愛してくれとは言わないから、隣にいることだけは許してほしいの
この作品は、『冤罪で獄死したはずが死に戻りました。大切な恩人を幸せにするため、壁の花はやめて悪役令嬢を演じさせていただきます。お覚悟はよろしくて?』(https://ncode.syosetu.com/n0283ii/)と同一世界の物語です。
『冤罪で獄死したはずが~』は、2024年5月2日より一迅社様から発売されている「ノベルアンソロジー◆悪女編 なりきり悪女は溺愛までがお約束です 」に収録されております。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
「アンタ、いい加減にしなさいよ」
「だから、あたしは絶対に大聖女になんかならないって言ってんの」
国境沿いの山の中、今日もまた聖女シンディと彼女の守り役である神官レイノルドが言い合いをしていた。それを初めて見る村長たちはおろおろとしているが、旅の同行者たちは慣れたもの。今日もまたふたりでじゃれているのかと笑いながら眺めているばかりだ。
「やっとこさ、けじめがついたのよ。これで憧れの王都に帰れるじゃない。それに巡礼の功績が認められて聖女の格も上がる。一体何が不満なのよ」
「あたしの生きる道はここにあるの。勝手にあたしの将来がどうとか言わないで」
「アンタの仕事ぶりが中央神殿で評価されたっていうのに、本当に天邪鬼な子ね。あんなに帰りたがってたくせに」
「一体いつの話をしているのよ。あれから何年経ったと思ってるわけ? 考えが変わるには十分すぎる時間が過ぎたわ。あたしはこのまま巡礼の旅を続けてやるんだから!」
聖女は可憐な見た目からは想像できない大声をあげると、わざと足音を立てながら村の祠に祈りを捧げに向かう。神官は、やれやれと頭を振ると大げさに肩をすくめつつ彼女の後を追った。
***
聖女シンディは、かつて王都で盛大にやらかした過去がある。当時の王太子と恋仲になった挙句、自分たちを諫めてきた令嬢を断罪しようとして逆に断罪返しを受けたのだ。
礼儀作法と人間関係の掌握のために放り込まれたはずの学園では、遅刻早退は当たり前。試験も落第寸前で、王太子の腕に絡みついたまま一日を過ごしていた。
当時、王太子にはれっきとした婚約者も存在していた。だがシンディは、表立って注意されないことをいいことに、めくるめくラブロマンスに身をゆだねていたのである。もちろん、シンディと王太子の恋が成就することはなかったし、手痛いしっぺ返しも受けた。貴族の常識から鑑みれば当然の結末だったが、平民の中でも下層の出身であるシンディにはまさに青天の霹靂だったのだ。
王太子は元王太子となり、隣国の奇特な趣味を持つ公爵夫人の元で躾けられているらしい。風の噂によれば、今ではすっかりお利口な犬になったのだとか。そしてシンディはと言えば、王都の中央神殿という最も華やかな職場から異動となってしまった。具体的には、過酷なことで有名な巡礼の旅に出ることになったのである。
『汗水垂らして、ド田舎を歩き回るとか絶対に無理だから。さらにはお風呂もお手洗いもない、虫やらなんやらがいっぱい出てくる場所で野営とか絶対にいやああああ』
『わがままばっかり言ってんじゃないわよ、このお子ちゃまが!』
『いやあああ、こわいいいい。美形神官がいるって言ったのに。嘘つきいいい』
『怖い? あら、可愛いの間違いよねん?』
美形だが死ぬほど毒舌の神官レイノルドに根性を一から叩き直されることになったシンディは、涙を流して抵抗したがもちろん聞き入れられるはずがなかった。
国内の僻地に建てられた祠に魔力を注いで回り、国全体の浄化と民への布教を同時に行うことになる旅は、正直なところ一般男性でもひるむような環境だ。
そのため旅に参加するのは戒律に厳しい屈強な神官たちばかり。通常は引退間際の聖女が退職金をはずんでもらう代わりに引き受ける仕事だったりする。だがもともと平民として暮らしていたこともあり、シンディはすぐに例の世話役の神官にも馴染み、巡礼の旅にも順応してしまった。
王都から追放された事情があったとはいえ、若く美しい聖女による巡礼の旅は、辺境の民に大層歓迎され、彼女の人気と実績は中央神殿も無視できないほどになったのである。だがこの時には既にシンディの心は、神殿における出世などではなく、もっと身近なひとへ移ってしまっていた。
『まったく、本当に不細工ねえ。どうして無駄な厚化粧をしているんだか』
『はあ、どういう意味よ。って、ちょっといきなり顔を濡らすな』
『あら、結構可愛い顔してんじゃない。アンタ、すっぴんの方がよっぽどいいわよ。化粧したけりゃ、アタシに声をかけなさい。いろいろ教えてあげるから』
『アンタ、貴族の人間関係もちょっとは勉強しなさいよ。派閥を把握していないと、足元をすくわれるどころか、命を失うわよ』
『王族ヤバっ。神殿怖っ』
『今回、中立派の貴族がアンタを庇ったから、死なずに済んだのよ。もうちょっと感謝しておきなさい』
『偉いひとの世界って怖いわ。贅沢できて嬉しいとか言ってる場合じゃなかったわ』
レイノルドは口は悪いが、とても良い人間なのである。出会った当初からシンディを叱りつけ、陰になり日向になりシンディのために心を砕いてくれたレイノルドに、シンディはすっかり惚れこんでしまっていた。この国の神官たちは、妻帯が禁止されているわけではない。だから聖女がその任を終わらせた後であれば、夫婦になることだってできる。けれど、シンディの場合には大きな問題があった。
(レイノルドさま、おねぇなのよね……。恋愛対象にすらなれないって、一体どうすりゃいいのよ)
シンディはひとりうなだれながら、祠を目指し進むのだった。
***
「あった、祠みっけ!」
ひとりで村はずれまでやってきたシンディは、国を守る結界の要となっている祠を見つけた。場所によっては修繕が必要なことも多々あるが、今回は村でしっかり管理してもらえていたようだ。古びてはいるものの、祠も清められていてその中に収められている魔石もしっかりと役目を果たしている。
(それなら今回は、魔石に魔力を注ぐだけで大丈夫そうね)
シンディは祠に手をかざすと、心を込めて歌い始めた。捧げる祝詞はたくさんの種類があるが、祠に向き合えば魔石が求めている祝詞がどれなのかすぐにわかるのだ。それはシンディの特技であり、密かな自慢でもあった。
国を守り、人々を見守ってくれていることへの感謝を込めた歌声が伸びていく。もともと平民で下町育ちということもあり、はすっぱな物言いのシンディだが歌を捧げている間だけは姫君もかくやと言わんばかりの神々しさを身にまとう。現実とは異なる神代の世界に繋がることができるのだろう。
白く濁っていた祠の魔石が、水晶のように澄み渡り輝き始めた。込められた魔力は、結界として再び辺境に張られることになる。祠の魔石はその美しさゆえに盗賊に狙われそうなものだが、悪しき心を持っている者は近づくことすらできないのだとか。まったくうまく作ったものだ。
(売り飛ばしたら、ぶっちゃけいくらくらいになるのかしら)
少しばかり下世話なことを考えてしまうのはご愛敬。シンディは十分に魔力を注がれた魔石を見ながら、深々と頭を下げた。歌い終わると同時に、周囲の木々の蕾が一斉に花開く。巡礼に携わる者だけに許された幻想的な光景だ。
(本当にいつ見ても綺麗ね)
「本当にいつ見ても綺麗ね」
(へ?)
思わず自分の心の声が外に出てしまっていたのかと戸惑うくらいの同じタイミングで、誰かの声が聞こえた。そこにいたのは、神官のレイノルドだ。どうやら喧嘩別れしたシンディをこっそり追いかけてきていたらしい。
(跡をつけられていたとか、全然気が付かなかったんだけど。なんか絶妙に腹が立つわ。でもこの綺麗な風景を好きなひとと一緒に見れるのは、やっぱり嬉しいし……。ああ、なんかもやもやする!)
とりあえず、さっさと王都に帰れと何度も説教してくることについては、一旦忘れてあげることにした。
***
普段はお節介なくらいよく口の回るレイノルドだが、今日ばかりは信じられないほど静かにしている。聖女の奇跡の一端を目にしたことで、感動しているのかもしれない。
(まあもともと神官になるくらいだし、信心深いのは当然よね。でもさあ、その感動の景色を実際に見せてあげたのはあたしなわけだし、女神さまへの畏敬の念を抱くよりも先にこっちにお礼を言ってくれてもいいんじゃないの?)
少し唇をとがらせていたシンディだったが、途中で小さく耳を澄ませると、嬉しそうに顔をほころばせた。
「あははは、本当に? いいの? わあい、ありがとう」
「ちょっと、アンタ、誰と話しているの?」
「あ、そこら辺の妖精さんたち。秘蔵の花の蜜をお裾分けしてくれるって。今回、魔石に魔力を充填した影響で、かなり大地に力が満ちたみたい。おかげで予想以上に花も満開になったらしくて、感謝されちゃった。えへへへへ、役に立ってよかったあ」
胸を張りつつ、シンディがけらけらと笑う。貴族のご令嬢は楚々と微笑むが、シンディはお腹から声を出している。そのことを品がないと咎めてくるひともいるけれど、笑い方くらい自由にさせてもらうつもりだ。それは、辺境に来ていろんなことを学んだ彼女にとって譲れない大切なこと。
(王都に行ったら、何でも禁止されちゃう。大口を開けて笑うことも許されなくなるし、レイノルドさまにも会えなくなっちゃう。そんなのごめんだわ)
だが、そんな胸の内なんて明かすつもりはない。いつものように当たり前の顔をして、レイノルドと手を繋ぐ。最初は巡礼の旅を嫌がるシンディが逃げ出さないようにするために、レイノルドがシンディの手を掴んでいたのだ。それがいつの間にか、シンディから嫌がるレイノルドの手を握るようになってしまった。
「今回も、めちゃくちゃがんばっちゃたもんね。どうよ、こんなに頑張り屋さんの聖女、手放したくないでしょ。一緒に巡礼の旅を続けたいって言ってくれたら、あたし、頑張っちゃうんだから!」
「だから、これだけの術が使えるんならさっさと中央神殿に戻りなさいよ」
「お断りです!」
「あっそ。まったく祠にどれだけ力を注ぎこんだんだか」
「あたしが回った後、次に来てくれる聖女がいつ現れるかわからないからね」
「だからって倒れたらどうするつもりよ」
「そうなったらレイノルドさまが運んでくれるでしょ!」
「アンタって子は」
「あ、歩き始めたら思った以上に疲れてたわ。おんぶして」
「だから、それくらいは余力を残せって言ってるでしょ!」
「いいじゃん。じゃあ、よろしく。お姫さまだっこで運んでくれてもいいよ?」
「置いていくわよ?」
「ごめんなさい」
(いっぱい頑張ったんだもん。これくらい、役得があっても許されるよね?)
呆れたようにため息をつくレイノルドの背中で、シンディはうっとりと目を閉じた。
***
村に戻っていたシンディを待っていたのは、村の子どもたちへの加護を求める声だった。快く引き受けるシンディの隣で、珍しくレイノルドが渋い顔をしている。
「祠に魔力を注いできたばかりでしょ。無理したら倒れちゃうわよ」
「別にいいよ。聖女と言っても、万能じゃないから何でもできるわけじゃないけど。小さな子どもたちが、大きな怪我や病気をしないように、大人にとって気休め程度の加護ならあたしにもできるし」
そして案の定、子どもたちへ加護を授けたシンディはうっかり気絶。目が覚めた瞬間から、こんこんと説教をされる羽目となった。
「アンタねえ、もうちょっと自分を大事にしなさい。魔力が空になるまで働いて、魔力切れを起こしたら気絶とか、身体に悪いでしょう。見ているアタシの心臓にだってよくないわよ」
「昔はレイノルドさまが『逃げるな、働け!』って言って、あたしを馬車馬のように働かせてたじゃん」
「ちょっと、言い方! あれはアンタが『巡礼の旅なんてやってられるか!』って言って、しょっちゅう逃げ出そうとしていたからでしょうが」
「それを考えると、あたしも成長したもんよねえ」
「生き方のふり幅が極端なのよ。もうちょっと穏やかに生きてちょうだい。アタシの命がいくつあっても足りないわ」
「じゃあ今度からぶっ倒れないように気を付けるから、それなら聖女としてずっと隣にいてもいい?」
「アンタ、その考え方を捨てないといつか悪い男に騙されるわよ」
「レイノルドさまになら、騙されてもいいわよ?」
普段はぐいぐい来るレイノルドが本当に疲れたように肩を落としているものだから、シンディは思わず吹き出してしまった。そのせいだろうか、言うはずのなかった素直な気持ちが口をついて出てくる。
「旅を始めて気が付いたの。あたしに注意をしてくれた人たちが、どれだけ親切だったかってこと。だって、平民上がりの聖女なんて馬鹿の方が扱いやすいのよ。お飾りにするにしても、失敗して今のあたしみたいにみんなが嫌がる仕事をさせるにしてもね」
「あら、ちゃんと理解していて偉いじゃない」
「もう茶化さないで。学園に通うように言ってきた神殿の偉いひとは、いつもあたしの心配をしていたわ。学園でいつもあたしのことをガミガミ叱ってきたひとだって、意地悪でやっていたわけじゃあなかったんだよね。あたし馬鹿だからさ、学園の卒業記念の夜会で殿下に作ってもらったドレスをあたしがもらえなかったのは、嫌がらせだって本気で思ってた。あのドレスを作るために使われたお金が、本当は殿下の婚約者さまのために使われるべきお金だったなんて考えもしなかった。そのお金がどこから何のために集められたものなのかも」
ずっと下町で貧乏暮らしをしていた平民娘が、聖女になって貴族の世界を知り、同じように贅沢をしたいと思った。上に立つ者の義務も知らずに、権利だけを主張すれば痛い目を見て当然なのに。
「レイノルドさまは、そんなあたしのお世話を押し付けられたはずなのに、見捨てなかったでしょ。どんなにあたしが馬鹿なことをやっても根気強く大切なことを教えてくれた。そんな素敵なひとの近くにいたら、好きになっちゃうのは当然じゃん」
「アタシもあんたのこと、嫌いじゃないわよ」
「仕事仲間とか、友だちとしてじゃ、意味ないんだもん。でも恋人とかそういうのは無理だってわかってるから、ずっとそばにいたい。愛してくれとは言わないから、隣にいることだけは許してほしいの」
「あら、アタシは可愛いものに目がないだけで、男性が恋愛対象だなんて言った覚えはないんだけれど?」
「え? あ、はいいいいいい?」
「やだ、アンタ、もう健気すぎでしょう。本当にバ可愛いんだから」
かくしゃくとした曾祖母に、武人のような祖母、しっかり者の母にかしましい三人の姉たち。女系家族の末っ子長男は、ごくごく自然な流れで、綺麗なものや可愛いものが大好きな乙男に成長してしまったのだ。相手が油断してくれてちょうどいいからと、普段の口調はあえておねぇなままの美形神官はすっかり呆れた顔でシンディを見つめ返してきた。
***
「まったく、アンタは全然ひとの話を聞かないのだから。アタシがどれだけ忍耐強いか、わかってないでしょ?」
「……レイノルドさま?」
「アンタみたいにぼんやりしている子は、アタシみたいなのが付いていないとあっという間に好き放題されちゃうんだから」
「なんか馬鹿にされていることだけはわかった」
むっとした顔でレイノルドを見つめるシンディに、仕方がないとでも言いたげにレイノルドが肩をすくめてみせた。シンディよりもずっと長くてさらさらの髪をかきあげて、これ見よがしにため息をついてくる。
「聖女の巡礼に同行する神官っていうのはね、それなりの素養を求められるの。聖女ほどとはいわずとも、ある程度の魔力は持っていなきゃいけないし、神殿騎士並みの攻撃力と剣術や体術が使えなくちゃいけない。それに何より大事なことがあるんだけど、アンタ、それが一体何かわかってる?」
「好き嫌いしないで何でも食べられて、お腹が強いこととか?」
何せ巡礼の旅は、王都とは全く異なる習慣を持つ地方を巡るのだ。好き嫌いをしていたら食べられるものもなくなってしまうし、ちょっとしたことでお腹を壊していたら旅なんて続けられないだろう。
(下層出身の貧乏人で良かったと思ったのは、この時くらいよね。腐っていなけりゃ、何だって食べられる)
大事なことだが今必要な話とは異なる話題に、レイノルドの眉間の皺がますます深くなった。
「一番大事なことは、聖女に決して無体を働かず、欲望を理性で抑え込むことができる強靭な精神力を持っていること」
「はあ、最後のそれって何? 意味わかんない」
「神官と言っても、所詮は人間なの。若くて綺麗な女の子が聖女としてやってきたら、ふらふらと心惹かれて職務を忘れちゃうかもしれないでしょ」
「レイノルドさまが普通の神官さまみたいだったら、あたしに興味を持ってくれたってこと? でも、レイノルドさま、あたしのことそういう目で見たことないじゃん」
「本当にアンタって子は」
「ひはひ、ひはひっれば」
頬を思い切り引っ張られたシンディが抗議の声を上げるが、レイノルドはどこ吹く風。その手を緩める気はないらしい。
「しかも今回の聖女は、王太子サマを誑し込んだっていうじゃない。どんな悪女が来るのかと思ったら、何も考えていないただの考えなしのアホの子が来ちゃってもうびっくりしちゃった」
「まさかの悪女扱いからのアホの子。ひどい」
「婚約者がいた王太子サマに粉をかけ、聖女という地位にあぐらをかき、貴族の常識から逸脱した行為を平気で押し通していたんだから、そこだけ聞いたらおもしれえ女どころか本気でヤベえ女なのよ」
「本当に反省しているから、もう蒸し返さないで。我ながら恥ずかしすぎる」
「わかってるわよ。アンタはただ単に何も考えていなかっただけ。綺麗なものや楽しいことが大好きで、突然の事態に舞い上がっちゃっている小さい女の子と同じだったもの。毎日馬鹿なことばっかりやってきたくせに、『好きなひとのそばにいたいから、仕事を頑張る』とか健気なことを言い出して。子どもが大きくなるのは早いわねえ」
「ちょっと、なんでそんなくだらないことばっかり覚えているのよ!」
「だって、何かやらかすたびにべそかいてたアンタ、可愛かったんだもん。アタシってば、可愛いもの大好きだし。だからずっと可愛がってきてあげたでしょう?」
「可愛がってた……。わりと問答無用な可愛がり方だったよ?」
「そりゃあポンコツのままにしておいたら、いろんな悪い奴らに利用されるってわかってるもの。アタシの可愛いシンディが隙を見せていいのは、アタシの前だけよ」
突然の甘い言葉に、シンディはとっさに返事ができなかった。まるで愛の告白にも聞こえる。けれど、レイノルドの意図がわからない。だが、無言で固まってしまったシンディの反応はレイノルドの求めていたものではなかったらしい。静かに目をすがめて、問いかけられる。
「王太子サマの件もそうだけど、まさか絶対に自分に振り向きそうにない男を追いかけるのが趣味とかじゃないでしょうね?」
「そんなわけないじゃん。確かに、殿下と付き合ってたことは事実だけれど、だからと言って、ふしだらだとか、本気じゃないって思われるのは完全に心外なんだけど」
「別に恋多きことを責めているわけじゃないのよ。それに、王太子サマよりもアタシはいい男ってことでしょう? まあ、光栄じゃない」
「そう言ってもらえると助かるような?」
不意にレイノルドがにやりと笑った。可愛らしい猫が大きな口を開けた瞬間、肉食の猛獣の仲間だったことを思い出すような、あのどこかどきりとする感覚がよぎる。
「まあ、俺を本気にさせたのはお前なんだ。せいぜい、責任はとってもらおうじゃないか」
「ひゃ、ひゃい?」
(俺? 男言葉? 待って、待って。どっちが、本性なの?)
「どうした? 俺に見惚れたか?」
「無理無理無理っ。カッコ良すぎる!」
「お前が祈りを捧げる姿は美しいが、寝台の上で俺だけのために歌う姿はさらに美しいのだろうな」
「やめて、耳元で変なこと言わないで!」
(ヤバい男を好きになっちゃったかもしんない)
気づいた時には、もう首までずっぽり沼の中。きっとこの居心地の良い沼に囚われたまま一生を過ごすことになるのだろう。それでもまあ別に幸せかもしれないと思うほどには、シンディはこの神官に首ったけなのだ。
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