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茨の王  作者: 山臣
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序章



街灯や車のライトもまばらな夜の闇を、最終電車の心地よい故の中で眠い目を擦りながらぼんやりと見つめる。

もう起きなければいけない、もうすぐ駅に着くのだ。

こういう時ばかりは、連日連夜終電帰りの新米社員に睡眠時間があるのは嬉しいなと思ってしまう。結局うとうとするだけだと言われたらそれまでだけれども、その、うとうと、が気持ちいいのだ。過労死寸前の睡眠時間を思えば、通勤の乗車時間は馬鹿にできない。


発車してから数駅で大半の乗客は降りてしまうので、席の争奪戦には苦労しなくて楽だ。現にこの前から二番目の車両には私以外に誰もいない。――まあ、私の住んでいる町が不便だということなのだけど。

終着駅のある私の町は、昔は炭鉱の中継地として栄えたらしい、割と新しい町だ。駅の周辺は商店街やビルもあるけれど、それも鄙びていてほぼシャッター街に近い。郊外はほとんど畑や農地だ。唯一有名といえば、遊園地があるぐらい。しかしそういうエンターテイメント施設に限って地元の人間はあまり行かないから、やはり畢竟私の町は田舎なのである。公道より私道と農道の方が多いんじゃないのか。

「はあ」

欠伸を堪えもせず、そのまま大きく溜息をついた。

もう少しお金を貯めたら、会社のある町にアパートでも借りようか。

――明日も仕事だ。

ぐう、と胃が空腹を訴えて唸った。


座りっぱなしでろくに休憩も取れないし、尻も身体も全部固まって痛い。ご飯も食べる暇が無い。なんなんだこの過労死スパイラルは。

朝は早いしたまに始発で行かなければいけないし、夜は終電で週末はサラリーマンの間を押しつ押されつで、十代最後だっていうのに青春も何もあったものじゃない。しかも休日返上のサービス残業まで入った日には、自分何で生きてるんだろうと考えることしきりだ。仕事内容は詳しくは言いたくない。電車の中でまで思い出してたまるか!

でもそんな軟弱なこと言ってるから怒られるんだろうな。

わかってはいるんだ、わかっては…自分で自分が嫌になるゆとり教育。

あれか、末っ子だからって甘やかされてそれに甘えてたのがいけなかったのか。それともいい子ぶって先生や親の言うこと聞いてばかりだったのが?どっちも?ていうか社会の右も左も分からないのに、自分で考えてやれっていうのもわからない。無理だ。怒られるのが怖くて、萎縮するばかりで大事なことを自分から聞いたりできないのも駄目なんだろうな。


ああ、鬱になる。



もう一度溜息をつくと、丁度いつも変わらない爽やかなアナウンスが耳に入った。



<ご乗車の皆様、お疲れ様でした――終着、○○駅、○○駅です>


膝の上に置いたままになっていたコンビニのペーパーバックを閉じて、手に持ちながら席を立つ。

意外とコンビニのペーパーバックには面白い題材が多い。忍者についてだとか、世界の毒についてだとか、各国の軍事力についてだとか――自分でも妙なチョイスだというのは自覚している。

ファンタジーが好き、というよりは歴史の不思議や民間伝承や宗教の解説が好きだ。

妖怪だとか、妖精だとか、神話だとか。現実逃避?否定はしない。

でも純粋に、面白いではないか。

人々の想像力、科学など無かった時代に産まれた「納得させる術」。

それが真実であろうがただの狂人の妄想であろうが、語り継がれたことに意味があり、それこそが歴史になる。

これだけ力説できる仲間がいないというのも少し悲しいけれど。


入り口近くのポールを握ってしばらく、ホームの定位置に入った電車のスライドドアが開いた。

いつも同じ位置に停車するというのは大変だな。流石鉄道先進国日本。

ホームに降り立つと、運転車両の窓からひょっこり顔をのぞかせた運転手の男性と目が合ったのでお辞儀をすると、彼もにっこり笑って頭を下げてくれた。

ああ、人の和ってこういうことだよな。たったこれだけで和む、癒される。

いい気分になりつつ歩き出そうとしたら、運動不足で強張っていた足がもつれてしまった。

「わっ!」

慌てて体制を立て直す。

が、結局思い通りにならない身体は膝からホームの障害者用の黄色いブロックに激突し、突然の痛みにうがぁ、と乙女らしからぬ叫びを上げてしまった。乙女とか柄じゃないわ。

痛みに顔をしかめつつ、バックから物が散乱していないか確かめて――ふと気づく。


「本!」


本は何であろうと(眉唾ものであろうと)財産だ。人生の資産だ。本からもらえる情報は、たとえ百聞は一見に如かずと言われようとも数多い。そう、たとえコンビニの安いワンコインのペーパーバックであろうとも!

活字中毒の気がある私は必死で辺りを見回すが、あの派手な外見の分厚いペーパーバックは見当たらない。

まさか、と思いつつ――電車とホームの隙間を、覗き込んだ。

「……あった」

それはホームの蛍光灯の暗い明かりを微かに受けて、そこに浮き上がるようにしてあった。

「よっ…」

オイルの汚れなどを気にしながらも、腕を隙間に入れてみる。が、もちろん届くわけが無い。無駄な足掻きという奴だ。まだ半分しか読めていないのにあんまりだ。

すると、降りてきた運転手の男性が気づいたか近寄ってきた。

「どうしたんですか?」

おお、貴方は天の救いか。

「すいません…本が隙間に落ちてしまって、取れなくて」

これは恥ずかしいな、本のタイトルが「戦艦大和の全て」なだけに。一般的な華の二十歳前が読む内容か。

そうですか、少し待っていてくださいとやはり爽やか顔の運転手は軽やかにホームの階段を上っていかれた。彼も疲れているだろうに、余計な労働を強いて申し訳ない。

マジックアーム的なものがあるというのは噂で聞いたことがあるが、そんな馬鹿でかいアームが本当にあるのだろうか。見てみたい。

それではやはり恥ずかしくて、何とか自力で取れないものかと再度手を隙間に突っ込んでみる。

早くしないと、きっと駅の前で迎えに来てくれているだろう母に心配をかけてしまう。

遠い町で仕事も遅い私を、危ないだろうからと朝晩必ず送り迎えしてくれるお母さん。お母さんだって、自営業だけど仕事をしているのに。

――畜生。

やはり、取れない。

わきわきと指を動かしてみる。


――すると、何か触れるものがあった。


「え、」


まさか、取れたのだろうか。

そんなわけはない。


しかもそれは、微かに動いているようだ。

まさか虫か、それは勘弁願いたいとぎょっとして腕を引こうとすると、がしりと手首を掴まれた。


――掴まれ、た?


ひゅ、と息を飲み込む。


ぞっとするほど冷たいが、けれど無機物の冷たさではない。

生温かいような、妙な現実感を伴った肉の温度。

――誰かの、手。


「ぁ、」


喉の奥から引きつった声が出た。


別の手が、腕を這い上がってくる。

湿ってもいない、乾いてもいない、白い白い、生白い蛇のような腕。

視界に、這入る。


腕を、肩を通って、それはぺたりと私の頬に辿り着いた。


もう腕だけではない。


赤い瞳が、人など入る隙間も無い闇の中に、二つ浮かんでいた。

白く綺麗に並んだ歯が見えて、それが薄い三日月のように歪む。

とても気味が悪いのに――その笑みが、とても悲しいものに思えた。

だからなのか、私は生白い腕の力が一瞬緩んだのにも気づかず呆けてしまった。




――見つけた。




高いような低いような、割れ響く声が笑った。

次の瞬間、尋常ではない力が、私の腕を引き抜かんばかりに引いた。


視界の端に、驚いたように目を見開いたあの運転手が映る。









それが、私の、私の世界で見た最後の景色だった。



ちなみにこれ、ほぼ99%作者の実話です。

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