77強引
離宮からの帰りの馬車内、エマは流れていく景色をただ目に映していた。
向かいに座るジークヴァルトは何もたずねてくることはなかった。
無口で視線も合わせないエマを変だと思っているだろうに。
車内にはガラガラと走る音だけがひびいていた。
エマは無表情をよそおい混乱した感情に必死に堪えることで精一杯だった。
応接室内での会話を聞いてしまったあの時、なんとか立ち直ったエマは大きく深呼吸してから扉をノックした。
戻ったエマをジークヴァルトの父親であり現公爵家当主、そして宰相であるデイヴィッド・フォン・ホランヴェルスはそれはそれは親しげな笑顔を向けて出迎えてくれた。
茶会の最中ホージ侯爵から心ない言葉を投げつけられたことを気づかい、家族と理不尽に離れてしまったことを慰め、五年間も辺境の村で暮らした苦労を労ってくれた。
そして、現公爵邸に遊びにきて是非妻にも会って欲しい、美味しいお菓子を用意して待っているよとウィンク付きで誘われた。
圧倒されそうなほど前のめりなデイヴィッドの態度に、扉越しに聞いたことは聞き間違いだったのかとさえ思えた。
だが、確かに言った、『義務』だと。
ーーーホランヴェルス公爵家の義務だと思え。
ーーー父上、皇太后様のご意向は私も承知いたしました。
彼女は必ずホランヴェルス家に迎えますのでご心配なく。
(一国の王子や大貴族が一庶民の私に関わる理由も、ジークヴァルト様の誤解が解けた理由も、私に対する態度が親しげになった理由も、私が『魔女』だからだって納得していたはず。
それに、こんなモテる男に関わっても私みたいな小娘には手に負えないって、引いて見ていたはず。
なら、私は何にこんなに傷ついているの?)
「おかえりなさいませ、ジークヴァルト様、エマ様」
馬車を降りると、ジェームズとメイドたちが出迎えてくれた。
「ただいま、ジェームズ」
ジェームズはニコニコと微笑みながら「よいお茶会だったようですね」と応じた。
後ろに立つエマには見えないが、ジークヴァルトはとても機嫌のよい顔をしているのだろう。
想像通りジークヴァルトは「ああ、全てうまくいった」と大きく頷いた。
それはそうだ、毒草密売騒ぎが皇太后ジェシカのシナリオだと見抜き一斉摘発の準備が狙い通りにいったのだから。
もしも、一斉摘発の準備がされていなければ、ホージ侯爵の失脚を知るやいなや逃亡や隠蔽をはかる者もいただろう。完全勝利なのだからすこぶる機嫌も良くなるはず。
ジークヴァルトの背を見つめながらそんなことを考えていると、ジークヴァルトがくるりと振り返った。
エマは驚き、一歩後ずさりそうになる。だが、視線があったかと思うと気付けば肩を引かれふわりと抱き寄せられていた。
「エマ、俺はこのまますぐに王宮へ行かなければならない。
今日は疲れただろ?ゆっくり休みなさい。
夕刻には戻るから夕食は一緒に」
と言うと、「今夜は久しぶりに二人でゆっくり話そう」と耳元でささやくき躊躇いも遠慮もなくエマの頬にキスを落とした。
そして、ジェームズに「あとは頼んだ」と言い置くとエマの肩を軽くポンとたたき颯爽と馬車に乗り込んでいってしまった。
エマはエントランスを離れていく馬車を身動ぎぎもせず立ち尽くし見送った。
「…、…エマ様?エマ様?」
ジェームズからの何度目かの呼びかけにエマはやっと首をそちらに向けた。
「ああ、すみません。少しぼんやりとしてしまって」
「たいへんお疲れのご様子ですね。お茶会で何か…」
ジェームズが聞きたそうに言い淀んだが、エマは曖昧に微笑み「…いえ」と首をわずかに振った。
ジェームズが聞きたいのは主人とは対照的な様子のエマについてなのだろうが、「……そうですか」と気づかないふりをしてくれた。
だが、ジェームズとの会話はそこで途切れてしまった。いつもなら気にならないほどの沈黙が気まずい。
するとジェームズは「ああ、そうでした」と少し大げさに言うと内ポケットから一通の封筒を取り出した。
「先程届きました、エマ様宛てでございますよ」
と少し気取ったようにエマに差し出した。
和ませようとするジェームズの態度にエマは口角を少し緩めそれを受け取ると差出人はルーだった。ぱあっと笑顔になると、その場で封を手で切り手紙を取り出す。
内容は短く、オースト国から大使館に戻ったので是非すぐにでも会いたいと書かれてあった。
「ジェームズさん、すぐに馬車を用意していただけませんか?オースト国大使館へ行きたいんですっ」
ジェームズは返事に詰まっていた。
当たり前だ。いま帰宅したところで着替えもせず、それに先触れもなくいまから他国の大使館へ行くなど非常識だ。
でも、帰宅してからのエマの様子や馬車を出せと珍しいわがままに何か察してくれたのだろう。少し逡巡してから馬車を用意してくれた。
✳︎
夕刻、ジークヴァルトは逸る気持ちで屋敷への帰途についていた。
膝の上にはホージ侯爵邸から取り返されたエマの薬箱がのっていた。
他にもエマに貸した植物図鑑を含む盗まれていた物が全て馬車に積まれていた。
エマの驚き喜ぶ顔を思い浮かべながらジークヴァルトは薬箱をそっと撫ぜた。
貴族の馬車が通る道はだいたい決まっている。高級店が立ち並ぶ大通りは必ず通るルートだ。
だから、見知った貴族を見かけることは珍しいことではない。
この時もある店の前で、笑顔で談笑しながら馬車を降りる紳士と令嬢の姿がジークヴァルトの目に飛び込んできた。
ジークヴァルトはすぐに壁を叩いて御者に止まるよう指示したが、急には止まれない。
馬車2、3台分は通り過ぎてしまった。
慌てて後方の窓へ振り向く。
「トリスタン・デ・グローシュ…?」
黄昏時の視界の悪い時間帯だが、紳士の方はエマの親友の兄、隣国オースト国の公爵家嫡男だった。
共にいた令嬢はすでに店内に入り姿はもうない。
ジークヴァルトは一瞬令嬢がエマに見えたが、そんなはずはないと首を振った。
そして、あの兄妹はもう大使館に戻ったのかとエマに纏わり付くだろうことを想像してため息をつき再び馬車を走らせた。
だが、帰宅するやいなやジークヴァルトはジェームズの言葉に耳を疑った。
「エマがオースト国大使館へ?!」
「帰りはグローシュ様がお送りするので、ということで当家の馬車は返されてきました」
先ほど見た男女はやはりトリスタンとエマだった。
ジークヴァルトは眉間に深い皺を寄せた。
✳︎
初冬の夜は早い。
外はすっかり暗くなっていたがまだ夕食前の時間帯。
ジークヴァルトが屋敷に帰ってから半時間ほど後、正門からオースト国大使館の馬車の到着が告げられ、ジェームズは玄関でエマの到着を待った。
馬車からはまずトリスタンが降りてきた。
彼はエマの手をとり降ろすと「今日は本当にありがとう」と両手で覆って固く握手をした。
再び馬車に乗った後も「それでは、また必ずっ」と名残り惜しそうにエマを見つめて去っていった。
その様子を見ていたジェームズはいやに親密なトリスタンの態度に不快なものを感じたが、去るトリスタンに手を振るエマの横顔はいつものような自然な微笑みが戻っていた。
だが安心したのはつかの間、「ただいま戻りました。ジェームズさん」と振り返った時には微笑みは消え遠慮がちに口角を少し上げただけだった。
ジェームズはとても大きな違和感を感じた。
「お帰りなさいませ、エマ様。
ジークヴァルト様も先程お帰りになりまして、読書棟でエマ様をお待ちです。
ご夕食のご用意が整うまでそちらで少しお待ち下さい」
「わかりました」の一言だけで読書棟へ向かうエマの背中を見送りながらジェームズはとても嫌な予感におそわれた。
✳︎
コンコンコン
「どうぞ」
ドアをノックすると中からジークヴァルトが応えた。
読書棟の中は大きなシャンデリアがあるが、今は数個のランプがテーブル付近に置かれてあるだけで、膨大な書籍のほとんどは暗闇の中に消えていた。
「お待たせしてすみませんでした。
何か私にお話しですか?」
「ああ、………オースト国大使館に行っていたのか?」
「はい、ルーが手紙をくれたのでジークヴァルト様が王宮へ行かれてすぐに私も」
「……そうか」
「はい……」
「ここへ呼んだのはこれを…君に返そうと思ってな」
テーブルの上には見覚えのある薬箱や調合に使う道具類や書籍に紙類らが並べられてあった。
「これっ…私の…」
「ホージ侯爵邸で見つかった。
これで全てだろうか。確認してくれ。
気にしていた植物図鑑もこの通り破損もなく無事だ」
ジークヴァルトが適当なページを開きエマに見せるようにしたので長椅子の彼の隣に自然と腰掛けることになった。
エマは図鑑を手に取り小さな破損もないか確かめるように全体を撫ぜた。
「よかった、本当に」
「帰りはグローシュ殿が送って?」
唐突な問いだったが、何気ないジークヴァルトの口調にエマも「はい、帰りに少し買い物にお付き合いして、」と答えながら顔を上げた。
だが、エマを見下ろすジークヴァルトの眼差しは口調とは裏腹に何かを探るような強いものだった。
エマは思わず視線が泳いでしまい、それを誤魔化すように植物図鑑へと落としたが、ジークヴァルトの手がエマの顎をとらえそれを許さなかった。
声を上げる間も無かった。
ジークヴァルトの唇がエマの唇を塞いだかと思うと、無理矢理口内に舌が割って入ってきた。
無意識に抵抗した左手は手首を捕らえられ、右手はジークヴァルトの服を引いたがびくともしない。
エマはなされるがまま口内を蹂躙された。
急にこんなこと嫌なのに、頭がぼうっとして流されてしまいそうになる。
もう訳がわからなくなってとうとうエマの目から涙が溢れてこぼれた。
やっと唇が解放されると、エマは突き飛ばすようにジークヴァルトの胸を押したがびくともしない。
それどころか、反動で膝から貴重な植物図鑑がバサリと音を立てて落ちエマも長椅子の下に派手に尻餅をついてしまった。
はあはあと荒い息を吐き顔を上げると、ジークヴァルトは驚いていた。
こんな強烈な拒絶にあうと思っていなかったかのように。
「どうして私にキスするの?!
こんなこと平気でされるの嫌ッ!」
(『義務』だと言われて、どうしてあんなにショックだったのか分かった。
この人がただ頷いたからだ。
少しの嫌悪でも、少しの喜びでも、とにかく扉越しに聞こえたこの人の声からは何の感情も感じ取れなかった。
今までの優しさや気遣いは『魔女』である私が必要だったから。
それは私も納得してる。
でも結婚は違うでしょ?!
少しの感情の揺らぎもないなんて…
どこまで『私』のことどうでもいいと思ってるのよ!
『私』のことなんてどうでもいいのにどうしてこんなことするの!?
ああ、あなたにとってはこんなの大したことないのよね?
あなたを取り巻く美しい女たちはみんな喜ぶのよね?
だから私も喜ぶと思った?
強引にキスでもしてやれば従順になると思った?
帰りの馬車で愛想笑いもしなかったくせに勝手にルーに会いに行ったから怒ったの?
ああ、またそんな気分になっただけ?
あなたのことが好きだから私ばっかり傷ついて…)
エマは涙と唇を乱暴にゴシゴシと拭いながら立ち上がると、
「愛もないのにこんなことやめて下さい。
こんなのーー暴力です」
と言い捨てて読書棟を出た。




