70茶会
城址の森から帰った翌日からジークヴァルトは王宮と屋敷を慌ただしく行き来するようになった。
時には王宮に泊まりこむこともあった。
捕まえた売人が持っていた手帳には暗号のような文字が書かれていた。
ジークヴァルトにはそれが何なのか分かったようで、「まさかっ」と言って目を見張り息を飲んでいた。
エマはどう言うことなのかとジークヴァルトをみたが、彼は「あとは俺に任せて欲しい」と言って手帳を閉じ胸ポケットへと締まってしまった。
何か大きな手がかりを掴んだのだろう。
何も教えてもらえず「おはよう」も「おかえりなさい」も言えない日々が続くこともあり、刻々と茶会の日が近づいてきたがエマに焦りはない。
ジークヴァルトならきっと何か考えがあるはずだから。そして、エマの目的は『魔女のレシピ』をこの目で確認することだけだから。
『魔女』としての矜持を持って茶会にのぞむだけだ。
日々は瞬く間に過ぎ、とうとう茶会の日がやってきた。
皇太后の住む離宮は王都から少し郊外にあるらしい。ルイス王子は王宮から、ジークヴァルトとエマはホランヴェルス公爵邸から馬車で向かった。
車窓からの景色に緑が多くなってくると、いよいよ目的地の離宮が見えてきた。
だが、大きな影響力を持つと聞く皇太后の住まいにしては巨大でも華美でもなく、英国貴族のカントリーハウスのような左右対称の美しい石造りの建物だった。
到着するとまず応接室に案内された。
扉の前までくると女性のはしゃぐような甲高い声が外まで聞こえていたが、執事がノックをするとぴたりと止んだ。
ルイス王子はすでに到着していて、声の主は隣に侍る令嬢だ。
ルイス王子がジークヴァルトとエマに、やあと言って軽く右手をあげるが、その顔にはすでに疲れがにじんでいる。
令嬢ーーーマリアンヌは「まあ!」と嬉しげな声をあげるといそいそとジークヴァルトの前までやってきて丁寧に挨拶するが、彼の後ろに立つエマには一瞥をくれることもない。
豪奢に結い上げた濃い茶色の髪に同じ色の瞳。エマは、既視感を覚えたが、まさかどこかで会っているはずなんてない。
皮張りのソファをギシリとしならせ立ち上がったのは五十代半ばの大柄な貴族男性。
「久しぶりですな」と余裕な笑みを見せてジークヴァルトに歩み寄り握手を求めた。ジークヴァルトも「そうですね」と淡く口角を上げ応じた。
表面上はお互いが敵対しているような関係には見えない。
今日はあくまで皇太后が招いた茶会なのだ。
だが、エマに向けられた視線ーーーホージ侯爵からの視線は、エマが未だかつて人から向けられたことのない苛烈なものだった。
長身で恰幅のある体格からギョロリと見下した目は、エマを蔑み罵倒していた。
この男の持つ威圧感は高貴ではない。尊大と傲慢だ。
こんな男がエマを殺そうとしていたのだ。
もしも、ジークヴァルトやルイス王子に守られていなければ、自分などあっと言う間に闇から闇に葬られていただろうと戰慄した。
ホージ侯爵に山で探し出されたというマリアンヌ。
エマは彼女のことを、意に沿わない『魔女』に仕立て上げられたのではと気がかりに思っていた。
だが、そんな気遣いは無用のようだ。
彼女もまたホージ侯爵に見下されるエマを鼻で笑っていたから。
ジークヴァルトはエマをきっと護ってくれるだろうと信じている。
けれど、この茶会でどんな手を使って何をしてくるか分からない。
これはもう自分の身は自分で守らなければとゴクリと唾を飲み込み覚悟をきめた。
「皆様、ご案内致します」
執事の先導でまずルイス王子がマリアンヌをエスコートして部屋を出、続いてホージ侯爵、そしてジークヴァルトとエマが出る。
移動する間、ジークヴァルトの左腕に置くエマの手に彼はずっと手を重ねてくれている。
そんな些細なことが今のエマにとってどれほどの慰めになっているかジークヴァルトは気付いているだろうか。
茶会の会場は、大きくて広いコンサバトリーだった。結婚式の披露宴でも出来そうな広さがある。
天井はガラス張りで、内装は豪華で洗練されていて品格がある。
外は晩秋だというのに、室内の花々は美しく咲きその色によって配置も考えられていて、緑の観賞用植物とのコントラストも完璧だ。
とにかく声を上げて称賛したくなるほど素晴らしい空間だ。
エマはぐるりと見回し、ほぅと感嘆のため息をもらした。
ここの主人である皇太后の趣味の良さがわかる。
皇太后とはどんな人だろうと純粋に興味がわいた。
ルイス王子はとても厳しい方だと言っていたが、本当にそうだろうか。
本当に悪事をはたらくホージ侯爵の後ろ盾となるような人なのだろうか。
でも、エマのそんな淡い期待は裏切られた。
執事によって案内されたテーブル、上座からみて右手にホージ侯爵とマリアンヌ、左手にルイス王子とジークヴァルト。
そして、エマの席は長いテーブルの上座の真向かいにポツンと設えられてあった。
地味な嫌がらせに思考が止まる。
ジークヴァルトのはからいで貴族令嬢のように正装していても中身は庶民。
床に座れと言われるよりはマシだと有り難がらないとダメなんだろうか。
*
皇太后の入室が告げられると、部屋の空気がぴんと張り詰めた。
ルイス王子は誰よりも早く背筋を正し三十度の角度を保って頭を下げた。今から来るのはルイス王子の祖母であるはずなのに、いつもの軽快さが消え失せ全く慕わしさが感じられない。
静まりかえったコンサバトリーにコツンコツンとゆっくりとした音が響いた。
頭を深く下げるエマは杖の音だと思った。ゆっくりゆっくりとした足取りに皇太后がかなりの高齢だと予想できた。
エマから遠く離れた正面の椅子が引かれる音がすると、
「皆、お座りなさい」
と声がかかった。
皇太后の声は、予想とは裏腹に張りと威厳があった。
衣擦れの音を聞き終わる頃にエマもやっと頭を上げる。
皇太后は遠く離れたエマの正面に座り、そばには付き添うように壮年の貴族男性が立っていた。
皇太后は、美しい白髪の小柄な女性だった。
シンプルなグレーのドレス姿で、頭には同色の小さな帽子を被り、そこから下ろされた薄いヴェールで目元は分からない。
でも、それでも世間一般に目にする老人とは程遠い、座っているだけでただの人ではないとすぐに分かる雰囲気がある。
相手の姿勢を自然と正させてしまう、これが高貴な人が持つ威厳だと思った。
エマは緊張をほぐそうと深い息を静かに吐いたが、ドキドキとした心臓の動悸がおさまらない。
エマを緊張させる原因がもう一つ。
それは、皇太后に付き添う貴族男性だ。五十代くらいで蒼みがかった銀の短髪の男性。
その人はジークヴァルトの父親以外には考えられない。渋さを増した三十数年後のジークヴァルトはこうなるだろうという見本のようなそっくりさだ。
席に座るジークヴァルトの横顔と何度も見比べてしまう。
(ジークヴァルト様のお父様って、宰相…よね。
あの立ち位置って…皇太后の側近中の側近ってこと…?!)
この国の宰相もまた皇太后ひいてはホージ侯爵側ということなのだろうか。
ジークヴァルトからは親子関係について聞いたことはなかったし、執事長のジェームズともジークヴァルトに本宅が譲られた話以外話題になることはなかった。
エマから見えるジークヴァルトの表情に父親に対する確執は感じられない。それどころか、ここに父親がいることに全く動揺していない。
(どういうことなんだろう…)
エマは緊張を抑えるようにそっと胸元に手を当て成り行きをじっと見守った。
「本日はお時間をいただきありがとうございます」
ルイス王子が硬い口調で礼を述べると、皇太后は微笑みさえ浮かべず、
「まったくですよ。
茶会を開きたいならお前が私を招くのではないの?
離宮に招いて欲しいだなんて非常識な」
と不機嫌を隠すこともなく文句を言った。
「おばあさまにご足労頂くのは申し訳ないと思いまして」
となるべく柔和にルイス王子が返すが、
「よく茶会なんて時間があったものですね。
お前に引き連れられる近衛たちもご苦労なこと。
執務を軽んじているのではないの?」
と嫌味で応えた。
それに対して、今度はジークヴァルトが、
「皇太后様にはご機嫌麗しく存じます。
執務を軽んじているなどと滅相もございません。
ただ、この度の件はたいへん重要なことですので、まかり越しました」
と言いながら丁寧に頭を下げた。
だが、そんなジークヴァルトに対しても、
「別に良くも麗しくもありませんよ。
毎日毎日いろいろ考えることがあって大変。
お前もルイスの我儘に従っているだけでは将来の宰相も思いやられるわね。
デイヴィッド、嫡男にこんなことを言って悪いわね」
と、全く悪いと思っていない口調で軽く後ろの男性を見やった。
やっぱりこの男性はジークヴァルトの父親だった。
ジークヴァルトの父親デイヴィッドは、皇太后に対して気を悪くする風でもなく、むしろ「まだまだ若輩者で申し訳ございません」と恐縮している。
皇太后はルイス王子とジークヴァルトを完全に子供扱いし、父親は息子を庇おうともしない。
「ここに来たのは結婚のことね。
そうでなくてはわざわざ茶会なんて言ってこないわね?
正式に承諾ということでいいのだね?
そうでないと言うなら許しませんよ。
彼女をこんなに長く待たせて。
マリアンヌ、悪かったわね。
せっかくだから今日は婚約式の日取りを決めてはいかがかしら?」
皇太后はこのくだらない茶会をさっさと終わらせたいのだろう、ぽんぽんと早口にルイス王子に言い切るとマリアンヌに対しては労わるような優しい声色で言葉をかけた。
茶会が始まってまだティーカップにお茶さえ注がれていない。




