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茨の王  作者: 山臣
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ハリエニシダの森 4


どれほどの長い間、頬を合わせていただろうか。

待ちきれなくなったらしいカレヴァが、羽音を立てて竜の首の上に舞い降り、苦さを堪えるような悪態をついて逢瀬のような触れ合いは終わった。

『いいかげん離れぬか、リーリヤ。そのまま石にでもなってしまう気か』

『そんな勿体の無いこと、する訳が無いわ』

どうやらこの竜はリーリヤというらしく、カレヴァとも知己であるらしい。

「リーリヤ…?」

『そう、そうです我が君』

ほう、と息をつき、まだぽろぽろと涙を流す竜――リーリヤは、シキの日に焼けぬ白い頬を赤い舌でぺろりと舐めた。

『あなたを待ち続けて、幾星霜――我等竜族でさえ、子が親に、親が老いぼれになるまでの時を待ちました。カレヴァとて、どれほど待ち焦がれたか。何度死に、何度生まれ変わっても、あなたのことを忘れもしなかった。私も何度、あなたを追い輪廻を翔けようと思ったか』

カレヴァはリーリヤの首の上で、どこか恥ずかしそうに項垂れていた。

『けれど――待っていて、良かった。戻ってきて、くれた』

条件反射のように、シキは涙を零すリーリヤの頭をその細い両腕で抱きしめていた。所々鈍い棘のように突き出た、鱗に邪魔されることの無いように。

「……ごめんなさい。私は、何も憶えてないし、わからないし、それにさっきこちらへ来たばかりなんだよ」


何故、ここに、この世界にいるのかさえ、わからないのに。

何故、目の前の獣たちに傅かれるのかも、わからないのに。


――何故、こうも慕われるのかも。


しかし、リーリヤは首を僅かに振った。

『いいのです、我が君。あなたは我が君であって――我が君でない。けれど我等の主でもある。あなたが何も知らずとも、憶えていなくとも……あなたが、生きて、動いてくれるのならどうでもいい。我等があなたを、我が君と呼べるのなら、何だっていい。それに何も思い出さないのなら、それがあなたにとって幸福なのです』

「……どういうこと?」

シキの問いに、リーリヤもカルヴァも答えはしなかった。

「言ってくれなきゃ、わからないよ」

ふたりは、ただ首を振る。

「何で、私はここにいるの」

『そう、定められたからです』

「定めって何?」

『そうあるべきこと――ぬしは、ミドガルドに囚われるという、定めなのである』

「私は何を忘れてるの」

『いいえ、貴女・・は知らないこと』

「私は知らないのに、何でふたりは、知ってるの」

『我が君…』


「どうして、――どうし、て」


わからない。

どうして、私はここにいるの。


あの白い腕は、赤い目は。

この森は、何。

あの、岩の群れは。

この、ふたりは。

ここはどこで、何をすべきで、何をすべきでないの。


――どうして、



ミドガルドここ>にいることに、違和感がないの。





『……我が君』


シキの頬に、あたたかく湿ったものが触れた。

はっと我に返って、視界が開ける。

少しざらざらとしたそれは、ゆるゆると顎から目元を繰り返し這う。内に篭った自問自答、暴走する思考が、それだけで凪いで落ち着いてゆく。

シキが掌を顔に持っていくと、熱の持ち主はその白い手にも這ってすぐに離れてゆく。竜の舌だった。

『落ち着いて、我が君。心を、鎮めて』

「あ、……」

『貴女が、いつか思い出す時が来ます。――その時まで、安穏を過ごして。……私達に、貴女の名を、呼ばせて』

うたうような、懇願するような美しい音に、シキはしばらくして――頷いた。

『……我が君には、名乗ってはいませんでしたね』

リーリヤは、今まで四肢で地に立っていたのを、後肢の膝を折って犬がするように座った。それでも威厳や美しさが損なわれないのは、脅威と言えた。

『私はトゥアハ・デ・ダナーンは女神の長子、古ウロボロスの一族はファファニールの血の末裔、リーリヤと申します』

「ありがとう。私は――シキ、大和茨貴。こちらでは、性は後ろで名乗るのかな」

『そうであろうな。ヤマト…シキ・ヤマトか』

『不思議な名前』

「シキは、貴い茨って意味なの」

『……茨』

カレヴァとリーリヤがぴくりと身を震わせたが、シキは気が付かなかった。

「それにしても……随分長いんだね、名乗りが」

『我等魔獣と呼ばれる者は、自らの血に誇りを持っております。ダナーンの名は、皆そうなのだから名乗らなくてもいいのですが、ダナーンは天地創造の女神にして、我等の血脈の祖にして誇りですから。その子らはそれぞれ違う姿をしていて、それが今の魔獣の大本ですね。我等が氏族はウロボロスを太祖とし、ファファニールという父祖たる翼竜の血筋を守ってきたのです。他にもヴィーヴル、ピュトン、ニーズヘッグなどの一族がおります』

『我等が太祖、古フレスベルグはダナーン神の第三子だ。彼は大鷲の姿をした神で、その子であるカラドリウスを父祖に持つ。他にもガルデルの一族やヴィゾフニル、フェニックスの一族も世に散らばっておる』

「へえ……難しいけど、面白いね」

『この世には数え消えぬほど様々な種族がいる。世を旅すれば、会う機会も増えよう』

「た……び?」

目から鱗の言葉に、シキの動きが止まる。

『――信じがたいかもしれませんが、あなたはワタリビト……もう、元の世界には戻れません。そして、悲しいことに、ここもあなたの安住の地ではない』


――こうまではっきりと言われるとは。


不思議と、シキに「帰りたい」という気持は沸いてこない。自嘲にも似た笑みをシキが零すと、リーリヤはいっそう身を縮こめてしまった。しまった、勘違いをさせてしまった。

「違うよ、リーリヤ。別に悲しいわけじゃないから」

『でも……我が君』

「だって、誰を責めても、きっとどうにもならない。悪いのは私?リーリヤ?カレヴァ?誰でもない。――こうなったら、とことん楽しむさ。長い、永い休暇と思って。あの世界では、休日なんか無いような生活を送っていたから」

ただ嘆くべくは、母に会えないことだろうか。それに、まだ生まれたての姪――顔も数度しか見たことが無い。ただ健やかに育ってくれればいい。おそらくはそれだけが、シキの願いだった。

『我が君……』

リーリヤとカレヴァが、まるで膝を折るように項垂れた。

――まるで仕えられてる気分だな。

苦笑して、シキは高低差のあるふたりの頭をそっと撫でた。


『……我が君!』


絶叫にも似たリーリヤの叫びの後、シキは思い切り突き飛ばされた。

体重と重力に任せて背中から地面に倒れ、一瞬息を飲み込む。シキを突き飛ばしたのはリーリヤで、その彼女は今、思いのほか自在に動くらしい前足と鋭い爪で鈍色の刃を受け止めている所だった。

「リーリヤ!」

信じられない思いで、シキはカレヴァの翼に庇われながらリーリヤと襲撃者を見やった。

『お逃げください、我が君――早く!!』

忌々しげに歪むリーリヤの顔――ぴくりとも動いていないのに何故かシキには歪んでいると解かった――に、驚愕と嫌悪の表情でシキは襲撃者を見やる。


男の整った顔はこちらもまた奇妙に歪み、ぎりりと歯を食いしばっていた。

灰色に似た白銀の髪を藍のリボンで首の後ろでひとつに纏め、堅固な鎧と深緑のマントの上にぱらぱらと零れている。

何の表情も読み取れない緑色の瞳がシキを捉えると、よりいっそう鋭さが増した。

――だれ。

シキは身体を侵す恐ろしい気――殺気に、身震いした。

辛うじて立ち上がることはできたものの、走り出すことなどできそうに無い。そもそも、リーリヤを置いて逃げることが出来るはずもないのだ。

出会ってものの数十分、シキにとってリーリヤとカレヴァは、最早「庇護」の対象だった。

守られるでなく、頼るでもなく、自分にとっての「護るべきもの」。

「リーリ、ヤ」

『いいから、逃げて!』

反対側の爪で男を切りつけようとしたリーリヤを辛うじて避け、態勢を立て直した男は、剣を掲げ直すと走り出した。

構えたリーリヤは男の喉笛を食い千切ろうと口を開けるが、がちりと噛み合った歯の間に獲物は無い。

――男は。

なんと男は驚異的な跳躍力でリーリヤを飛び越し、すぐ傍の獲物に剣を向けていた。


――すなわち、シキに。


すさまじい勢いで堕ちてくる鉄の刃に、シキは自覚しながらも動けなかった。

悲鳴のような雄叫びが遠くで聞こえたように感じ、シキは目を瞑った。





身体の底から、何かが這いずり出てくるのを感じて。




ようやくシキ以外の人間が登場しました。

2011/2/15、ちょっとつけたし改稿。

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