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72『魔女の秘伝』の書

 エマはミルクピッチャーを手に取ると左手で口元を隠し囁いた。

 いまはテーブルの長さがありがたかった。

 ルーンを唱えるエマの声は絶対に聞こえないだろう。


 ちなみに、読み取ったシロップの中身はスイモアなどと可愛らしいものではなかった。

 エマを殺す気満々の内容だった。ご丁寧にヘビの毒まで混ぜてある。


(念のために動物由来の毒を混ぜたのね…)


 皇太后はまっすぐとエマの方を向いている。この威厳ある人がこんな姑息な嘘をつくようには思えなかった。

 ホージ侯爵はエマに目もくれず自分の紅茶をすすっているが、その悠然とした態度がかえって違和感たっぷりだ。

 それに『問題点を潰す』と言っていた。


 この毒はきっと侯爵の仕業だ。

 今エマが死んだとしたら、毒をすすめた皇太后が公然とエマを毒殺したことになる。


 マリアンヌはというと、絶対的な安全圏から見せ物でも見るような顔をしている。


(彼女はこの毒のことを知ってるの?

それにしても…何なのこの無邪気さ!あー腹立つ!)


 エマはカップの紅茶にシロップ全てを垂らしスプーンでかき混ぜる。

 ゆっくりとスプーンでルーンをかき、そしてティーカップの縁で雫をきって引き上げた。

 大きく息をはき、カップを持ち上げる。


(『魔女』探しはやっぱりルイス王子との結婚が目的か…。これを飲んでルイス王子と結婚するつもりなんてさらさらないけど…やっぱり悔しいじゃない。魔女ドリスの跡を継いだ『魔女』は私なのに、こんな卑怯な人たちの前で証明しないっていうのはっ!)


「エマッ!止めろ!」


 ジークヴァルトが声をあげるが、エマは紅茶をゆっくりと飲み干した。


 勢いで置いた空のカップと皿がカシャンと高い音を響かせた。


「んんっ、ん、」


「エマッ!!」


 ジークヴァルトが椅子を倒して駆け寄りエマを抱き込むが、手で口を抑えたエマはされるがままになっていた。


 応える余裕がなかった。


 たっぷり入れたシロップの絡みつくような甘ったるさといろいろ混ざった変な味で自然と眉間に皺が寄り、口の中の気持ち悪さが尋常じゃない。


「…甘っま、不味(まっず)っ」


(植物毒でヘビ毒を相殺したのはいいけど、もっと味を調整するんだった!)


「こ、こんなことあるはずがない!」


 何も起こらないことに一番反応したのは、やはりホージ侯爵だった。


「トリックだ、この娘の仕組んだトリックだっ!」


 予想なら、エマは殺人級の劇薬を飲んで今ごろ悶え苦しんでいるはずなのだから。


 怒鳴りながら立ち上がりエマを指差す。


「毒を消しただと?!

あり得ない!どんな手を使った!

ああそうだ、卑しく下賤な者は人の物をスリとる手技に長けていると聞く。

すりかえたのだな?

そうなのだろう!

こうなることを見越してあらかじめ用意していたのだな!」


 言っていることがめちゃくちゃだ。


「何という計算高い恐ろしい女だ!

田舎娘が『魔女』だと言い張ってスルスルとこんなところまで入り込んでいることが証拠ではないかっ!

お前はあの村に来る前はどこで何をしていた?

さぞ、人には言えん辛酸を舐め生きる術を身につけたんだろ!

今まで何人を騙し何人に取り入った!」


 ダンッ!!


 ジークヴァルトがテーブルを叩きつけ、侯爵の口撃(こうげき)を遮った。


「皇太后様っ!どのようにお考えでしょうかっ!」


 ジークヴァルトがエマをかばいながら、怒りをあらわに皇太后へたずねるが、(さえぎ)られ無視されたホージ侯爵がジークヴァルトに噛みつく。


「こうなったら確たる証拠を見せてもらおうではないかっ!お前たちはあの本を持っているのだろうな!」


 ジークヴァルトが冷たい視線だけをホージ侯爵に向け、


「あの本…『魔女の秘伝(レシピ)』などというものは作り物だと彼女は言っている」


と、冷静に答えると、ホージ侯爵は「はっ!次はそうきたか!」と吐き捨て、


「皇太后様、私は示された場所でこのマリアンヌとあの本を見つけたのです!」


と助けを求めた。 


 成り行きを静かにみていた皇太后は、不機嫌にため息をついた。


「侯爵…落ち着きなさい。

だが、品物をすり替えるという手品もあることだし、侯爵が納得できない気持ちもわかるかしら」


 これにはさすがにルイス王子も黙っていなかった。


「皇太后っ!毒を(あお)らせておいて効かなければ納得できないとはっ!

いい加減にして頂きたいっ!」


 だが、この抗議に皇太后は


「まあまあ、お前が私に声を荒げるなんて姿初めてみたわ」


と大げさに驚き、ホホホと笑った。

 そんな態度に気色(けしき)ばんだルイス王子が口を開こうとすると、皇太后はこう提案した。


「ルイス、これで終わりにしましょう。

あの本、この娘は読めるかしら?」



✳︎


 皇太后の命令でそれはすぐに運ばれてきた。

 侍従が文箱のような木箱をエマの前に(うやうや)しく置く。


 この世界のどの言語でもなく、誰にも読めない『魔女の秘伝』。

 ついにこの場に引っ張り出せた。


 エマがジークヴァルトとルイス王子に希望したのは、コレをみること。

 皇太后とホージ侯爵たちの管理下にあるためチャンスはこの場しかない。


 ジークヴァルトに聞いた文字の特徴は、直線だけではなく曲線も多く使われているらしい。

 ルーン文字の特徴は木や石などに刻み付けやすい直線的な形だ。

 だから可能性は低いが、エマが自分の目で確かめなければならない。


 もしも、ルーン文字で書かれていればこの世に残してはならない。

 なんとしても本を灰にしなければ!


 以前ジークヴァルトに「読め」と言われた場合どうするのか聞かれたが、エマは「考えがあるので任せて下さい」と自信の満ちた目で答えてみせた。


 答えは簡単。

 ルーン文字で書かれた書物ならーーーペンダントにある薬でこの場の全員を昏睡させて本を奪って逃げる。


(幸いここはコンサバトリー。

味方になってくれそうな植物もたくさんある。)


 そして、それ以外の文字で書かれていればーーー


(はっきり言って無計画(ノープラン)

覚えてる調合のレシピを適当に言って読んでるフリでもする?

どうせ誰にも読めないんだし。

どうにもならなくなったら、やっぱり逃げる!

毒草の密売もあの薬のこともジークヴァルト様たちがきちんと正してくれるはず………私がいなくなっても。)


 傍らに立つジークヴァルトの存在を感じながらそう思った。


 固唾を飲み蓋に手をかけそっと持ち上げると、中には冊子が入っていた。

 少し古さを感じた。

 表紙には厚めの紺色の紙が使われていて、題名も何も書かれていない。


 蓋を箱の横にそっと置き、いよいよ冊子を手に取る。

 厚さは30~40ページほどだろうか、大きさはB5サイズくらいだ。


 右手にのせて左手の指先で表紙をめくった。

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