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茨の王  作者: 山臣
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ハリエニシダの森 2

「ふわ……」

眼下に広がる緑と灰色の原野に、シキは息を呑んだ。

距離など想像もできない程遥か遠くまで、ただただ鋭角の先端を持つ森が広がっていた。所々、沼なのか湖なのかもわからない水を湛えた場所があり、きらきらと陽光を受けて輝いている。まるで波打つように風に揺られる爽やかな青い香りがシキの鼻腔に届いて、思わず深呼吸をしてしまう。

その更に向こうには、蛇行し光り輝く長大な川が蛇のように横たわっている。視界の端には空の色を溶かしたように淡い蒼を称えた山々の連なりがあり、森の終わりには遠く野が広がっている。そしてその中に微かに見える、自然の色とは異なる石の連なりのようなものは何なのだろうかとシキは首を傾げた。

「町…かな」

煉瓦のような色であったり、木肌のような茶であったり、この森には無い色をしている。

ふと背後を見やると、今度こそシキはぎょっとした。

今まで見ていた景色の反対側には、まるで天まで届きそうな大山脈が視界の端から端まで埋め尽くしていたのである。

「な、な、な……何なん、だ」

まるで世界を隔てんとばかりに聳え立つ巨大山脈は、頂を白い雪で覆われ、見るだけでも寒々しい。白っぽい灰色と蒼を身に纏うその山は、全てを拒絶し、しかし迎え入れるような奇妙な印象を与える。あの奇岩など比べるようもない途方も無い、大きさ。

おそらく、この森はこの山の麓なのだろう。

「こんな大きな山って……エベレスト、な訳はないよな」

けれどシキがそんな印象を抱いてしまうくらい、その山脈は規格外だった。

「あっちが多分……町」

シキはもう一度、山脈とは反対側の色の群生を見やる。

結局何がどうなって、自分が本質的に何処にいるのかという問題は解決されなかったものの、今の立ち位置はシキにも理解できた。

「どうするかなあ……」

森を彷徨うか、それとも町らしきあの場所へ行ってみるか。

ふむ、とシキが枝の上で思案していると、ぎゃあ、ぎゃあとどこか聞き覚えのある啼き声が頭上から響いてきた。

驚いてシキがさっと頭を上げると、黒い巨体が風を切り裂いてシキに迫ってきていた。


「う、わっ!」


視界に入った鋭い爪と嘴に思わず後ずさりしようとして、ぐらりと身体が傾ぐ。

――木の、上。

すっかり忘れていたことを思い出しても遅く、一度バランスを失ってしまっては立て直すすべは無い。宙を掻いてしまった手は何も掴めず、そのまま身体も何もかも落下する、と思われた。

シキの尻が完全に枝から滑る寸前、同じく滑り降りるように滑空してきた黒い獣は、爬虫類の名残のような鱗を持つ足で、もがくように伸ばされたシキの手をがしりと掴んだ。

「ふ、へ」

シキが目を見開くと、その獣は僅かに目を細めた、ように見えた。

そのまま、ぐいと引っ張られ、誘導するように獣の足はシキの手を幹へ押し付ける。そっと獣が掴む足を離すと、シキは先程と同じように杉の枝へと身体を預けることができた。

今更襲ってきた恐怖に、ばくばくと忙しなく鼓動を打つ心臓の辺りに神経を集中する。だらだらと流れる冷や汗に、さっと血の気が引く感覚を覚えた。

「っは、は、は……げほっ、げえっ、ごほっ」

うまく呼吸が出来ず、気管が震えて噎せてしまう。

乱れた呼吸をようやっと抑え、しばらく経ってから、ようやくシキは目前の獣を真正面から対面できた。

今は同じ枝に座る獣は、見てくれだけならただの鴉であった。――見てくれ、だけなら。

問題なのはその大きさで、まるでハゲワシか白鳥のような巨躯だった。シキから距離を取るように梢に座しているのに、梢はほんの少ししかたわんでいない。見てくれは重量級だが、だからこそ軽いのかもしれない。軽くなくては、鳥は飛べない。

「か…から、す?」

戸惑いながらも、シキは呟く。漆黒の翼と体躯は間違い無く、姿だけなら鴉だ。ただ彼の瞳は真紅であり時折微かに覗く舌は血よりも赤い。そういえば、鴉よりも頭も小さくすらりとしているかも知れない、とシキはぼんやり思った。

シキの言葉にぴくりと身動ぎした鴉は、至極嫌そう瞳を細め、ばさりと翼を広げた。


『吾は鴉などではない、吾が君』


耳に届いた音に、シキは目を見開いた。

「……へ?」

『吾は鴉などという下男どもとは違う』

ふん、と鼻を鳴らした鴉は、にじり寄るようにシキの方へ近づいてくる。

『そんな下種どもと一緒にされるのは真に遺憾だ。あれは姿こそ同胞であるが頭の出来も血筋も力量もまるで違うのだ。吾等、トゥアハ・デ・ダナーンは誇り高き古フレスベルグの一族、あんな使い走りのただの鳥と似ているなどと……そんなことも知らぬのか、吾が君よ』

「え…あ、の……?」

さっぱり意味が解からない。

鳥が喋っている、という時点で驚愕なのに、次から次へと解からない言葉がぽんぽんと出てくる。それに耳に入るこの言葉――言語すら、いつも耳にしている日本語と全く違う。音的には英語やフランス語や、とにかく外来語のようだ。ただ何故か、その意味が解かるだけで。

そこではたと我に帰ったのか、鴉は、ばつが悪そうに少し首を振った。

『すまぬ、吾が君。ぬしは吾が君であると同時に、ワタリビトであらせられたな。解からぬのも無理は無い、まあしかし時間はあるのだ、そこはとっくりと』

「あの!」

どんどん一人で話を進めていく鴉に、シキは我慢できず声を荒げた。

「貴方は誰で、どうして話が出来るのでしょうか!!」

ようやく言いたいことの言えたシキに、鴉は訳がわからないという風に一瞬首を傾げ、次いで得心がいったように強く頷いた。

『疑問もごもっとも。吾は古フレスベルグの末裔にして、カラドリウス氏族の末席を頂くカレヴァと申す。――吾が君の世には、魔獣はおられなんだか』

「ま、じゅう?」

『吾も魔獣である』

「貴方が、魔獣」

シキが鸚鵡返しに呟くと、鴉――カレヴァはまた頷いた。いちいち律儀な魔獣である。

『人間どもの基準ならば、言葉を解し人を喰らう悪しき獣を指す。しかし人間を喰らうなどという悪食は一族のものでもごく少数……天地創造からの言語を操り、過ぎた干渉を嫌うのは共通である』

「食べ……」

――人間を食べる。

シキは少しばかり口元が引きつったのを自覚する。

それを目敏く見つけ、カレヴァは呆れたように首を振った後、出来の悪い生徒を諭す教師のような口調で呟く。

『誰が吾が君を喰おうとするか、馬鹿馬鹿しい。知恵遅れの半獣族ならともかくも……それに人間など食しても骨ばかりに酸が強いだけで不味いというのに』

「食べたことがあるみたいな話だけど…?」

『誰でも試したことくらいあろうな。戦場では死体は山ほど出るのだから。不味いという噂を試して、皆納得する。野の獣を狩り食べるほうがよほどマシだと』

「ふうん」

確かに人間は不味いらしい、とシキはどこかの本で読んだことがある。しかし両脚羊というくらいだから羊にも似ているらしい。結局の所、試したくはないというのがシキの結論である。

「それじゃ、えっと……」

『何でも訊くが良い』

「……ここって、何処なんでしょうか」

目下、今のシキの一番の欲しい知識はそれであった。


地球上に存在し得ない、巨大な山脈。

真昼の空に浮かぶ、二つの月。

者前の、物言う、獣。

知らないはずなのに理解の出来る、ことば。

さっぱり予想のつかない、この状況。



――これはなに、



――ここは、何処。



『……ここは大陸である』

カレヴァは、説くような声色で喋った。

そこに何かおぼろげな、残滓のような微かな懐かしさを感じるような気がして、シキは一瞬眉を顰める。

『名は、無い。大陸にある国の名であるなら、吾は詳しくはお教えできない。何しろころころと国境が変わるのだから、覚えてなどいられないのだ』

国境、ということは国があるということだ。それに人間もいる。しかしころころ変わる国境とは、とシキは首を傾げる。

「大陸って、ユーラシアってこと?」

地球でもっとも巨大な大陸はユーラシア大陸だ。他に北米・南米大陸もあればアフリカ大陸、オーストラリア大陸もある。

『ユーラシア?そんなものはこの世には無い。大陸は大陸、この世に大陸はひとつしか無い。外洋に数多の島々、島国はあれど、大陸ではない』

カレヴァの言葉に、シキはゆっくりと空を見上げる。

少し下がった太陽は、けれど方角を調べるにはまったく足らない角度だった。そして太陽を飲み込まんとするほど大きい、二つの月。


『――まさか、吾が君はまだここが吾が君の世であるとお思いか?』


怪訝そうなカレヴァの声に、シキは今度こそ瞬きを忘れた。


『吾が君は、世界を渡ってこられた』




『ここはミドガルド、女神が御創りになられた世界であらせられる』




魔獣、ワタリビト、大陸、吾が君。まだまだシキには解からないことだらけです。

2011/02/15 多少つけたし、改稿いたしました。

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