67エマとグローシュ兄妹
嘘をつかないためには、エマはこう答えるしか仕方がない。
「言いたく…ありません」
エマは、堪らず席を立ったが、ジークヴァルトが立ち去ろうとするエマの手をとっさに掴んだ。
何気ない問いかけが、こんなにエマを刺激すると思っていなかったのだろう。
急に頑なな態度になったエマにジークヴァルトも困惑している。それが掴む手の強さから分かった。
不意に手に痛みがはしった。痛みに肩を揺らすと、ジークヴァルトも慌てて手を離してくれた。
開いた手のひらに赤く走った擦ったあと。なんとなく違和感はあったが血が出ていないから気づかなかった。
「エマ、これは…エレノアの手をはらったときか?指輪があたったのだな?ああ、すまない。俺が強く掴んだから痛かっただろう?
……俺は、あの時君が手をあげたと勘違いして。君がそんなことするはずないのに」
ジークヴァルトは今度はそっと手をとると、押しいただくように額につけたあと指先に優しく口づけた。
「ただの好奇心で詮索しようと思っているわけではない。
君のご両親ならきっと素晴らしい方々なのだろう。
それなのに家名を名乗れないということは、何か理不尽なことに巻き込まれたのではないか?
エマが言われのない辛い事にあったのなら何か力になりたいと思ったのだ。
事情を話してくれないか?
君の力になりたい。俺が出来ることはなんでもしたい。
君が、元の生活を取り戻せるように」
なんて、大切に扱ってくれるんだろう。なんて、献身的で心のこもった誠実な言葉なんだろう。
それでも、今のエマにはその全てがどうしてか勘に触ってイライラした。
(事情なんて話せるわけない!
私の両親は素晴らしい?当たり前よ!私がどこに出ても恥じないように育ててくれた。
なんでもしたい?元の生活を取り戻せるように?
そんなの、できるわけない!
元の世界に戻るなんて、絶対一生できっこないのっ!!
優しい言葉で本気で心配してますって顔して、それ無自覚!?
普段は人を寄せ付けない冷たい空気出してるくせにっ!
そんな無自覚な優しい顔を不意に見せるから、本気になっちゃう女がいるんじゃないの?!)
感情的にキッと睨んだ。
「心配して頂いて申し訳ありません。本当に話したくないんです。
でも、両親のために言っておきます。両親が名誉を貶めることをしたから、私が大叔母のもとにいたのではありません。
『魔女』としての私の役目はきちんと果たします。
ですから、今後一切私の過去は聞かないで下さい」
ジークヴァルトに対してこんな険しい顔をしたのは初めてだ。エマはするりと手を抜きとると、
「私…やっぱりかなり動揺してるみたいです。
目の前で人が倒れるなんて。
冷静なつもりでしたが、やっぱり…」
と気づけばそんなことを口走っていた。
言ってから狡い言い方だと気づいて慌てて口をつぐんだが、言ってしまったことは取り消せない。
エレノアの事を出せばジークヴァルトはもうエマに踏み込めない。
真実がどうであれ、自分の女性関係にエマを巻き込んだのだ。それを横に置いて、人の事情に首を突っ込むつもりなの?とジークヴァルトに言ったも同然だった。
思った通り、ジークヴァルトは「すまない…」と小さく言って顔を俯けてしまった。
狡い自分が後ろめたくて、「ルーに手紙を書いてきます」と言ってコンサバトリーを足早に出た。
その後は、お互い顔を合わせてもぎこちない半日を過ごした。
翌日、ジークヴァルトは早朝に出かけてしまっていた。多分、あの錠剤の件だと思う。
エマはダイニングでポツンと一人で朝食を取りながら大きなため息をついた。
✳︎
ジークヴァルトは午後になっても戻らなかったが、お茶に招待したルーがやってきた。
ルーは、ルシエンヌ・デ・グローシュ公爵令嬢としてやってきた。
令嬢として着飾ったルシエンヌはエマも声を上げて賞賛するほどの美しさで、気安くハグすることも躊躇われるほどだ。
でも、ルーがまるで何年も会っていなかったみたいに懐かしむように目を細めて抱きしめてくれた。
エマは泣きたいほどの安堵感に包まれた。
そして、もう一人。
馬車から降りてきたときからそうと気付いていた。
男装のルーをより男性らしく凛々しくした銀の短髪に藍色の瞳の男性。
「初めまして。エマさん。
トリスタン・デ・グローシュです」
ルーのお兄さま。
オースト国国王の実弟を父に持ち、自らも王位継承権を持つグローシュ公爵家ご嫡男様だ。
(うわぁ、二人並ぶとやっぱり似てる!
確か三つ年上ってルーが言ってたから、21歳よね。
素敵〜!)
「初めまして。エマ・ハーストと申します。
本日はお越し頂きありがとうございます」
内心ではしゃぎながらも丁寧な所作で挨拶を返すと、顔を上げたエマにトリスタンは優しげに微笑んでくれた。
「妹への招待なのに私まで来てしまって申し訳ない。
ルシエンヌが親友だと言うエマさんにどうしても会いたくてね。
ホランヴェルス殿はご在宅かな?」
その問いにはエマの後ろに控えていたジェームズが一歩前に出て答えた。
「ようこそおいで下さいました、グローシュ様。
私、執事長をしておりますジェームズと申します。
本日、主人は急用で不在でございまして」
「そうか。休日なのでいらっしゃると思ったのだが…」
では遠慮すべきだろうか、と思案げに言うトリスタンを本当にこのまま追い返すわけにはいかない。
友達の兄だが、その前に隣国の王位継承権を持つ大貴族なのだから。
でも、そこはジェームズもわきまえている。
「お客様をこのままお返ししたのでは主人に叱られてしまいます。
どうぞお入り下さいませ」
と応じた。
一対の芸術品のように美しい高貴な兄妹のお客様に屋敷は一気に華やいだ。
ジェームズが案内したのはあの応接室だ。
そう、エマがパンを配達にきたとき案内された、あの応接室。
正統な英国貴族の伝統を感じさせる格式高い室内。
入るのはあの時以来だ。
花が生け替えられていること以外は何も変わっていない。
ジークヴァルトの屋敷なのに、今はエマが客を招く立場になっている。
あの時、たった数ヶ月後のこんな状況をどうして予想できただろうか。
「エマ、とても心配していたよ。
大丈夫だった?」
ルーはエマと同じソファに腰掛けエマの両手を取った。
エマは素直に大丈夫だと言ったが、ルーは「本当に?」と念を押してエマをじっと見つめる。表情の変化を少しも見逃さないというふうに。
もっと具体的な何かを心配しているような…。
(まさか、ルーは昨日の庭園での騒ぎを知って?!
いやいや、昨日の今日で他国の大使館にまで伝わるなんて、まさか…ない…よね。)
「本当に私は大丈夫。
お屋敷の皆さんにもよくして頂いているよ。
それよりルーの手紙を読んで驚いた。突然ご令嬢に戻るって書いてあったから。
ホント見違えた!思った通りルーは着飾れば超絶美人さんね!」
エマとルーはしばらくお互いの近況を教え合った。
エマがスーラとルー宛に届けた特製ブレンドの紅茶を絶賛してくれたが、ジークヴァルトの厚意だと教えると、「ふーん、それくらいの気は使えるのだね」と冷たくあしらった。
ルーは何かにつけジークヴァルトが気に入らないようだ。
「ルシエンヌ、ホランヴェルス殿の屋敷でご本人を悪く言ってはいけないよ。
エマさん、ルシエンヌと仲良くしてくれてありがとう」
二人の会話を微笑ましく聞いていたトリスタンはやんわりと妹をたしなめた。
トリスタンには貴族的な上品さと優しげな雰囲気のなかに賢さがにじみ出た落ち着きがあった。
すでに将来国の重責を担う重要人物の風格が漂っている。
ルーが理想の男性だと言うのが分かる。
「私も妹からの急な手紙に驚かされてね。仕事を放り出してきてしまったよ。
家を出てから三年、やっとこの日がきたかと感慨深い。
両親も心待ちにしているからすぐにでも会わせてやりたいと思っている」
「そうしたらルーはやっぱり国に帰ってしまうの?」
尋ねたエマに、
「一旦ね」
と、ルーは不適に微笑んだ。
(なんだろう、この企んでるような笑みはっ。)
「一旦って、また戻ってくるんだよね?」
エマの不安が伝わったのだろう、今度は「もう少ししたらエマにも教えるから」と言って、ふふふと笑ってウィンクした。
(なに、何?何なの??)
「エマさん、ルイス殿下から父への手紙を預かったので、それを持ち帰らなければならないのだ。
そして、返事をまた持って来なければならない。
だから『一旦』だ」
(ルーのお兄さんがわざわざ運ぶ手紙。
そんなに重要な手紙って一体…)
「それで、エマ。一緒に私の国へ行かない?
返事を持ってまたすぐにこの国に戻るのだし、ほんの少しの間だ。
私の両親に会ってもらいたい」
「ええっ!」
ルーはエマの手を両手で握って懇願し、トリスタンもソファから身をのりだす。
「エマさん、私からもお願い出来ないだろうか。
我が国に是非来てもらいたい。
貴女の身の安全は私が保障する。
私が必ずエマさんを守るから」
ルーの両親…かつてエマの師匠ドリスが魔女の『力』でルーの母親の命を救った。
その後継者だと名乗り出ることはできないけれど、会ってみたい気はする。
(お母さん…か)
トリスタンに紅茶のおかわりを注ぐジェームズの様子をそっと伺う。会話が聞こえているはずなのに、存在感を消して仕事に徹している。
昨日、エマもジークヴァルトに、『魔女』としての役目はきちんと果たすと言ったところだ。
でも、ルーの誘いに喜んでのりたい。そして、ジークヴァルトとしばらく時間と距離を置きたいのが本心だ。
エマは力なく首を振ると、「ごめんなさい」と謝った。
「誘ってもらってありがとう。でも、」
「エマはどこにも行かせないし、誰にも連れて行かせない」
遮ったのはジークヴァルトだった。
応接室の扉口からつかつかと足早に三人が座るソファまでやってくると、
「折角のお申し出ですがお断り致します、ルシエンヌ嬢」
と冷然とルーを見下ろした。
ルーは微かにチッと舌打ちすると立ち上がり鷹揚に、
「これは宰相補佐様、お帰りなさいませ。お邪魔しております」
と礼をしてみせた。
トリスタンはやれやれといった感じで眉尻を下げて肩をすくませ立ち上がった。
「お久しぶりです、ホランヴェルス殿。
ご不在とは知らず押しかけて申し訳ありません。
昨日は、ルイス殿下にお会いしてきたのですが、貴方はいらっしゃらなかった。
今日もご不在で残念に思っておりましたが、お会いできてよかった」
「お久しぶりです。グローシュ殿。
不在にしていて失礼した」
二人は握手をかわしたが、柔和な雰囲気のトリスタンに対して、ジークヴァルトはにこりともせず不機嫌を隠しもしない。
だが、トリスタンとの握手をといたジークヴァルトは一転、「エマ、ただいま」とそれはそれは優しく言うと、
「今朝は何も言わず出かけてすまなかった。
早朝に君を起こしてしまうのはかわいそうだったから。君の見送りがなかったのは少し残念だったが」
と、まるで二人が極親密だと誤解を与えそうなことを言うのだ。
(どうしたんですか?!なんか、言い方が際どくないですか?!
ほら!ルーとお兄さんも「はあ?」って顔してるじゃないっ。)
「お、おかえりなさいませ。ジークヴァルト様」
なんとか気を取り直して挨拶を返すが、ジークヴァルトが止まらない。
エマの隣までくると、「お茶会は楽しかったか?」と囁いて肩まで抱き寄せた。
そして、傍観しているグローシュ兄妹には
「ルシエンヌ嬢、今日はエマのために来てくれてありがとう。
グローシュ殿も早々に帰国されるとか。道中お気をつけて。また当家にも遊びに来て下さい。いつでも歓迎しますよ」
と社交辞令のお手本のようにスラスラと無感情にまるで追い返すような言い方をする。
ルーの眉間にはみるみる皺がよるが、トリスタンが間に入る。
「ホランヴェルス殿にもご挨拶できたことだし、ルシエンヌそろそろ失礼しよう。
エマさん、またお会いする機会もあるでしょう。
今日はこれで失礼します」
ルーとトリスタンを見送るために玄関へ行くまでジークヴァルトはエマにぴたりと寄り添っていた。
話をする隙もないことにルーはもどかしそうにしていたが、馬車に乗る間際、さすがに痺れを切らしたルーはエマにがっちりハグをすると「すぐに戻ってくるから!」とだけ力強く言って去っていったのだった。
馬車が去っていくと、玄関前の車寄せにはエマとジークヴァルトの二人が残された。
ジェームズとメイドらはすでに姿を消している。
(ジェームズさんには全てお見通しってことか。
よく分かっている有能な執事長さんだ。)
晩秋の風に吹かれた木の葉の乾いた葉音だけがきこえている。
ジークヴァルトは何も言わずそっとエマから半歩距離を取った。
でも、そのまま屋敷に入ってしまうでもなく、話し掛けてくるでもなく黙ってエマの横に立っている。
(やっぱり、私から何か言うべきよね…この場合。
エレノアさんのことはもういいって思ってたくせに、また持ち出して罪悪感を利用しちゃったんだし…。
えーと…)
「あの…」
「中でお茶でも、」
お互いの言葉が重なり、お互い顔を見合わせた。
「少し話さないか?」
「はい」
二人は連れ立って屋敷の中へ入った。




