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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨宿りの少女とナイフは忘れることを許さない。

作者: 雨屋飴時

  

 バス停の屋根を、雨が激しく叩いていた。

 空に敷き詰められた石灰色の雲。冷たい風。

 雨の日は嫌いだ。

 髪は跳ねるし、外に出るのも憂鬱になる。

 次のバスが来るまでには少し時間があった。

 スマホを取り出し、画面に流れる映像を適当に眺める。


「あの」


「!」


 急に聞こえた少女の声に驚いて顔を上げると、深紅の傘が目に入った。

 紺色のブレザーに小さな赤のリボン、深緑のチェックスカート。同じ高校の女の子の制服だった。

 傘が邪魔をして、顔は見えない。


「あ、なに」


「あの……隣、いい?」

 

 それは、雨音でかき消えそうなくらいか細い声だった。


「あ、どうぞ」


 スマホに目線を戻して、俺は少し左へ寄る。

 

 彼女は小さくお辞儀して俺の隣に来ると、ゆっくり傘を閉じた。

 

 知っている子か気になってちらり、と彼女の顔を覗く。

 白い頬にはりついた黒髪を、彼女の細い指がぬぐっていた。

 長いまつ毛に大きな瞳。通った鼻筋。

 同学年なら少し噂になりそうなくらい、かわいい子だった。


 こんな子、同じ中学にいたっけ。

 

 途端に少し緊張する。

 

「……あの、同じ学校……だね」


 彼女の方から話しかけられて、心臓が高鳴った。

 大きな瞳と目が合う。やっぱりかわいい。

 

「あ、うん。俺3年」


「わたしも、だよ」


「え!?」


 俺があんまり驚いたからか、くすくすと彼女は笑った。


「え、何組?」


「4組」


「4組かー…。

 俺、1組」


 俺がいる1組と4組は棟が別だ。

 とはいえ、3年間もこんなかわいい子がいると知らなかったのは後悔してもしきれない。


「俺、 鳥羽隼人(とりははやと)


「うん。

 知ってる」 


 呟くように、彼女が言った。


「え!?

 俺のこと、しってるの?

 え、クラスどっかで一緒だったっけ。

 1年の時は何組?

 あ、名前は?」


 彼女はなぜか少し迷った素振りを見せた後、小さく答える。


「……佐村(さむら)、さい……」

 

「佐村……」


 記憶を辿れど、思いつかない。

 聞いたことあるような気もするけど、というくらいのものだ。

 やっぱり覚えてないか、と佐村さんの口が小さく動いたようで、俺は苦笑して少し頭を下げる。

「ごめん」

 

「ううん。

 ――実は、今日が最後の登校だったの……。

 明日には、この街から、いなくなる」


「引っ越すの?

 そっか……」


 それは残念だなあ、という言葉を飲み込んで、空を見上げる。

 相変わらず雲間もない。


「――でも、よかった」

 

 小さく言って、佐村さんが俺をまっすぐ見る。

 

「最後に、鳥羽隼人くんに会えて」


「!」

 

 それはさっきまでの弱々しい声じゃなく、はっきりとした響きがあった。

 

 佐村さんの瞳が、一瞬決意を込めたように光る。

 華奢な腕が、俺の方にそっと伸びた。

 小柄な体が俺に寄り添い、触れる。

 

 ふわ、とシャンプーのいい香りがして、体が動かない。


 ふいに、佐村さんが俺のポケットに手を入れた。

 ぽす、と何かが滑り込む。


「これ――わたしの大切なもの。

 鳥羽(とりは)くんにあげる」

 

 ささやくような声だった。

 その華奢な体は、なんだか少し震えているように思えた。


「えっと……」

 彼女のぬくもりを感じて、顔が熱くなる。

 

「後で、見て」


 小さく小さくつぶやくと、彼女はふ、と体を離した。

 

 はっと気づくと、バスが目の前で止まっていた。

 窓の開く音が、俺に早く乗れと促してくる。


「あ、」

 

 何か話したかったけど、言葉が出ない。

 流れのままにバスに乗り、窓際に座る。

 

 窓際から、「じゃあね」と佐村さんが俺を見てほほ笑んだ。

 何か、つぶやく。


   私のこと……


 その先は何と言ったかはよく分からなかった。

 けれど、その顔はやけに青白く見えた。

 そして、佐村さんは俯いて――


「……」

 

 あれ。

 

 ふと、その後頭部に既視感を覚えた。

 記憶を辿る。なぜか、小学校のクラスを思い出した。

 

 ――いや。けれど、いくら考えてもそれ以上は思い出せない。

 

 もう少し、話せればよかった。

 明日も学校で、佐村さんに会いたかった。

 そしたら、もう少し仲良くなれたかもしれないのに。


 バスが発進する。

 

 そうだ。

 ポケット。


 俺はズボンのポケットに手を入れる。

 座っているから取り出しにくい。

 ぐい、と手を突っ込む。

 手のひらにひやりとした温度。

 長細い、金属質ななめらかな質感のものがあった。

 一部、べとりとした触感もある。


「?」

 

 そっと、ポケットから佐村さんの言った大切なものを取り出す。

 

 手の中にあったのは、銀色のバタフライナイフだった。

 

 …………え?


 どくり、と心臓が鳴る。

 背筋が冷たく痺れる。


 バタフライナイフをよくみると、それはところどころに鈍く光る赤い色がついていた。

 

 ――血。


 「……っ!」

 

 気づいた瞬間投げ出しそうになって、慌ててポケットにつっこんだ。 

 べた、とした触感に手を見てみると、指先に、手のひらに、少し血が移っている。

 はっ、と乗客を見渡す。

 それぞれスマホを見たり、友達と話したりして、俺のことは見ていないようだった。

 少し安堵――しかしすぐに頭が冷える。


 なんだこれは。

 なんだ、あいつ。

 何が、何が大切なものだ。

 なんだ、これは。


 誰の血、誰の血だこれは……?

  

 佐村?

 誰だ、あいつは。

 

 必死に、佐村について思考を繰り返す。

 あの、後頭部。

 小学校の時の教室。

 うつむいた、女の子。

 でも、その映像はすぐに掻き消えて記憶は辿れない。

 

 救急車のサイレンの音が、前方から聞こえてきた。

 一つじゃない。

 二つ。もう一つは、救急車の音じゃなく、おそらくパトカーの……


 ポケットにある血の付いたナイフの存在が重くのしかかる。

 心臓が、早打っていた。

 巡る血が凍るように、体が冷たい。

 

 けたたましいサイレンの音はバスを通り過ぎて、その内、雨音にかき消えていった。


-----------------------

 転びそうになりながらバスから降りて、俺は家へ走った。

 家には誰もいなかった。

 二階へ駆けあがり、ドアを閉める。


 恐る恐る、もう一度ポケットに手を伸ばす。


 やはり、冷たいそれはそこにあった。

 血が付着した、それ。

 バタフライナイフ。


 ナイフを開く。

 

 刀身に、赤い血がべったりついていた。


「!」

 

 膝が崩れ落ちる。

 口から、声にならない声があふれ出た。

 絶叫が止まらない。

 頭が目まぐるしく回っているのに、視界は真っ白だった。

 何も考えられない。

 何だこれ何だこれ何だこれ何だこれ何だこれ……!


 ぴこん。


 ふいに、スマホの通知音が鳴った。

 

 バスで触れたとき、ナイフの血はまだ乾いていなかった。

 

 ――もしかしたら、何か事件とかになっているかもしれない。

 慌ててもう片方のポケットに手を突っ込んでスマホを取り出す。

 手が震える。

 上手く持てない。

 

 通知の文字の羅列をやっと見て、思考が停止する。

 

 『――本日午後17時頃、青枝町の路上で、バスを待っていた女子中学生が刃物のようなものでさされ死亡しているのが発見され――』

 

「!」

  これ、さっき佐村といたバス停じゃないか。

 もっと詳しい情報を知りたくて、スマホを操作する。


「っ」

 震える指先に苛立った。

 混乱した頭で、ようやくニュース画面が開ける。


『17時頃、『刺された』と被害者から通報があり、緊急車両で運ばれたがその後死亡が確認された。

 被害者の名前は佐村さい 15歳。

 場所は青枝市内のバス停付近で、凶器は見つかっておらず――』

 

 そこまで読んで、体が震える。

 被害者は、佐村さい。

 それじゃあ、このナイフについた血は――佐村さいのものってことなのか?


 けれど、あの時佐村はちゃんと立っていた。


 いや……そういえば――やけに声が小さかった。

 体は震えていて、顔色もやけに青白かった。


 でも、あの時触れた体は……

 

 視線を落として、あ、と気づく。

 

 黒くて今まで気づかなかったが、ブレザーに、赤いしみができていた。

 それは、ちょうど佐村さいが俺に寄り添うようにして触れたところ――腹部の位置だ。


 「!」

 

 きっとあの時――俺の隣に立った時には、佐村さいはすでに刺されていたのだ。

 ……刺されていた?

 いや――違う。

 刺されていたなら、俺に助けてと言ったはずだ。

 佐村は助けなんて求めていなかった。

 むしろ――

 

 佐村は、言っていた。


 ――今日が最後の登校だったの……。

 明日には、この街から、いなくなる――

 

 それは、転校するということではなくて……

 

 血の付いたナイフ。


 佐村は、きっと自分で自分を刺したのだ。

 俺に会う、少し前に。

 でも、このナイフを俺に渡した理由は?

「っ」

 佐村は俺を知っていた。

 考えても考えてもわからない。

 どこかで接点があったのか?

 思い出せない。


 その時、ふいにスマホの画面が真っ暗になった。

 震える携帯。

 そこに表示されたのは、小学校からの友人――多田の名前だった。

 今は電話どころじゃない。

 もっとニュースの情報を見たい。

 佐村さいのことについてもっと情報がほしい。

 しかし、切電しようとした指は、震えて通話ボタンに触れた。

 

「……よお、鳥羽。

 ――なあ。ニュース見たか?」


 能天気な声。

 それどころじゃないっていうのに。

 本当のことも言えず、俺は適当に相槌を打つ。

「ああ、おんなじ高校だろ。

 同い年ってさ、びっくりした」

 

「いやいや、そうじゃなくて、え?

 お前、覚えてないの?」

 電話口に、多田が空気を飲むのが分かる。

 

「え、何が……」


「やべ、ほんとに覚えてねぇんだ」

 多田が笑いながら、けれど少し冷めたように呟く。

 

「え……なんだよ」 

「佐村さい。

 小三の時いただろ。

 あいつだよ。不登校になったやつ」


「……え?」


 どくん、と心臓が震えた。


 「ほら、途中から来なくなっちゃっただろ。

 結構かわいかったから俺覚えてんだよな。

 ってかあれ、お前だろ。来なくなった原因作ったの」


「……は?」


 ――俺?


「なんで、どういうことだよ」

 

「お前よくからかってたじゃん。

 『佐村 くさい』とか言って」

 ほんとうに覚えてないの?


 少し責めるような多田の声。

 

 喉の奥が張り付いて、言葉が出てこない。

 小学校の時、結構かわいい女の子とクラスが一緒になって、少しからかって。

 それは、覚えている。

 そしたら、他のクラスメイトも面白がって、からかい出だして……。

 

 ――俯いた顔。後頭部。


「!」


 息をのむ。

 そうだ。

 佐村。

 既視感の正体。

 小学生の頃、からかったその女の子の、俯いた顔、後頭部。


 思い出した。


 足が、体が、震える。

 ああ……

 視界がぼやけて、ぼろぼろぼろぼろと涙がこぼれた。

 電話口に嗚咽が聞こえないように、必死に口を押える。

 

「なんか聞いた話だと、あいつ、中学になって一回登校したらしいんだ。

 でも、上野――ほら、小三のときおんなじだった――上野が同じクラスにて、お前がしたのと同じようにからかってたみたい。

 それからすぐ、また教室に来なくなったんだって。

 ……まさかこんなことになるなんてなあ 」

 

 多田の声が、遠くで聞こえる。


 耳の奥で、佐村の声が蘇る。

 

 『これ、私の大切なもの。

 あなたに、あげる』


 渡されたのは、血の付いたナイフだった。

 佐村は自分で自分を刺して、その凶器を俺に渡した。

 それは、佐村を殺した犯人を俺にするために。

  

 復讐のため……?


 最後に俺を見送った佐村の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。

 バス停で、窓越しに佐村はきっとこう言ったのだ。


 ――わたしのこと、もう忘れないね。


 


 



まずは、たくさんある小説の中で選んでいただき、ありがとうございます。

そして、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!


そんな中なのですが、もしよろしければ下の☆を押して頂けたら励みに、そして参考になります。


どうぞよろしくお願いします!


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