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茨の王  作者: 山臣
17/26

狂乱の晩餐会 2


ワタリビト故にこの世界のことを知らない、何か間違ったことをしたり言ったりしたら遠慮無く正してほしい、とシキはロザリーに告げた。

彼女は女官であり、実際の身分は下級貴族やその庶子、一般庶民上がりの侍女とは格が違う。だからと言ってシキが彼女への対応を変えることはありえない話だが、女官である分、その知識だの品格だのを僅かに期待していた分も、多少あった。

「遠慮無く、ですか」

「遠慮無く、です」

するとロザリーは、一瞬シキの姿を頭の天辺から爪先まで眺めてから、まるで自分に言い聞かせるように強く頷くと、シキが今まで肩に掛けていたスポーツバッグを手ずから外した。

ずっと肩に感じていた慣れた重みから解放され、シキはほっと息を突いた。その気の抜けた様子にロザリーは忍び笑いを零すと、シキの背後に回って森での行動で薄汚れてしまったコートも脱がす。

「まずは湯浴みをしていただきませんと。髪も服もこれでは、殿方の前にお出しするわけにはいきません」

嫌な予感を感じ、シキは顔を引きつらせた。

「湯浴み・・・って、お風呂で・・・・・・だ、よね」

「はい、お世話いたします」

「ひとりで、っていうのは」

「賛同いたしかねます」

ですよねー、とシキは半分乾いた笑みを浮かべる。

自分で何から何までやるという思考は貴族や王族には無いのだろうかとシキは苦笑いした。ドレスだのはコルセットもあることだし、自分では中々つけられないだろうことは知っているが、それにしてもシキの出身はまごうこと無き庶民なのである。抵抗があるのは当たり前だった。

シキはまた溜息をついて、しかし腹を括ろうとそこに力を込めると、ぐう、という奇妙なほど力の抜ける音が鳴った。

「・・・・・・・・・」

――予想外に恥ずかしい。

一瞬で顔を朱に染めたシキを、まるで姉の如く慈しむような表情でもって、ロザリーは微笑んだ。

「一先ず、お茶に致しましょうか」



ほぼ一日食べていないことをシキがロザリーに告げると、ロザリーは然程大きいとはいえない目を見開いて酷く驚いた。

何でも、この国では貧しい者でも富める者でも、誰もが何より食事を大事にするらしい。いかに粗末なものであろうとも、一日に三度ないしは二度きっちり食べるという。元々が貧弱な質であったらしいフラフィアの大地は多くの開墾の手を必要とし、そのためにも必要な食事の習慣は長い年月の中で確固たるものになっていた。

「三刻半後には晩餐がおありですし、軽めのものに致しました」

用意されたのは濃い琥珀色の紅茶と、白パンにスモークサーモンのようなものと野菜を挟んだ簡単なサンドイッチだった。マヨネーズに似たドレッシングは酸味が押さえられ、胡椒がぴりりときいていてシキにも美味しく頂けた。

リーリヤたちにはそれぞれ生肉が用意され、リーリヤにはヤギが一頭、カレヴァにはウサギが一羽与えられた。元々大地に溢れ流れる精気を糧とする魔獣であり、契約を交わした魔導師や魔女から与えられる魔力を喰らう魔使でもある彼らは、その体躯の割には普通の生物よりずっと小食だ。カレヴァはおよそ半月ぶり、リーリヤに至っては200年ぶりだそうだ。彼らにとって形あるもの食事は、ほとんど娯楽のようなものなのだ。

二切れのサンドイッチをぺろりと平らげ、紅茶も二杯飲み干した後、シキは風呂に連れて行かれた。

「裸にならなきゃだめ、だよね・・・・・・やっぱり」

「勿論です」

ロザリーも黒いワンピースドレスを脱ぎ、厚手の綿のシャツと巻きスカートに着替える。灰茶の色の髪はうなじが見えるほど高く結い上げており、どうやったらそんなにも素早く髪を纏められるのかシキを不思議がらせた。

風呂と言っても、シキの知っているそれとは段違いであり、言うなれば古代ローマの公衆浴場のような広大な施設だった。白い石英めいた材質の石を基調とし、天窓から降り注ぐ光が湯気によって拡散し、まるで大聖堂のような明るく神聖な雰囲気を漂わせている。

そこが王族や賓客が使う浴場だと知ってさらに逃げ出したくなったシキだが、ロザリーが逃してくれるはずもなく、その中でも中央に近い、明るい光が柔らかく照らし出すひとつの浴槽に押し込まれた。

様々な色合いの紅や黄、朱色や薄桃色の花びらが浮かんだ湯は白く濁っており、その独特の香りにシキはそれが普通の湯ではないということに気が付いた。

「…温泉?」

「フラフィアは臥龍山脈の火山地帯、その裾野と平野を主な領土としています。故に地脈に温められた雪解け水や鉱泉が多く存在し、また湯量も豊富なのです。王都の民も大半は大衆浴場に通ったり、少々値は張りますが自分の家に温泉を引いたりもいたします。まあ、その分普通の井戸水を探し当てるのは難しいのですが」

触れた感覚ではさらりとして、しかし滑らかに肌の上を滑る。おそらく美肌にいいのだろうな、と考えていると、さあさ脱いで下さいませ、とロザリーに急かされて中断した。

洗濯に回すからと言って、シキは手早く着ていた服を脱がされた。おそらくこれから着ることも無いだろうが、やはり元いた世界を髣髴とさせるそれは捨てがたいので、快く渡した。

「そういえば」

おそらくヘチマだろう、巨大な繊維質の塊のようなものに石鹸を擦り付けていたロザリーは体育座りで待機していたシキに問うた。

「シキ様は、今おいくつでいらっしゃるのですか」

「へ、」

「お年によって、お勧めする衣類も変わりますので」

ああ、とか、うう、と生返事をするシキを、ロザリーは訝しげ眉を寄せた。

「…いくつに見えます?」

「僭越ながら」

またロザリーの視線がシキの身体の上を滑った気がして、シキの苦笑いは深くなる。

「14、5歳、かと」

「正直に」

「・・・・・・12、3歳でいらっしゃるようにお見えになられます」

「ロザリーはいくつですか?」

「私ですか。・・・・・・先月17になりました」

流石に凹み、丸めた膝の上に顔を突っ伏したシキにロザリーは今度こそうろたえた。

「・・・・・・19歳なんです」

「は、」

「もうすぐ20歳になるんです・・・・・・」

完全に唖然とした顔になったロザリーをシキは横目で見やって、ふふふふふ、と湿った笑いを零した。

あちらでも若干幼児体型だったが、こちらではさらに幼児体型だなんて思い知らされたくなかった。半分涙目で自嘲するシキに、慌てたらしいロザリーがぽんぽんと背中を叩いた。

「大丈夫です、シキさま。そういう趣味の方も沢山いらっしゃいますから」

「ああ、そうですね・・・・・・はは・・・・・・」

それが慰めにはなっていないことをロザリーは自覚していない。

数分後、ロザリーの必死のフォローによってようやく気分を浮上させ、髪や背中、腕や足ヘチマと大量の泡で洗ってもらい、シキは身体を湯船へと沈めた。

少しぬるめの湯加減は、長風呂をするには十分気持の良い温度だ。元々鴉の行水と言われる入浴態勢のシキにも、ゆっくり浸かろうという珍しい欲も沸いてくる。こんなに素晴らしい温泉が24時間使いたい放題だというのだから、逆に恐ろしい。

「・・・・・・ロザリーは、入らないの?」

「私は後で、いただきます」

やんわり断られ、シキは不貞腐れたように唇を尖らせた。その姿はあまりに少女然としていて、こちらで成人とされる18歳を超えているようにはどうにも見えなかった。

花びらがゆらゆらとシキの周囲に揺れる。可愛らしい赤い花弁は、おそらくは薔薇の花だろう。

「ロザリーって、やっぱり薔薇って、名前なんだよね?」

「はい。・・・・・・ありきたりな名前です。私の故郷では珍しくもありませんでした」

「ふうん、でもやっぱり綺麗な名前だよ。私の名前は、茨だから」

「茨?」

「私の世界の、私のいた国だと、数え切れないほどたくさんの文字があって、それには一つ一つ意味や音があるんだ。私の名前はシキで、シは茨、キは貴いって意味があって・・・・・・薔薇には棘があるけど、花はとても綺麗だから、私は薔薇が好きだよ。――茨なんて、鋭くて、痛くて、触れるものみんな傷つけてしまうから」

茨、茨、茨。

それは名前に潜む呪いのようなものだ。その呪いを、シキはこちらに来てからたった一日だが、ひしひしとその痛さを感じている。

まるでちくちくと身体を内側から刺し貫き、苛む幻覚のような痛さ。

その感覚を振り切るように、シキはか細い腕を、自身を抱きこむように身体に回した。



浴場から退室し、髪を乾かす間にロザリーは実に様々な洋服をシキに用意してくれた。

が、その色合いや種類が今ひとつ統一感が無いと言うか、見事に種類がばらばらなのは、シキを外見通り扱うか、はたまた内面通り扱うかという一種の迷走感が織り成したものだったのだろう。そして見事にドレスばかりであったのが、予想通りすぎてシキの鬱状態に拍車をかけた。

「・・・・・・男物は、ないんだね」

「ドレスはお嫌ですか」

「似合わない自信、転ぶ自信、倒れる自信が揃ってます」

付け焼刃のお上品さでこの煌びやかな衣服たちを汚さない自信も着こなせない自信も多大にあり、着るというより着られるのはほぼ目に見えていた。


「・・・・・・あれ?」


ふと開けられた衣装箪笥に目が言って、ベッドに並べられた衣服たちからシキが顔を上げた。

しなやかな木でできたハンガーにかけられていたのは、夜の闇より濃いのではないかと思われる漆黒の上着だった。形状としては、物語の魔法使いが着そうなフード付きのローブに近い。

シキは裸足のまま衣装箪笥に歩み寄り、それを手に取った。

間違っても女物ではない装いだが、しかし仕立ても手触りも上等であったし、埃を被ってはいたが綻びも虫食いも無い。男物だとしたら随分と小柄なつくりで、おそらく女王陛下は勿論のこと、背の高めであるロザリーも着れないだろう。

ただ一つ、気になったのは、その上着がロザリーも特に覚えは無いということだった。

「空だったことを確かめたのですが」

申し訳無さそうに謝罪するロザリーに、構わないとシキは笑った。

「もしかしたら、私に着て貰いたいのかも知れないね。これに合うズボンとか、靴を用意してもらえると助かるな」

「ですが、」

どことなく不満そうにロザリーが眉を顰めたが、笑顔のままのシキの顔を見、諦めたのか調達してまいります、とだけ言って部屋を出て行った。

ロザリーの足音が遠ざかっていくのを確認して、シキはソファーへ座り、その上着を眺めた。

見れば見るほど、吸い込まれそうな黒だ。全体的にゆったりしたシルエット、ゆとりのある長い袖に、顔まですっぽり覆い隠してしまいそうな大きいフード。裾や布の端という端には全て銀と赤のラインが縫いこまれ、所々に文様をあしらってある。

袖と裾には鴉のような黒い大きな羽がいくつもそのままぶら下がっていて、その連結部分は紫水晶で出来たビーズのようだった。留め具は腹、胸、首元と均等に三つあり、紅玉に先端を輪にした紐を引っ掛けるもので、華美ではないが地味でもない安定したデザインである。

確実に引きずりそうな裾だけは少し詰めてもらおうかと考え、仮の服であるナイトシャツの上から羽織る。予想通り、裾は余りに余って床を引きずっている。このままではまるでモップ代わりだ。

「どんな感じかなあ」

シキは鏡の前で確認しようとしたが、その思考は微かな羽ばたきと慣れた気配によって中断された。

ふと気配の方向を見やると、床から天井まで伸びる縦長の窓からバルコニーに降り立ったリーリヤとカレヴァの姿を発見した。

「リーリヤ、カレヴァ」

シキが名を呼ぶと、彼女たちも気が付いたのか、器用に頭で窓を開け、部屋の中に入ってきた。その顔が獣のそれでありながらどことなく嬉しそうで、自然シキも力の張らない、自然な笑みが零れる。

『終わったのですね――花の香がいたします』

「うん、あんなお風呂初めてだった。リーリヤたちは、どこへ?」

『私達も少々身奇麗に、と。王都近くの森で源泉を発見したので、そこへ。ついでに火の精気も食らってきました』

「火の精気?」

『精気とは、まあ、命が発する熱のようなものです。私ども竜族、特にファファニールの一族は常に火を欲します。火の精霊を友とし、鉱泉を乳として、溶岩に身を沈め自身を守る、火山と灰散る空を故郷に持つ一族です。――こうやって、』

ごう、とリーリヤの鼻のすぐ下の口から細く炎が伸びた。

『炎を吐くためにも、火山や温泉、特に温度の高い源泉に満ちる火の精気を喰らう必要があるのです。少々身を清めたい時には、炎の中を潜る時もあります。やはり溶岩には叶わないのですが、急ごしらえにはなりますので』

「へえ・・・・・・触っても良い?」

『勿論』

そっと触れた鱗は、どこと無く透明度を増した気がした。濁っていた鱗は熱を帯びて潤い、まるで紫水晶を並べているかのようだ。しゃらしゃらと音を立てる翼も、美しさが段違いである。カレヴァも、その漆黒の羽毛は正に濡れ羽色だ。光に当たる場所は黒みを帯びた七色に輝いて、玉虫のようだった。

『吾が主、・・・・・・それは』

「それ?」

カレヴァの嘴がシキの羽織る黒い外套をついと引っ張る。

「さっき、何も無かったはずの洋服箪笥から出てきたんだ。面白そうだから、着てみた。――まずい、かな」

一拍の後、カレヴァはほんの少しその赤い瞳を細め、首を横に振った。

『――いいや、よく似合っているのである』

「でも、裾引きずっちゃってるから」

『いいえ、ぴったりですわ』

「……え?」

シキが床を見ると、そこにはたっぷり余って引きずっていたはずの布が存在しなかった。裾は踝の上まで縮み、袖も全く手が出ていなかったのに、ゆったりして長めなものの、きちんと指先が筒状のそこからのぞいている。

「な、んで・・・・・・?」

見た手違いであっただろうか、と思おうとして、首を振る。確かに引きずっていたのだ。

『……これは魔法の品であろうな。着る者に合わせ伸縮を自在にする技だろうが……これが、吾が主を着られるべき主君に選んだのかも知れぬ』

「服が、私を?」

『良き職人に作られ、良き者に使われ、長い時に置かれたモノは魂を得ることがあるそうです。――これもきっと、その類か魔法の品でしょう』

不思議だとは思ったが、気味が悪いとも嫌だともシキは感じなかった。どことなく守られているような気がして、逆に気分が良い。いつも着るものはこれにして、この上着に合うものをいくつか選んでもらおうとシキは心に決めた。

「シキさま、お待たせいたしました」

話の調子を見計らったかのように戻ってきたロザリーに礼を言って、シキは一度上着を脱いだ。

一度大きく叩いて残った埃を取って差し込んだ陽の光に晒す。



それはとてもとても美しい、酷く綺麗な玉虫色を湛えた濡れ羽色に見えた。






コメント下さる方、ありがとうございます!

うう、五臓六腑に嬉しさと優しさが染み渡るぜ…!!


最初が難産だったので、進む進む。

また変に伏線張ってます…回収作業はまだまだ遅延しております。



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