第1問 後編「不思議な人」
初めての作品投稿です。拙い文章の作品ですがよろしくお願いします。
県民コミュニケーションセンター。
そこは演劇や吹奏楽コンクールなどが行われる大ホールに、併設の美術館、国際コミュニケ―ションルームなどが集う県民の憩いの場となっている公共施設である。
そんな県民コミュニケーションセンターには、自習コーナーがある。特に仕切りがあるわけではなく、一人掛けの小さな席と、最大4人で座ることのできるテーブルが並べられているだけのスペースだが、夕方は多くの高校、大学生と一部の勉強熱心な中学生で溢れている。
会話の声はほとんどなく、シャーペンを走らせる音と紙をめくる音だけが響く静かな自習スペースの中で、春一は高校の宿題を片付けた後に、学校の鞄から数冊の参考書を取り出した。春一は、ここ一か月毎日のように県民コミュニケーションセンターに訪れては自習に励んでいる。
「───分かんねえ」
誰にも聞こえないくらいの声量で呟き、参考書とにらめっこする。玉法生に馬鹿にされたのは初夏、その言葉を引きずってしまい、夏休みを全力で楽しむことができなかった。
何をしていてもあの時の言葉が脳裏に浮かび、心が痛くなった。だが中々勉強する気にならず、ついだらだらしてしまい、そんな自分に嫌気がさした。
そして夏休みを終えて秋に差し掛かり始めた九月の中旬。意を決して参考書を購入した。一番人気と紹介されていた参考書だが、それすらも簡単に解けない。だがそれでもなぜだか少しだけ気持ちよかった。難しい問題(春一からしたら)で頭をいっぱいにすると、モヤモヤした心が少しだけ消える感覚がした。まだ進路について深く考えていなかったこともあり、ぼんやりと大学にさえ行くことができたら、自分の中に確実に芽生えたコンプレックスを克服することができるのではないだろうかとさえ思えてきた。
県民コミュニケーションセンターには多くの進学校の生徒がいて勉強に励んでいるため、松桜の制服を着ている春一の事を怪訝な目で見る人もいる。解いているのが中学レベルの参考書ということもあって、中には完全に馬鹿にしてくる人もいる。しかし家の中では誘惑に勝てないから、ここで勉強をするしかなかった。嫌な気持ちは難問の中にダイブして誤魔化した。
「ねえあの人」
囁き程度の声量で、美咲が朱音に声をかけた。
「ん?」
朱音が顔を上げると、美咲がペン先で松桜高校の制服を着ている男の人を指しているのが分かった。
「あの人いつもいるよね」
「そうだね」
美咲の発言は関心と無意識の見下しが入り混じったような声色とともに発せられた。ここ数年時々この県民コミュニケーションセンターで勉強をしているが、いわゆる低偏差値の高校の生徒を見るのは中々珍しい。定期テスト期間にの短い期間こそ様々な高校の制服で溢れるが、それ以外の期間は所謂進学校の生徒が占拠している。そんな中で、ここ一か月松桜高校の制服を着ている人が、テスト期間でもないのにずっと勉強していたら、どうしても目立ってしまう。
凄いな。声にこそ出さないが心の中で朱音は呟く。少なくとも自分には絶対にできない。そもそも県民コミュニケーションセンターでの勉強も美咲が行こうというから着いてきているだけで、一人だったら恐らくここで勉強しない。誰かに自分の不甲斐ない回答が見られるのではと考えてしまうからだ。玉法生なのに。そんなことを思われてしまうのではないか。ありえないとは分かっていても、ネガティブな思考は止まらない。
だからそんな状況でひたすらに勉強しているあの高校生のことが不思議であると同時に少し尊敬している。
───すっかり暗くなった。県民コミュニケーションセンター自体はは22時まで開いてはいるが、自習スペースを含む殆どのスペースは20時で消灯する。あまり遅くまで明るいまま開いているとヤンキーのたまり場にでもなると危惧しているのだろうか。朱音がそんなことを考えながらシャーペンを走らせていると、ふっ、と辺りが真っ暗になった。
「もう20時か~。はやいね」
「そうだね」
美咲と話をしながら荷物をまとめる。美咲は、はやいと言ったが、朱音からすれば非常に長く感じていた。
「トイレ行ってから帰ろ」
「うん」
美咲の提案に沿ってトイレを済ませ、鏡の前で髪を整えたりしていると、すっかり15分ほど時が流れていた。二人は自習スペースの椅子に置いていた荷物を回収して、自習スペースのある三階から一階に降りる。美咲は電源を切っていたスマホの電源を入れ、インスタを開いてストーリーを確認しながら歩いている。朱音はそれを目の端で捉えながら隣を歩く。一階は薄暗いが、少しだけ電気が点いているところがあるので歩くのには困らない。中にはそこそこ明るいスペースもある。
それは併設されているカフェテリアの席の一部だ。一階の中央にある大きな銅像を照らすスポットライトの光の一部が机に届いているのだ。カフェテリアの席は営業時間中は自習などは禁止という張り紙がなされているし、ただご飯を食べようにも高校生の財布が大ダメージを負うほどには料理の値段が高いので朱音は立ち寄ったことがない。
その机に参考書を広げている人がいた。おそらく完全に消灯する22時まで勉強を続ける気なのだろう。
「(勉強熱心な人なんだなぁ。どこの学校の人だろう?)」
少しだけ首を動かして確認すると、そこにいたのは松桜の制服を着たいつもの男の人だった。
「え」
「どしたの朱音?」
「ううん。なんでもない」
そう応えて、その後もてきとーに会話しながら建物の外に出る。駐輪場に止めている自転車のカギを外して、そこで別れる。
美咲の背中を見届けて、朱音は自転車のペダルを漕ぐ。
「(あの人、どうしてあんなに頑張っているんだろう?)」
疑問が一瞬胸をよぎるが、その感情は月夜の空気に溶けるように消えていった。