狂乱の晩餐会 6
今回はちょっとグロいです。
多分。
シキが視界に捉えた男女は、この場に在って何ら変哲の無い者達だった。
男は、広間にいる大勢と一緒の甲冑を着た兵士。女は、やはりその場の大勢と同様に給仕の格好をしている。城仕えとすぐ判る衣服の、目立たない男女。男の方の容姿は定かではないが、女はそれなりに美しい形をしている。少しくすんだ、銀色に近い金髪。薄く青い瞳は円らとは言えないまでも大きくて、あどけなさは抜けきって成人した女性の色気を醸し出している。
しかし彼らはシキに見られた途端、異様なほど震えだした。今のシキに睨まれた者は全員が全員そうなるであろうが、それでもその二人の震え方は異常であった。
男が着る鎧と中の鎖帷子が小刻みに触れ合って、かたかたと笑い声を上げた。
女の口が戦慄き、かつかつと歯が鳴って、背筋が震えるようなその冷たい音が広間に響く。
「――っ!!」
しかし、女の方は恐怖が振り切れたのか、それとも自棄を起こしたのか――どこか覚悟を決めた顔をし、給仕のたっぷりしたスカートを巻き上げて己の太腿に手をやった。ドロワーズを着けていない、産まれたままの白い肌に食い込んでいたベルトから瞬時に小ぶりのナイフを片手分抜き、シキたちに投げ放つと同時、呪文を叫んだ。
【逸れ吹雪や泣き喚け
打ち倒すは冬の王
駆け貫くは悪魔の槍!】
はっとした周囲の兵士たちは剣と槍を女に向けるが時既に遅く、投げナイフには到底足りないと思われた距離は、呪を帯びた言葉によって問題を無くした。
空気中に青がかった緑の光が放電するように舞い、凍てついた冷たい風が女を中心に吹き荒れ、彼女を害そうとする兵士たちを拒む。その氷の風を纏い、後押しを受けたナイフは驚異的な勢いでシキと、その周囲に襲い掛かった。
しかし、襲い来るナイフではなく、――それを放った女を、シキはあの昏い目で睨んだ。
「――邪魔だ」
シキの目前で迫っていたナイフが、ばきん、と潰れて爆ぜた。
同時に、リーゼロッテやフェルディナントたちに迫っていたナイフも爆ぜる。
中央部から打撃を受けたようにぐしゃぐしゃに潰れたナイフは、もうそれがナイフであったのかさえ判別できない。石の床に落ち、見る影も無いただの金属の破片たちは、見るものが見れば――そう、女の側から見れば、到底超えられない恐怖を与えられる現実だった。
彼女は、殺すつもりだった。
それで魔術師である彼女に殺せないものは無かったし、それ故彼女はここにいた。
簡単な仕事だったはずだ。
王族は暗殺を防ぐため、どこの国の者も毒には慣れている。
故に敵国には無い、本国独自の毒を酒に盛って、摩り替えて。
客人もいたが、彼女の脳髄のどこにも重要人物だという該当の無い子供だった。
だから予定通り、補助役の男と共に広間に潜り込んで。
死を見届ける予定だった。
死なないのなら、その場で殺せもするはずだった。
それほどの教育を受けている。敵を殺すための教育を。
――なのに。
なのに、これはどうだ。
化物だ、と彼女は思い、震えた。
目の前の子供は、化物だ。文句無しの、掛け値なしに、怪物だ。ありえないのだ、ありえる筈がない。
魔法によって多数の的に当てることは難しいものではない。数が増えるだけ、目標が動いたりするだけ集中も力も使うが、決して難しいことではない。
なのに、あの子供がしたことはどういうことなのだ。
ナイフを見てもいない、呪文を唱えてもいない、ただ睨んだだけだ、自分を。
無唱魔術師は滅んでしまったわけではないが、200年前の『茨の王』による大虐殺以来、数は減る一方だという。彼女が仕えるべき国でも、数人しかいないはずだった。しかし、本国の彼らもこんな芸当ができる訳がない。こんな一瞬のうちに、視界に納めもせずに気配だけで対象を絞り、しかもその全てを、呪文の詠唱も無く魔力だけで的確に破壊する。無唱魔術師とて、呪文を口にしないだけで頭の中で思い浮かべるはずだ。それにはやはり僅かと言えども時間を必要とする。
――なのに、あの一瞬で。
「……ふ、ふふ」
にい、とシキが口を歪めた。
「……終わり、」
シキが地面を蹴った。
風も無く、女が放ったような光の暴発も無い。ただ、ひょいと浮き上がったような身軽さで、先程ナイフが飛んだその距離を一瞬で積める。瞬きの間にシキの目の前に現れた、驚愕に目を見開いた女の顔をほんの一瞬覗き込み、その耳元で囁いた。
「――つかまえた、」
言うが早いか、シキは年齢に相応しくない小さな掌で彼女の顔を引っつかみ、そのまま石の床に叩き付けた。
「ぐがっ……!!」
後頭部と背中を襲った強い衝撃に、女は苦悶の叫びを上げた。
骨の砕けるような鈍い音に、固まったままだったロザリーの肩がびくりと跳ねる。そこで金縛りが解けたように自由になった身体は、微かに震え出してしまう。
違う、とロザリーの理性が叫ぶ。
あれは誰だ。
あれは一体、何だ。
口元を歪め、女を石の床に叩き付けた少女にロザリーは見覚えが無い。
幼い外見なのを気にし、遠慮しがちの――あの、ロザリーの名前を美しいと言ってくれた少女の面影が、見当たらないのだ。――どこにも、何にも。
「あ、ぁあ、っ…」
女が喘ぐ。
しかしそれを見るシキの瞳に、一欠けらの興味だとか情けだとか、そういった感情は全く見て取れない。
路傍の石を眺めるような無感動の瞳に、シキの手から逃れようとする女は一層もがく。怪物の目だと、決して人間足り得ない目だと女は必死になりつつも観察した。この怪物にだけは殺されるのは御免だと、そう思いながら。
「はは、」
笑う拍子に、シキの口から赤い舌が覗く。
「――おまえは、きっとあの北の国から来たのかな。北の……ふふふ、北の、か。あのちいさな国が、痩せて冷たい、冬と死の凝った国が。あそこはずっとそうだ、おまえからはするんだ、匂いがする、冬と血の匂い。帝国の影に隠れてる、ずるいちいさなあの国。……でも、秋の森は、ふふ、蔦苔桃が美味しいんだったっけ……きみはしってる?ぼくはもう、おぼえてない、おぼえてなんか……ああ、あれは誰と行った、かな……?っく、はは、あはははは、ははっ」
口調は酷く幼くて、それ故に、あまりに不気味だった。
覗き込まれた瞳には、伺い知れない虚無が満ち満ちていて、女は背筋が粟立つ。空いている方の手で顔の線をなぞられ、その冷たさに更に身体を動かす。長く伸ばされた爪が我武者羅にシキの掌を引っかいて、赤い筋を作った。そのうちの一つからついに血が流れ落ち、女の顔に落ちる。
「ふふ、」
「さあ、おやすみ」
ずるり、と。
シキの影から、数百本の茨が一気に這い出てきた。それは、シキの影と交わった女の影からもまるで噴水のように噴き出して、女を押し潰して床に縫い付けていく。
「あぁ、ああ゛あああ゛あ゛あ゛ぁぁああああっ!!!」
脳髄を震わせるような絶叫が広間に響き、その場にいた全員の骨を、筋肉を凍らせた。
頭だけが、目の前で起こっていることの処理に躍起になってる。誰一人、シキを除いて、身体は動かせなくなっていた。
人間の腕程太い茎に生える棘はこれもまた太く鋭く、容赦なく女を突き刺し、切り裂き、巻きついて這いずり回るそれが彼女の服をずたずたに引き裂いていく。ぼろぼろになった服の切れ端さえ、蠢く茨に絡め取られ、串刺しにされた。
見やれば、あの兵士の格好をした男も同じように、女の影から湧き出した茨に絡め取られている。彼の場合は皆の頭上高く持ち上げられ、空中で羽交い締めにされていた。
茨は鎧の強靭さなど全く無視し、棘がその手足を貫いている。四肢に巻き付き、みしみしと締め付ける。時折聞くばきん、ぼきん、という嫌な音は、おそらくは骨の砕ける音であろうかとロザリーは真っ白になった頭の端で思った。
突き刺し、貫き、引き裂き、押し潰して。
「ひぁ、あ゛あ、ぐ、ぎゃ、あ、あ、――……」
ふつりとふたつの悲鳴が途絶えると、其処にはもう人の形はなく、隙間から血を流し、真っ赤に染まった茨の塊があった。
ぼたぼたと鉄臭い赤を零し、石の床に血だまりを作る。
う、と広間の中の誰かが呻いた。次いで液体の落ちる音がし、酸いの強い匂いが漂うが、それも血の匂いに掻き消されていく。
しばらくすると茨から、葉と蕾がいくつも這い出してきた。
同時に血だまりは徐々に徐々に茨の塊に吸い込まれ、床は元通りの美しく磨かれた白みを帯びた灰色に戻っていく。
最初の一輪が、ゆっくりと花開く。
それは流れた血そっくりの、真っ赤な薔薇だった。いや、薔薇には似ているが、少しばかり違う。度力かといえば、花弁の数が多い芥子の花に似ている。中央は黒く、周辺は赤く瑞々しい。花が開き始めると、血臭は薄れ、代わりにむせ返るほどに甘い花の香りが広間に広がった。
「これで、おしまい」
最後の一輪が花を開いた直後、その大量の花弁は一気に床に舞い落ちた。
ざわざわと風も無いのに舞い上がる大量の赤い花弁は酷く幻想的だが、それはとても毒々しく、感受性の強い者であれば吐き気さえ催させる程の光景だった。
茨はいつのまにかシキの影に蠢きながら戻り、その形を完全に潜めた。
あるはずの死体は跡形もなくその場から消え去っていて、ただ、名残である赤い花弁が舞い踊る。血飛沫にも似たそれを一枚宙から掠め取り、シキはぱくりと口に放り込んだ。が、すぐに顔を歪めて吐き出す。
「……見た目は、いいんだけどなあ」
眉を寄せ、蔑むようにその吐き捨てた花弁を見やる。
「――けだものの血は、やっぱりまずいよ、リーリヤ」
いつの間にか傍らに寄り添っていた紫の雌竜に、シキは語りかけ――気を、失った。
やっと狂乱じみた文が書けたかな、と。
うーん色々登場人物がいると空気になりますね、皆さん。
次回はきっと正気のシキが出ると思います。
魔法や呪文に関してはまた後ほど。