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88恋につける薬は、なし〈最終話〉

 春の大祭ひと月前のある日。


 コンコンコン


「エマ様、ルシエンヌ様がお越しになりました」


「やあ、エマ」


 ホランヴェルス公爵家筆頭執事ジェームズが来客を告げるのとほぼ同時にルシエンヌがエマに声をかけ部屋に入ってきた。


 エマは読んでいた手紙から顔を上げ「ルー、いらっしゃい」と迎える。


 エマは以前と同じように、ジークヴァルトの屋敷に住んでいる。

 グレイ女伯爵に叙爵された時に皇太后ジェシカから離宮で共に住もうと誘われたが、それを聞いたジークヴァルトがなりふり構わず宰相である父親のデイヴィッドやルイス王子に頭を下げて協力してもらいなんとか阻止したのだ。


 ルーこと、オースト国公爵家令嬢ルシエンヌはルイス王子と婚約を発表してから時間ができればエマと一緒にジェシカの離宮を訪ねたり、ホランヴェルス家でお茶だったりランチだったり夕食を食べて帰ることも。しょっちゅうエマを訪ねて来ているので今では勝手知ったる他人の家となっている。


 そして、ルシエンヌの行動はルイス王子へ報告されるため、夕食を共にする日の帰りはホランヴェルス家に迎えにきてオースト国大使館へ馬車で送るというパターンが出来上がっている。


 そんなことをしていてはルイス王子も大変だろうとエマは思ったが、


「衆人環視の立場では、馬車でのひとときが二人には貴重なようだ」


とジークヴァルトが教えてくれた。


 気軽にデートができない立場なので、馬車で送る時間がデートがわりらしい。


「ちょうど今カトリーヌさんからの手紙がきたの」


「カトリーヌ…て、リポン男爵夫人から?」


 カトリーヌ・フォン・リポン男爵夫人は、ルイス王子の元側室候補の一人だった令嬢だ。

 エマがテューセック村でホージ侯爵の雇った賊に襲われそうになった時にルイス王子の命令でいち早く駆けつけてくれた。

 カトリーヌはテューセック村の隣領の領主リポン男爵と結婚をし、今ではエマと手紙をやりとりする親しい関係だ。


 ところで、執拗にエマを狙ったホージ侯爵だが、全ての罪が暴かれた後は爵位を剥奪(はくだつ)され平民に落とされたが、元貴族のため終身刑となり命を取られることはなかった。

 また、その取り巻き貴族や商人たち、そして毒草の売買に関わった者たちも罪の重さにより罰が下された。

 だが、令嬢マリアンヌの(あつか)いは違った。

平民の身でありながら皇太后を(だま)して侯爵家養女となりルイス王子の婚約者として社交界で傲慢(ごうまん)に振る舞っていたため、罪は重大として貴族たちから(おおやけ)での処刑を望む声が多く上がった。

 だが、皇太后がマリアンヌを『魔女』と判断したあやまちを認めたため、温情(おんじょう)として『毒を(たまわ)る』ことで貴族たちは納得し決着したのだった。そして、その毒はエマが調合した。


 エマは皇太后に利用されたマリアンヌを気の毒に思っていたが、何度も襲われた恐怖をなかったことにしてあげるほどエマはお人好しではない。

 服毒刑の執行前にたっぷりと恐怖を与えるよう演出してもらった。


 エマは手紙のうち、ある一通をルシエンヌに手渡した。

 それは、リポン男爵領の孤児院で働くある女性の様子を報告したものだ。


「孤児院の子供たちや村の子供たちも集めて字や計算を教えて、給金を誤魔化された女の子のためにきっちり取り立てに行った…ははは、たくましいな」


 手紙には、その女性が元気よく生活している姿が報告されていた。


「記憶を失っても学んだことを忘れていないのはエマの匙加減(さじかげん)?」


 エマは首を振る。


「彼女が必死で勉強して身につけたものだからよ」


「なるほど、努力したことだけは(いつわ)りなく彼女自身だものね。

今は間違いなく自分に自信を持って生き生きと輝いていると思うよ」


「…うん。私もそう思う」


「エマ、そういえば一度聞きたいと思ってたのだけど。

エマの『調合した薬』なら人を()れさすことも本音を聞き出すことも出来るよね?

それなら、エマがあんなに悩むこともなかったんじゃ…?」


「え?………あっ!ああっ!確かに!…気づかなかった」


「気づいてなかったの?!」


「うん、そっか、そうよね、一服(いっぷく)もってジークヴァルト様の本音を聞き出せていれば、あんなにぐるぐる悩まなくても…」


「エマ、言い方」


「ふふふ、うそ、嘘。

本当に気づいてなかったけど……

うん、でもやっぱり、

恋に薬つかうのは…反則(なし)

なし、なし、ダメよ。

彼とは紆余曲折(うよきょくせつ)いろいろあっての今だもの」


「いろいろ…か。

ふむ…そういえば、リポン男爵夫人が春の大祭の舞踏会に来るなら元側室候補の二人も?」


「ええ、カトリーヌさんが二人も紹介してくれるって」


「元側室候補が全員集合か。

よし、私は知らなかったことにしておくよ。

ルイスが私の前でどんな顔をするのか見ものだ。

どんなふうに(いじ)って…いや、()ねてやろうかな。

紆余曲折ないとね」


「弄るっていった?ルイス王子が気の毒、ほどほどにね」


 二人が顔を見合わせて笑っていると、ジェームズがジークヴァルトの帰宅を告げにきた。


 玄関のエントランスで笑い合っていると、もちろんルイス王子も一緒に帰ってきた。


「ただいま、ルシエンヌ、エマ。楽しそうだね。二人が笑っている姿をみると疲れも吹き飛ぶよ。

なんの話をしていたんだい?」


「ルイス、おかえり。

エマと何を話していたのかって?

それは…春の大祭が楽しみだって話さ」


「ああ、ルシエンヌ、僕だって楽しみさ。

それに君のご両親も来ていただけるのだから」


 ルイス王子が満面の笑みで大げさに両手を広げルシエンヌに抱きつこうと歩み寄ってくると、ルシエンヌはエマの隣からじりじりと後退していった。

 王子からのスキンシップにまだなれないルシエンヌの可愛さにエマはクスッと笑った。


「エマ、ただいま」


 ジークヴァルトがエマの(ひたい)に口付けて抱きしめる。


「おかえりなさい」


 ジークヴァルトの胸に頬をつけ背に腕をまわし抱きしめ返す。

 包み込んでくれるこの抱擁がエマは大好きだ。


「俺も春の大祭を楽しみにしている。

あれから一年か…あの時の俺にこの一年後の幸せを教えてやりたいよ」


 今年の春の大祭は、特別だ。

 シュタルラント国の貴族のみならず、各国の王侯貴族たちが世継ぎの王子への祝いに大勢詰めかける。

 そして、エマ・イルヴァ・フォン・グレイ女伯爵への求婚者もどっとやって来るはずだ。


 だが、彼らの出鼻(でばな)(くじ)くように、ホランヴェルス公爵家嫡男ジークヴァルト・フォン・ホランヴェルスとの婚約が発表されることになっている。



[完]

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