨居駅から徒歩数分。わたしは大型ショッピングモール〈はまぽーと横浜〉までやって来た。三階建てで広々とした施設内は、平日のためか想像していた程混んでないし、割と静かだ。
とりあえず最初に来た一階からざっと見て回る。……うーん、アパレルショップは少ない。メインは二階かもしれないな。
「さっきあなたがトイレから戻って来るのを待ってた時、あの俳優を見掛けたのよ! 一人で歩いていたわ」
「あの俳優?」
フロアー南側の上りエスカレーターに乗ると、三段上に並ぶ、六〇代くらいの夫婦らしき男女の会話が聞こえてきた。
「ほらあの、変わった苗字の。四〇歳くらいで、小柄な……」
わたしも後ろで、一緒になって考えてみた。変わった苗字で小柄……あ、何かそういう人がいた気がする。
「思い出した! ウイリよ、ウイリ。鵜入圭司!」
おっと、先を越された。鵜入圭司なら、芸能関係に疎いわたしでも知ってる。明るく爽やかな好青年から、気色悪いストーカーまで幅広く演じられる、所謂カメレオン俳優として人気だ。ファンからは、その珍しい苗字をもじって〝ウィリー〟と呼ばれていたはず。
「良く似た別人じゃないのか。売れてる俳優なら東京の一等地にでも行くだろ」
「あら、そうとも限らないでしょう。もしかしたら実家は横浜なのかもしれないし──……」
夫婦に続いて二階で下りると、予想通り複数のアパレルショップが待ち構えていた。でもざっと見渡した感じ、この付近はちょっとお高い店が多いみたいだから、庶民は退散しまーす。
北側へ進みつつ、気になる店があったら覗いていった。何店目かで夏物の売れ残りセールをやっていたので、駄目元で物色。案の定、サイズが合わなかったりデザインがいまいちなものばかり。秋冬物も見てみたけど、ピンとくるものはない。
次に行こうと、店を出た時だった。
「なぎさん?」
反射的に元来た通路の方を振り向くと、長い黒髪を後ろで一つに結んだ、華奢な女性が一人。わたしと目が合うと、薄い顔立ちに笑みが浮かんだ。
「あ、やっぱりなぎさんだ!」
なぎさん。懐かしいあだ名。もっともわたしは、あんまり気に入ってなかったんだけどね。
「久し振り~! 元気だった!?」
かつてわたしを〝なぎさん〟と呼んでいたのは、一人だけ。
「雪美……ちゃん」
「凄い偶然っ! え、何年振りだろ!?」
もう二度と会わないだろうし会いたくもないと思っていた人間がはしゃぐ姿を目にしても、わたしは同じような気持ちにはなれなかった。
「何でここに?」
それはこっちの台詞なんだけど……。
「なぎさん、今横浜に住んでるの?」
「うん。方角は違うけど」
「ご家族と?」
「一人暮らし」
「あ、独身?」雪美の声が若干上擦った。
「そうだよ」
「そっかぁ~。今何の仕事してるの?」
「事務」
「事務か。何かなぎさんに合ってるね!」
「そうかな」
「私はさ、実は弁護士目指すつもりだったんだけど、父親がお前も医者になれってうるさかったからさ。医学部に進学して、今は内科医」
「へえ……」
ほーら、始まった。
「まあったくさぁ、将来は好きにしていいっていうから、高校一年の時から毎日毎日、寝る間を惜しんで司法試験の勉強頑張ってたってのにさ。まあ、学んだ事は無駄じゃなかったと思ってるけどっ。
あ、私は五年前に、医学部の同級生だった旦那と結婚したの。それから福岡に引っ越して、一緒に旦那のお父さんの病院手伝ってたんだ。当時[Pixy]にメッセージ送ったんだけど、なぎさん気付かなかったかな?」
[Pixy]は若い子を中心に人気があるSNSだ。わたしはもう退会している。
「そうだったんだ。ごめん、全然気付かなかった」
……自然な演技が出来ている自信がない。
「ううん、いいのいいの。なぎさんだって忙しかったんだろうし」
そうだね、あんたみたいに。
「一昨年の春に、旦那と息子の三人で、川崎市に引っ越して来たの。旦那の伯父さんに当たる人が東京で大病院経営していて、人手が足りないから助けてほしいって頼まれて。お義父さんも快諾してくれたんだ。
今日は休みだから、家族三人で買い物に来たの。息子は旦那に任せてゲームコーナーで遊ばせて、一人で服を買おうと思ったら、なぎさんがいるじゃない? ビックリしたよ」
うん、確かにビックリした。
「ほら」雪美はショルダーバッグからスマホを取り出すと、画面をいじってからに見せた。「これが息子。輝く春で、春輝。三歳」
そこには、一重瞼でタレ目の男児が映っていた。
「雪美ちゃんそっくり!」
思った事だけを口にした。可愛いだなんて、お世辞でも言ってやるつもりはなかった。
「よく言われる。まあ、性格は旦那の方に似たっぽいけどね」雪美はスマホをしまった。「それに、男の子だからかな、とにかくヤンチャで」
ああ、早く終わらないかな。
「この子がお腹の中にいた時はさ、仕事と子育ての両立なんて出来るかなって心配だったけど、何とかなってるよ。ほら、やっぱり色々考えると、三〇までに一人は産んでおきたかったから。今時、高齢出産なんて珍しくないかもしれないけど、少なくとも楽って事はないじゃない?」
雪美は、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「あ、何かごめんね、私ばっかり話しちゃって」
「ううん、別に」
本当にね。
「なぎさんは? お付き合いしている人とかいるの?」
「……うん、一応ね」
見栄張って大嘘を吐いた。
「あ、いるんだー? まあ、そりゃそうだよね」
違う答えを期待していた事がバレバレ。いや、隠す気なんて最初からないか。
ああ、疲れた。
「なぎさん、時間ある? ここで立ち話でも何だし、せっかくだから旦那と息子に──」
「ごめん」チャンスだ。「わたしこの後、用事があるんだ」
「あれっ、そうだったの!?」
「うん。中途半端だから時間潰してたんだ」スマホを取り出して、時間を確認するフリをする。「もうそろそろここを出ないと」
「そっか! あ、じゃあさ、連絡先──」
「ごめん、もう。じゃあね!」
「ああ、うん、またね!」
わたしは返事をせず早足にその場を去ると、そのまま〈はまぽーと横浜〉を出て鴨居駅まで戻ってしまった。買い物も食事も鵜入圭司も、今はどうでも良かった。
……神様だか誰だか知らないけど、何の悪戯だっつーの。
二木雪美──既婚者なので今は違う苗字だろう──は、わたしの小・中学時代の友達だった。父親は開業医で、家庭は裕福。家に遊びに行った事はなかったけど、聞いた話だと三階建てでかなり大きいらしい。
小学三年生から六年生まで同じクラスで、きっかけは覚えてないけど三年生の途中から仲良くなって、よく一緒に遊んだ。二人の友情はいつまでも続くものだと、わたしは本気で信じていた。
中学の三年間で、わたしと雪美は一度も同じクラスにならなかった。互いに新しい友達が出来ると、一緒に遊ぶどころか会話する機会も少なくなった。卒業後も何度かメールでのやり取りはしたけど、社会人になる頃には完全に疎遠となっていた。
でも、そうなった一番の理由は、単に物理的な距離が問題ではなかった。
中学生になってから、雪美は変わってしまった。明らかにわたしを見下し、顔を合わせてもメールをしても、常に自慢や嫌味ばかり──所謂マウントを取るようになったのだ。
「今回のテスト、ほとんどの教科が五〇点満点中四五点以上だったんだ! 英語は小テスト含めて四回連続で満点! でも理科が四四点だから、父親に嫌味言われそうでさ~」
「今度の夏休み、家族旅行でフランスに行くんだけど、これで三回目なんだよね。父親が気に入っちゃっててさ。私もお母さんもお姉ちゃんも、日本国内の温泉がいいって言ったのに」
「ごめんねなぎさん、昨日はすぐに返信出来なくて! 色々やる事多くてさ、超忙しかったんだ! なぎさんはすぐに返信くれてたのにね」
「受験するなら当然、この地域で一番偏差値が高い高校だよ。前期で受からないかなー、後が楽だし。なぎさんは決まった? ……ああ、あの高校? ふーん」
最初は考え過ぎかなとも思ったけど、わたしだってずっとそう信じ続ける程馬鹿じゃない。今思えば、雪美が中学時代に特別仲良くしていた同級生たちは皆、彼女と同じくらいの高学力の子たちばかりだった。当てはまらないわたしは、対等な存在ではないと見做したのだろう。
[Pixy]アカウントに、雪美から入籍及び引っ越し報告のメッセージが届いていた事には気付いていた。わたしのアカウントは、中学時代の共通の友達から聞いたらしい。
またマウントを取られるのかと思うとうんざりだったし、そもそも[Pixy]はほとんど放置状態だったという事もあって、返信せずにアカウントごと削除してしまった。
もう二度と関わる事はないと思ったのに。
「いいね、雪美ちゃん家は。うちとは大違い」
四年生くらいの時だったかな。家族旅行でのエピソードを披露する雪美に、わたしは何気なく愚痴を溢した。
「うちは、仲良くないっていうか……うん」
それまでテンション高く喋っていた雪美は、わたしの肩にそっと手を置いた。
「なぎさん、大人になったらさ、二人だけで旅行しようよ」
「え?」
「ヨーロッパでも、ハワイでも、日本の温泉地巡りでも。ね?」
「う、うん」
雪美が元気付けようとしてくれているのだとわかって、胸が熱くなったのを覚えてる。
「あ、それとさ、いつかなぎさんが結婚したら、結婚式では私がピアノ弾くから! 呼んでよね」
「それはちょっと気が早いんじゃ……」
「え、そうかな?」
「雪美ちゃん……有難う」
「え~、お礼なんて。だって私たち親友じゃん」
そんな時もあったのにね。
気を取り直して別の場所に行くか、まだまだ早いけど帰ってのんびりするか──もうすぐやって来る電車に乗ってから、ギリギリまで考える事にした。