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79厄介な女

 叩きつけるように閉められた扉の音にエマの肩は再び揺れた。


「あ…ああ…」


 か細い嗚咽を漏らしながら崩れるようにベッドへ倒れふす。


 読書棟から戻ったエマはずっと自分を(あわ)れんでいた。

 自身を見てもらえず、想いもないのに触れられて自分ばかりが翻弄されるのは(かな)しくて哀しくて、もうこんな思いは嫌だ。

 ずっと強がっていただけ、結局本心はジークヴァルトに好きになってもらいたい。一緒にいたい。


 なのに、そこに追い討ちをかけるようにジークヴァルトが寝室まで無遠慮にやってきたのだ。


 荒い足音をたてながらジークヴァルトが突然寝室の扉を開けた時、エマの哀しみは怒りにかわった。


 扉を開け放ち立つジークヴァルトは無言で恐ろしかった。

 蒼銀の髪は暗い室内で黒ずんだ鈍色(にびいろ)に見え、端整な面差しにかかった長い前髪から覗くアイスブルーの瞳は冷たく()わっていてエマを値踏みするように頭から足元まで視線を走らせた。

 欲を隠さない目をしてまるで大きな(けもの)のようだった。

 口づけが暴力だと言った言葉でジークヴァルトをここまで怒らせてしまったのかも知れない。

 でも、思い通りにならなければ腕力で従わせようとこんな所まで乗り込んでくる人だとは思わなかった。

 湧き上がる恐怖に目を背けて、こんなやり方には絶対に屈服しないと思った。


 下手に動いても声を上げてもならないと頼りないナイトドレスの胸元を強く押さえ固唾(かたず)を呑んで身構えた。

 するとジークヴァルトはエマのその態度を馬鹿にするようにふっと鼻で笑ったのだ。

ショックだった。(あざけ)るなんて信じられなかった。

 紳士的でエマを常に気遣ってくれていた欠片さえ感じられなかった。

 いや、本当はこれが高位貴族の、そして次の宰相となる人の本性なのかも知れない。


 でも、ベッドへ押さえつけられ強烈なアルコール臭とともにエマに投げつけられた言葉で、自分が大変な思い違いをしていたことに気がついた。


ーー奴に乗り換えるつもりか?

(やつ)は何と言っても王位継承権を持った公爵家の嫡男だからなっ!


ーー最初にそう言う目で俺をみてきただろ?

俺がその気になったら嫌がるのかっ!


 皇太后ジェシカがエマの身をホランヴェルス公爵家に任せると言ったなら、嫌も良いもなくジークヴァルトがエマを引き受けなければならない。

 そこにジークヴァルトの意思など関係ない。

 それが分かりきっているから父親との会話で何の感情もあらわさなかったのだろう。


 でも、彼にも心はある。

 『魔女のエマ』に親切に出来ても、結婚は違う。

 嫌だという本心を理性でねじ伏せていたから、酒を飲んで(たが)が外れるとこうして本音が出たのだ。


 結局、ジークヴァルトにとってエマはーー


 自分に色目を使ったはしたない女で。

 義務で結婚しなければならない女で。

 一度は受け入れたくせに二度目のキスは嫌だ、暴力だとわめく面倒くさい女で…。


 とうとうジークヴァルトの怒りが爆発したのだ。


 その証拠に、目に自我が戻るとジークヴァルトはいきなりエマから飛び退きひどく動揺していた。

 普段は冷静で沈着なジークヴァルトだ。正気に戻ってしまえば、もうエマに怒りをぶつけることなんてできるはずもない。

 うまく懐柔していたエマに本心をみせてしまった自分の失態に舌打ちをし、行き場のない怒気を扉にぶつけ出ていった。


 エマは自分ばかりを(あわ)れんでいた。

 ジークヴァルトの気持ちを思いやれていなかった。

 彼を追い詰めてしまった。

 きっと本命の恋人がいるのかも知れない。


 服毒騒ぎをおこしたエレノアのように、ジークヴァルトを(わずら)わせ迷惑をかける存在にはなりたくないと思っていたのに。


 一番厄介(やっかい)な女が自分だった。


(最悪。とんだ自己中…)


 エマはベッドからのろのろと起き上がりゴシゴシと涙を袖で拭いた。


(早くこの国を出よう。)


 まだ正式に結婚がきまった訳じゃない。

 それなら、いま出て行ってもエマの勝手で済むはずだ。

 もたもたしていたら皇太后ジェシカたちに説得されて身動き出来なくなるかも知れない。

 そう思い立ったエマは、クローゼットから古びた旅行鞄を引っ張り出し荷物を詰めはじめた。


 でも、視界が(にじ)んでなかなかはかどらない。

 何度も何度も乱暴に袖で涙を(ぬぐ)った。


 最後に古いワンピースのウエストに縫い込んで隠していたわずかなお金を解き出すと、小さな巾着袋にしまった。


 足音を立てないよう古びた靴を手にひたひたと冷え切った廊下を裸足で走った。


 使用人用勝手口の扉をそっと開けると、冷たい空気が肌をさす。

 エマはやっと靴を履くと、門番の小屋にそっと近く。

 窓から覗くと幸い門番は眠りこけていた。

 エマは首から蒼い宝石が散りばめられたペンダントを外すと窓の外にそっと置き、掛けてあった黒い外套を盗み、鉄製門扉の(かんむき)を慎重にゆっくりと引き抜いた。


 体ひとつ分開けた門扉からのぞいた外は暗闇に向かって道が続いていた。

 こんな暗闇に外に出るなど何があっても文句は言えない。

 でも、エマは「どうにでもなれっ」と真っ暗な闇に向かって小走りに飛び出した。



✳︎

 僅かな月明かりの眉月の夜は若い娘でなくても歩くには恐ろしいほどの暗さだった。

 だが、すっかり無謀(むぼう)になっていたエマは街の方へ向かって黙々と歩いた。


 乗り合い馬車の停車場まで何事もなくたどりついてしまった。

 始発までまだまだ。

 どこで待とうかと思って見回すと、細い路地が目についた。

 路地の隅っこにでも座っていればいいだろう。

 すると、


「これこれ、お前さん」


とエマに声をかけたのは花を籠いっぱいに背負った老婆だった。

 ()を浴びる前に摘み取った花を市場に持っていくのだろう。

 老婆は、「そっちに入っちゃ危ないよ。こんな時間にお前さんみたいな若い娘が行くもんじゃないよ」と心配声で言うと「こっちへおいで」とわざわざエマの手を引いて停車場の待合へ連れていってくれた。

 でもまだ閉まっていて扉をガタガタとしていると、今度は管理小屋から腰の曲がった老人がやってきた。

 老人は旅行鞄を持つエマを見ると「寒いし外は危ない。中に入りな」と扉の鍵を開けてくれた。


 小さく頭を下げたエマに二人は「いいよ、いいよ」「気をつけてな」と穏やかに応えてくれた。


 優しさが痛かった。


(どうにでもなれって飛び出してきたのに…あんたみたいな女がなに優しくしてもらってるのよっ!

イルヴァだから?

だから『世界』が優しくしてくれるの?

ズルい女っ。

そんなのダメよっ。)


 自分を(なじ)りながら膝にのせた旅行鞄に顔をうずめて泣いた。


 どれくらいたっだろうか、人が出入りする気配に顔を上げると、いつも間にか待合室には何人かの人がやってきていた。


 泣いているうちに眠ってしまっていたなんてと自分の図太(ずぶと)さを鼻で笑った。


 もうすぐ夜が明ける。夜明け前のぐっと冷え込んだ空気を感じる。

 みんな無口に腕を組みコートに顔を埋めて始発をじっと待っていた。


「これから…どうしよう…」


(この『世界』だって、生まれて老いて死んでいく元の世界と何も変わらない。


………………どこかの、

どこかの街の片隅(すみっこ)で誰にも迷惑かからないようにこっそり生きていけたら…


これから寒さも厳しくなってくるし、南へ…行こうかな。)


 この国の南側は海に面している交易都市だ。

 そこから外国へ向かって船が出ていた。

 エマは何となく南へ向かうことを決めると旅行鞄を持ち待合室を出た。

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