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64二人の時間

 翌朝、ジークヴァルトは気持ちよく目覚め疲れもすっかり回復していた。

 今朝も朝食をエマと隣り合って仲良く食べ、食後はエマがブレンドした紅茶をエマに淹れてもらって一緒に飲み、そして、エマに玄関で「行ってらっしゃいませ」と見送ってもらい、ジークヴァルトはご満悦で登城した。

 そして、ルイス王子の機嫌を伺いながらなんとか必要な執務をこなすと、休日を勝ち取って夕暮れ前には揚々(ようよう)と屋敷に帰り着いたのだった。



 一方、エマは昼食を終えてからずっと読書棟へきていた。と、いうのも…


 ジークヴァルトを送り出してからの午前中は広大な庭の散策に出かけてみた。

 秋に咲く花々や実をつける果樹など様々あり、中にはハーブ園もあったので庭師の老人からハーブを沢山分けてもらい大満足で部屋へと戻った。


 するとエマの専属メイド二人が待ち構えていた。彼女たちはエマの髪を結わせて欲しいと言うのだ。

 そんなことならと、(こころよ)く承諾すると二人はとても喜んだ。

 この屋敷には腕を振るう若い令嬢がいないので是非やってみたかったらしい。

 はじめは遠慮がちにヘアアクセサリーを使って楽しげにいろいろ試す彼女たちにエマも付き合っていたが、昼時(ひるどき)になる頃にはエマの髪は(たくみ)な技で複雑に編み上がっていた。


 それをみたジェームズから「たいへんお綺麗ですがお疲れでしょう」とストップがかかり、ゆっくり過ごせるようにと昼食後は読書棟へ案内されたのだった。


 植物図鑑を借りた時も思ったが、読書棟は高級老舗書店と同じくらい大きくて種類も多い。

 エマはジークヴァルトが貸してくれた三冊の本を返そうと思ったが返す場所が分からず、結局、好奇心に負けて気になる本を見つけてはソファで読み(ふけ)っていた。


「エマ、ただいま」


「え?!あ、おかえりなさいっ」


(ジークヴァルト様?!)


 びっくりした勢いで砕けた言い方をしてしまった。

 読書に集中していたエマは本を置いて慌てて立ち上がると、「おかえりなさいませ」ともう一度言い直した。


「『おかえりなさい』の方がいいな。

あまり(かしこ)まった言い方をしないでくれ。

気に入った本はあったか?」


 そのままでいいと、ジークヴァルトに(うなが)され再びソファに座ると、彼もテーブルに積んだ本を手に取りながら「やはり植物に興味があるのだな」と言ってエマの横に腰掛けた。


「お借りした本を返そうと思ったのですが、あまりに広くてどこに返していいか分からなくて。

結局諦めて他の本をいろいろ見ていたらテーブルをすっかり散らかしてしまいました」


「ははは、構わない。何冊か部屋に持って行けばいい」


 そうすすめてくれるので、「それじゃ、これを借りようかな」と独り言を言いながら膝に乗せた本のページをめくっていると頭ひとつ分高い位置からジークヴァルトが、


「エマ、明日休みが取れたんだ。

だから出かけないか?

新しくできた庭園はどうだろうか。珍しい植物もあってとても人気があるらしいのだが」


と言った。


 思いがけない提案にエマはパッと顔を輝かせ「本当ですか?!」とジークヴァルトを見上げた。

 見上げたジークヴァルトの瞳は、窓から差し込む夕焼けの名残りの光を受けて紫水晶(アメジスト)色に染まっていた。


 あの時と同じ色だと思った。

 賊に襲われたテューセック村で、エマの前を騎馬で駆け抜けていったジークヴァルト。


(あの時もこの人の瞳は火に照らされて、紫水晶(アメジスト)色をしてた……)


「エマ……」


 ジークヴァルトの声色(こわいろ)が急に真剣なものになった。


「こんな気持ちになったのは、初めてなんだ」


「え…」


 エマが言葉の意味を理解しようと、その瞳を見つめていると、彼の顔がゆっくりと降りてきて…ジークヴァルトの唇がエマの唇に重なった。


 優しく押しあてられた唇が(わず)かに離されると、エマの唇に(かす)かに触れながら上擦(うわず)った声でジークヴァルトが何かを(ささや)いた。そして、その囁きと熱い吐息とともに再びキスがおとされた。


 髪を結い上げたエマの(うなじ)に、ジークヴァルトの大きな手が添えられ、喉元に指が()れている。

 ジークヴァルトの唇はエマの唇を優しく()み、ちゅっと小さな音をたててようやく離れた。


「エマ…」


 いつの間にか閉じていた目を開けると、ジークヴァルトはエマの頬を、揃えた指の背で優しく撫ぜながら満足げに微笑んでいた。


「突然のことで驚かせたか?

だが…謝らない。これが俺の気持ちだから。

嫌…だったか?」


 エマは茫然(ぼうぜん)とジークヴァルトを見上げながらゆっくりと首を横に振った。


 それからどうしたのかあまりよく覚えていない。

 たしか、ジークヴァルトに手を引かれてダイニングへ向かい夕食を取った。

 明日出かける話をして、部屋へ送ってもらった。

 部屋の前ではおやすみのキスを当然のように、今度は頬にされた。

 部屋では用意されたお風呂に入って、メイドに髪を乾かしてもらい、「おやすみなさいませ」と就寝の挨拶とともに彼女たちが部屋を出て、今やっと一人になった。


 エマはベッドのふかふかの羽布団へ上がり込み、それから…


 それから、クッションに顔を埋めてーーー

叫んだ。


「エーーーーーーーーーッッ!!」


(え?!え?!キスしたっ!キスしたっ!?あの人が私に!!??え、え?え?!えーーっ!?)


 ひとしきりベッドの上で暴れ尽くすと、はあはあと荒い息を吐きながらそっと自分の唇に手を当てジークヴァルトに触れられた感触を思い出した。


 キスをされた時、抵抗しなかった。雰囲気に流されたわけじゃない。内心では物凄く慌てているのに、抵抗しようと思わなかった。


(心の底では……(よろこ)んでた。

(くや)しいけど、私…喜んでた。)


 嫌いになったから、心を閉ざしたわけじゃない。

 心を閉ざしたのは、傷つきたくなかったから。

 あまりにも、何とも思われていないことが悲しくて…、好きな人に酷い言葉を投げつけられて冷たくされるのが悲しくて。

 自分ばっかり好きなのが(つら)くて。


(あの人が言った『こんな気持ち』ってーーー何?

『魔女』とかじゃなく、『私』のことが好きってことで…いいの?

最近、本当に優しくて、いろんな表情を見せてくれて…昨日も私の手をずっと繋いで…

あれは全部『私』のことが好きだから?

さすがに、『魔女』ってだけで、なんとも思っていないのにキスなんてする?

でもっ、気持ちを言葉で言われたわけじゃない…。

ああ、もう!どーゆーことー!!)


 あなたがあんまり優しく微笑(ほほえ)むから、私は何も言えなく…何も聞けなくなったじゃない。



 翌朝。


 あのまま寝落ちしたエマの目覚めは、よろしくなかった。


 でも、天気は快晴のお出かけ日和。


 朝からいつにもまして機嫌の良いジークヴァルトと朝食をとり、部屋に戻ってすぐに出かける準備を始めた。

 メイドが見慣れない外出着をエマに着付けながら「今日のために大至急で出来上がって参りました。とても素敵です。他のお衣装も出来上がり次第届くそうですよ」とかなんとか楽しげに話していたが、エマは「え?」と引っ掛かりを覚えながらも言葉の意味を脳内でよく消化できずに、スルーした。


 馬車で向かった庭園は、思っていたものとは違っていた。エマの想像では自然公園のようなところだろうと思っていた。


 でも、そこは上品で高級感(あふ)れる空間だった。

 ゴミひとつ落ちていない美しく整備された広大な庭園。

 計算され尽くして植えられた季節の花々。

 散策の小道は歩きやすい大きさの白い砂利が(くま)なく敷き詰められ、至る所にある休憩場所は布張りの大きな傘で日除けされ、休めばすぐにウェイターやウエイトレスが何か御用は?とやってくる。

 温室はガラス張りの巨大な建物で、中心には大きな噴水もあり、そこから流れる水路の水も清らかだ。

 さまざまな時代や国を()して趣向(しゅこう)()らしたオブジェが植物の展示をより魅力的にしていた。


 貴族とその同伴者しか入園できないので、狭い貴族社会お互い顔を見知っているはずなのに、余程の知り合い以外は暗黙の了解のように挨拶は(ひか)えているようだ。

 同伴者が夫や妻とは限らないのだろう。いかにも年の離れた恋人を連れている紳士も見受けられた。


「エマ、まず一通り見て回ろうか。温室に行ってから野外の庭園を見て…それから昼食にしよう」


 庭園の奥に見える瀟洒(しょうしゃ)な建物はレストランなのかも知れない。


「では、行こうか」


 ジークヴァルトがエマに腕を差し出した。

 (つか)まれということだろう。まわりの貴婦人方はそうしてエスコートされているけれど、慣れないしジークヴァルトとの距離感が気恥ずかしい。

 戸惑っていると、ジークヴァルトがエマの右手をとって自分の左腕に置き、ここだと言うふうにエマの手をポンポンと()ぜた。

 見上げると、ジークヴァルトもエマを見下ろしていて本当に(おだ)やかな優しい表情をしていた。


 結局、彼がエマにキスをした真意はよく分からない。

 けれど、あの最悪の初めての出会いから考えれば、こんな日が来るなんて想像もつかなかったと少し感動してしまった。



✳︎

 ジークヴァルトはエマをエスコートしながらまず温室を見て回った。

 彼女は植物のことを詳しくいろいろ話してくれた。

 たまに「本物を初めて見た」と言ってはジークヴァルトのもとを離れて熱心に観察するが、満足すると嬉しそうに戻ってきてまた腕を取ってくれる。


 ジークヴァルトはこんなに早くエマに告白するつもりはなかった。

 全ての問題が片付(かたづ)いたらエマに前に膝をつき、正式に交際を申し込もうと思っていた。


 だが、読書棟で話をしている時、珍しく髪を上げているエマの首元に、金のチェーンが見えた。

 夕日が当たってきらりと光るそれは、ジークヴァルトがエマに贈ったアイスブルーの宝石が散りばめられたあのペンダントだとすぐにわかった。


 それをエマが今も身に着けてくれていると思うと、気持ちが(あふ)れた。


ーーー好きでたまらない


 そう思うともう(おさ)えがきかなかった。

 エマの唇に触れてから、「好きだ」と囁いた。拒否をしないことをいいことに、せがむように再びキスをした。


 エマは慌てるでもなく、恥ずかしがるでもなくどこかぼんやりとしていて、驚きを通り越したという様子だった。

 だが、嫌だったかと問うたらエマは確かに首を横に振った。


(彼女も俺を(にく)からず思っているはず。

現に、今、こうして楽しげに過ごしてくれている。)


 温室から屋外へ出れば、秋のうららかな日差しの中、穏やかな風が吹いていた。


 すると、エマの長い(はしばみ)色の髪がふわりと(なび)き、ジークヴァルトの腕や胸元を()でるように(まと)わりついた。

 まるで、ジークヴァルトの考えをエマの心が肯定(こうてい)しているように思えた。


(キスしたい…。こんなところでと、エマは怒るだろうか?)


 そう思いつつも、ジークヴァルトは身を(かが)めた。

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