86峠の宿にて
ジークヴァルトがベッドに入ってくるとマットがギシッと軋んだ。
するとエマの体がーーー
ゴロンッ。
「うわっ、ご、ごめんなさいっ!」
重みで引き寄せられた体を慌てて離し間をあける。
(どうして、こうなった…?!)
もう部屋を出て行く必要はないと言ったエマにジークヴァルトは素直にしたがってくれた。
そうなると当然ベッドはエマがつかうようにいわれたが、ソファはどう見てもジークヴァルトには小さ過ぎる。
それを横目にゆっくり眠れるわけがない。
だから「大きめのベッドだし二人で寝れますよ」と言ったのだが、ジークヴァルトはグッと押し黙ってしまった。
まだ遠慮しているのかと「ね?」と念を押すと「わかった」と承諾してくれた、のだがーーー
(ドキドキし過ぎて眠れるわけがない!)
さっき自分が言った言葉の大胆さにやっと気づいて体温が上がったまま下がらない。
エマの提案を承諾したジークヴァルトはいたって冷静だったし、着替えを調達してくるので鍵をかけておくようにと言われたときも今のうちに自分も寝衣に着替えておこうとのんきに思っていた。
むしろ、さっきの告白を思い出しては嬉しいやら恥ずかしいやらでニヤけていたくらいだ。
(一緒のベッドに寝ようなんてっ!なに言ってんのよ!私のバカ、バカ、バカ~ッ!)
今さらどうしようもない。
とにかく、ジークヴァルトの方へ傾かないようにビシッと真っ直ぐな姿勢で固まった。
「エマ」
「ハ…ハイッ」
「…少し、話さないか」
ジークヴァルトの口調はいつも通りだ。
これが経験豊富な大人の余裕なのかも知れない。
私はこんなに緊張しているのに…と、なんだか少し胸がモヤッとした。
二人寝転んで天井を見ながら、ジークヴァルトがルイス王子とルシエンヌの結婚のことを話題にした。
すでにルシエンヌの尻に敷かれているようだが結構お似合いだとジークヴァルトが言うのでエマは二人の様子を想像してクスクスと笑った。
エマが二人の結婚を知ったのは茶会の後すぐにオースト国大使館を訪ねた時だ。
ルーと兄のトリスタンの歓迎ぶりに戸惑ったが、おかげで沈んでいた気分は幾分浮上した。
ルーから「一番に報告したかった。ずっとこの国にいるよ」と、ルイス王子との結婚話が進んでいることを教えられた。
声をあげて驚くエマにルーは「少し見直した部分もあるからね。ただの軽薄な馬鹿王子ではないって。どうせ政略結婚ならいくらか知っていた方がましだし。それに、王子は私に惚れている」と悪戯っぽく笑ったのだったーーー。
(惚れてる…か。どうして分かるの?って聞いたら、『私を見る目に手応えを感じた』って…手応えかぁ…)
ふと、跪いたジークヴァルトから向けられた眼差しを思い出した。
みるみる顔がかーっと熱くなる。
「薬草の研究はやめるのだろうか」
「えっ!?ああ、えーと、いえ、続けるそうです。
それに、王子妃になったら貴族以外も医術の勉強ができるようにもっと学校を充実させたいって」
「そうか…」
「あの…」
「ん?」
「ルーのお兄様とご一緒していたことですが…
じつは婚約者のご令嬢の手袋をお見立てしていたからなんです」
「手袋?」
「はい…」
じつはエマをオースト国へ熱心に誘ったのも、大使館へ戻るなり知らせを出したのもトリスタンの希望が強かった。
大使館で紹介された彼の婚約者はセーラという名の優しげな美しい女性だった。
だが、彼女の首からデコルテにかけて皮膚に炎症が広がっていた。夏場に虫に刺された小さな傷から広がったらしい。
どうにも治らないとルーも首を振った。
トリスタンは決して『魔女』という言葉を口にしなかったが、ルーがエマのことを敬愛し親友だと言うなら自ずとエマが誰なのかは分かっているだろう。
頭を深く下げるトリスタンにエマはもちろん快諾した。
必要な薬草はルーの手持ちのものが揃っていた。
二、三日もすればすっかり治るはずだが、寝ている間に掻かないように柔らかい絹の手袋をしたたほうがいいとすすめたのでトリスタンとともに店に寄ったのが真相だ。
「婚約者のセーラ様の肌が弱いようなので就寝中に肌を傷つけないように柔らかい手袋をおすすめしたんです。
だからお店へ…」
「そうか、…そうだったんだな」
「はい、たくさん買われてました。
セーラ様をとても大切にされています。ふふふ」
「…エマ、」
「はい?」
「あの川へ落ちてしまった君の宝物。
あれは本当にもういいのか?とても大切なものだと言っていたのに」
「……はい、本当にもういいんです」
「だが、今探せば見つかるかも知れない」
「本当にもういいんです。
あれを探すために誰かがあの冷たい川に入るなんて絶対いやですから」
エマがジークヴァルトをとめたように、川に入る誰かは誰かの大切な人かも知れない。
そう思えばあの携帯にそこまでの価値はない。
「…そうか、わかった。
それから…あの財布なんだが、持っていてもいいだろうか」
「あんなものでいいんですか?」
「あれがいいんだ」
「でも、ハンカチの方が持ちやすいですよ?
刺繍を入れましょうか?」
「それももらう」
「ふふふ、わかりました」
「では、お礼は中に入っていた小銭と同じ枚数を金貨でかえそう」
「それはいりません、小銭返して下さい」
「ははは、そうか」
こんなふうにとりとめのない話をしているうちにいつの間にか緊張もほぐれ、ジークヴァルトの低い静かな口調は次第にエマを眠りに誘っていった。
しばらくすると、ジークヴァルトは肩に温かな重みを感じた。エマから規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
ジークヴァルトの方へ転がらないように頑張って抗っていたのだろう。
「はあ、やっと眠ったか…。
まったく、この子は。一緒に寝ようといいだすとは思わなかった。
告白の意味を分かっているのか?
君は『はい』と言ったのだぞ?」
そっと起き上がり覆いかぶさるように手をつくとエマの穏やかな寝顔の上に大きな自分の影が重なる。
痛々しい頬の傷に触れないようそっと額に口付けた。
(こんな宿で求婚同然の告白をすることになるとは…。)
ジークヴァルトは正式な求婚こそは絶対盛大にするぞと心に誓ったのだった。
そして、ポケットからあのロケットペンダントを取り出すと眠るエマの首にそっとつけた。
エマの胸元で自分の瞳と同じ色をしたアイスブルーのダイヤモンドが再び輝く。
ジークヴァルトは満足げに微笑むとエマの体をそっと抱き込む。
すると、エマが体温を求めて無意識にジークヴァルトの胸におさまってきた。
穏やかな吐息を感じる。
ジークヴァルトは思い切り抱きしめたい衝動を大きな深呼吸をして鎮めるとエマを優しく包み込み目を閉じた。
翌朝、目覚めたジークヴァルトの腕の中でエマはまだ穏やかに眠っていた。
彼女の頬に貼った布がずれていたのでそっとめくってみる。
驚くことに赤黒く変色していた打撲の跡が綺麗に治り、元の滑らかなツヤのある頬になっていた。
エマの『魔女』としての力を、こんなにはっきりと目の当たりにしたのは初めてだった。
利用しようとか利用できるとかそういった気持ちは微塵もわかない。
ただ彼女が傷つかないように傷つけられないように守らなければと気持ちを新たにした。
「エマ、エマ、おはよう」
エマはまだ夢の中にいるようだ。「うふ、…すてき……ふふふ」と寝言を言って笑っている。
このまま寝かせてあげたいが、そろそろ起きなければならない。
ジークヴァルトがエマの顔にかかる髪を耳にかけてやりながらもう一度声をかける。
するとやっとエマの目が眠たげにぱかりと開いたが、いまいちまだ覚醒していないようだ。
どうするのだろうと横臥しながら見ていると、目の前にあるジークヴァルトの胸元をコレはなんだろうという感じでペタペタと触っている。
(可愛い。)
今度は顔をついっと上向けたのでジークヴァルトは思いっきり魅了的に微笑んで「おはよう」と言ってみた。
まだぼんやりと二、三度瞬きをしていたが、いきなり目をバッと見開らくと、ピャッと音がするほどの勢いで飛び起きた。
思わず笑いそうになったが、エマが勢いのままひっくり返ってベッドから落ちそうになったのでジークヴァルトは慌てて抱き止めたのだった。




