63重ねた手
翌朝、ジークヴァルトの期待通り、エマはすっきりとした晴れやかな表情で朝食のダイニングに現れた。
レースがふんだんに使われた白のブラウスとシルクのロングスカート姿で、髪はメイドによって綺麗に整えられている。昨日まで下町のパン屋で働いていたとは思えない、むしろ、こちらのほうが本来の姿と思えるほどしっくり馴染んでいる。
朝から一緒に朝食をとるなんて、自分たちは本当に一緒に住み始めたのだなとじんわりと感動するジークヴァルトだった。
読んでいた新聞をたたんで脇へやり、席を立ってエマをダイニングに迎える。
「おはよう、エマ」
「おはようございます」
差し出したジークヴァルトの手にエマが反射的に手をのせると、数歩の距離のダイニングテーブルまでエスコートする。
席はジークヴァルトの隣だ。向かいあうなんて遠すぎる。
最近は飲み物で済ませていた朝食は、もちろん、エマと同じものをたべる。
今日と明日の執務を乗り切れば休みだ。毒草や『魔女』といった話しは少しだけわきに置いて、エマとどこへ出かけようか。
*
ジークヴァルトが登城のため馬車に乗り込むと、エマは執事長のジェームズやメイドたちと一緒に「いってらっしゃいませ」と見送った。
相変わらず朝から凛々しくきらきらしていた。
この世界の貴族服は豪華だが、中世ヨーロッパの宮廷服よりはシックなデザインだ。
ジークヴァルトの今日の服装は、白いシャツに白のスカーフのようなタイを締め、タイは大きなサファイアがついた金のブローチで留められていた。上に羽織った厚手のジャケットは、濃紺一色で胸元にさりげない金のピンブローチが飾られ、袖口には同色の緻密な刺繍がほどこされていた。そして、同色のスラックスに磨かれた黒の革靴。
品があり高級感がある服を美丈夫なジークヴァルトが着ることでさらに完璧に完成させていた。
朝から眼福です。もうこの目の保養だけで充分ですとエマはいいたい。
なぜなら、昨夜から今朝までの短い時間でも至れり尽くせりだからだ。
まず与えられたのは女性好みに設えられたホテルのスイートルームのような部屋、衣装部屋は店が開けるほどの服や小物類で満タン。夕食は同じダイニングで食事をしてからわざわざ部屋まで送ってくれたし、気を利かせて本まで持って来てくれた。専属のメイドが二人も付き身支度を手伝ってもらい、今朝はジークヴァルトがわざわざ朝食の席までエスコートしてくれた。手が差し出されたので思わず置いたら、まさか数歩のためのエスコートとは思わなかった。
『魔女』の価値に見合う待遇なのかもしれないが、今後の心の持ちようを誰か教えてほしい。
だが、そんなエマをめがけて公爵家お抱えの仕立て屋の女主人がお針子を数人連れてやってきた。
ドレスの採寸だと聞いてぎょっとしたが、「皇太后様との茶会に備えて」と執事長ジェームズに言われれば、それなら一着くらいは必要かと納得し、エマは体のあちこちを測られた。
だが、実際にジークヴァルトが女主人に注文した内容はーー
今秋冬の間に必要と思われる普段用と出掛け用の服と正装用ドレスを、数はお任せで作ること。それらに合うコートや帽子、手袋、扇子、靴、バッグ、宝飾品などをそれぞれトータルコーディネートすること。
さらに、化粧品やヘアアクセサリー、絹の靴下からコルセットまでおおよそ女性が必要とする全てを揃えるようにだった。
公爵家ご嫡男様は、頭から爪先まで彼女が触れるものすべてに金を出すという。かなりご執心のようだ。
どこかの貴族令嬢と婚約したとは聞いていないので、『エマ』は平民だと思われる。
愛人?と思ったが、公爵家の執事長が恭しく仕えているのをみるとちがうようだ。
貴族令嬢と言っても差し支えないたたずまい。だが、傲慢なところが全くなく、むしろ、並の貴族令嬢よりも好感が持てた。
仕立て屋の女主人は、このミステリアスな女性に俄然やる気になった。
仕立て屋と言っても服を作るだけが仕事ではない。
金持ちの丸投げな要求にも応えられるからこそ『公爵家のお抱え』としてやっていけるのだ。
そして、その金看板が更なる顧客を呼ぶ。
季節が変わればまた同じような大口注文が入るだろう。
『エマ』のためにチームの発動だ。仕立て屋の女主は、商品を揃えるためにあらゆる店に声をかける算段をしながらホクホク顔で帰っていった。
*
夕方、ジークヴァルトから遅くなるからと連絡がはいった。結局、帰ってきたのは夜の十時くらいになってからだ。
リビングで本を読んで待っていたエマは、ジェームズと共に玄関で出迎えた。
ジークヴァルトは、食事も取れないほど仕事がたいへんだったようで、ジェームズに「何か軽く食べたいのだが」と頼むとリビングのソファにどかりと腰をおろした。
(疲れというより…なんだかくたびれてヨレッとしてる…。朝はあんなにきらきらしてたのに…国の重要な仕事をしているんだから疲れも相当よね、きっと)
「エマ、こんなに遅くなってしまったから、今日はもう君に会えないと思っていた。待ってくれていたんだな」
「早く寝なさいっていわれる子供の歳じゃないですよ?とてもお疲れのようですね」
初めて見るジークヴァルトの弱った姿にエマは何かしてあげたいなと思った。
「あの、よろしければ、私にお茶を淹れさせて頂けませんか?」
ジークヴァルトは、エマに甘えることにした。以前飲んだ香草茶はとても美味しかった。
「少し待っていて下さいね」と言ってリビングを出て行くエマの背中をみつめながら、ジークヴァルトは
「君を子供だと思ったことはないよ」
とひとり呟いた。
この屋敷にはお茶を入れる専用の一角がある。
カップボードには、ティータイムに必要な銀製品類や高級な陶器のカップ類。
そして、大きなキャビネットの扉を開けると、ラベルを貼られた沢山の紅茶の瓶が縦横整然と並べられ、紅茶に添えて出す香辛料の小瓶も様々な種類が並んでいた。
世界各地から集められているのだろう。エマも初めてみる種類の茶葉もたくさんあったが、さすがは高級茶葉、薬効が引き出された生薬を扱うように、『魔女』の力であるルーンを使った会話がとてもしやすかった。
エマは、ジークヴァルトがリラックスできるように、疲労が回復できるように迷いなく数種類の茶葉を取り出し茶匙で適量ずつブレンドしていった。
ジークヴァルトがダイニングで軽い食事を食べ終わる頃、エマがワゴンを押して戻ってきた。
「お待たせ致しました」
お茶が欲しくなるいいタイミングだ。
エマがポットから紅茶を注ぐと、なんとも良い香りが立った。
カップをそっと口元に運び一口飲めばその美味しさは格別で、深いため息とともに疲れが身体から出ていくように感じた。
久しぶりのエマのお茶だ。このことをルイス王子に言えば、城までエマに紅茶を淹れに来いと言うだろうなと思ったジークヴァルトは内緒にしておくことにした。
今日は本当に、疲れた。
朝、出仕すると顔をみるなりルイス王子が、昨日ルシエンヌと何があったのかと問いただしてきた。
ありのままを教えると、「なんてことをしてくれたんだっ!」とルイス王子は頭を抱え、さらにその後、ルシエンヌが薬草屋を出てオースト国大使館に移ったと、彼女に付けていた護衛から連絡が入った。
「彼女、怒ってる。絶対、すごく怒ってる!どうするのさっ!」
「そんなに恐ろしい令嬢のどこがいいんだ?」
「違う!僕はもっと、こう、自分のペースで、彼女に…」
と言ったっきり、ルイス王子は完全に拗ねてしまい執務に協力的でなくなった。
休みを取るために執務量を増やしているのにルイス王子の機嫌は直らないし、早く帰りたいのに効率が悪いしで、作業はなかなか捗らなかった。
休憩も満足に取れないまま残業していたら、心底疲れ果ててしまった。
「エマ、とても美味しいお茶をありがとう。
君も座りなさい。少し話をしないか?
今日はなにをしていたんだ?」
隣の席に誘うと、エマは素直に従ってくれた。
今はジェームズも気を利かせてここにはいないし、使用人たちも仕事を終えている。
思いがけずできたエマと二人だけのひと時だ。
「今日は、仕立て屋さんが来られてあちこちたくさん測りました。
それから、荷物を取りに行って頂けると聞いたのでスーラさんとルーに手紙を書きました。
そうしたら戻ってきた鞄の中に二人からの手紙が入っていたんです」
隣に座るエマが体をこちらに向けて、嬉しかったと話す笑顔を見ているとジークヴァルトの口角も自然と上がる。
「スーラたちはなんと?」
「スーラさんはとても心配してくれていました。
立派なお屋敷で私が寂しくなってないかって」
「寂しいのか?」
「………大、丈夫です。ジェームズさんやメイドさんたち皆さんにもよくしていただいているので」
エマは首を振るが、気を使っているのがわかる。ジークヴァルトはエマの手をとると、テーブルの上で重ねた。
「急に環境が変われば寂しくなるのは当然だ。
スーラにも突然のことで悪いことをしたな…。
何か君の慰めにもなって、スーラたちにできることはないだろうか」
エマの手をポンポンと優しく撫ぜながら、思案すると今飲んでいる紅茶が目に入った。
「そうだ、スーラに君のブレンドした茶葉を届けるのはどうだろうか?手紙を添えて。
それならお互い連絡を取り合うことができるだろう?
ジェームズに言っておく。いつでも好きなものを使えばいい」
ジークヴァルトを見上げながら聞いていたエマが、ああ、なるほどと言う顔をすると、
「はい!ありがとうございます」
と笑顔をみせた。
エマのこんな喜ぶ顔が見られるなら何でもしてあげたいと思う。
「それで、ルシエンヌ嬢はなんと?」
ジークヴァルトは心が癒やされるエマの手を離しがたくて、包むように両手で重ねながら自分もエマの方へ体を向けた。
「ルーも私を心配してくれていました。
あ、お兄様に手紙を書いたそうです。
それで、あの薬草屋を辞めてオースト国の大使館に移って、ご令嬢に戻るらしいです。
また会う機会もあるはずだから楽しみにしてるって書いていましたけど…。
もしも、ルーが国に帰ってしまったらとても寂しいです」
「………」
(ルシエンヌ嬢はエマがいるのに本国に帰るはずはない。
彼女の兄とは外交上何度か面識がある。
俺と同じく公爵家嫡男だが、国王の甥で王位継承権を持っている。
名前は、トリスタン・デ・グローシュ。確かまだ独身だったはず……)
「ジークヴァルト様、あの…」
握った手に少々力が入ってしまったようだ。エマがそろそろと引き抜こうとするのを、寂しそうに微笑みながら心の中で懇願してみる。
エマは一瞬動きをとめたあと、力を抜いて委ねてくれた。
しばらくの間エマとのたわいない会話を楽しみ、その後部屋まで送った。もちろん手は繋いだままだ。
一日の最後を気分良く終えることができた。明日一日頑張れば、待ちに待った休みだ。




