62叱られる
その頃、ジークヴァルトはルイス王子の執務室へ来ていた。
「慌てて帰ったと聞いたから何事かと思ったよ。
事情はわかった。彼女にはまた怖い思いをさせてしまったね。かわいそうに…
とりあえず、君としては彼女をテリトリーに引っ張り込んで一安心といったところだろうけど…まさか焦って強引なことはしていないだろうね?
……はあ、その顔は…やったんだね」
「ああ。……だから休みが欲しい」
「だから休み?つまり、エマのご機嫌とりをしたいってこと?」
女性の機嫌を取りたいから執務を休みたいと、このジークヴァルトが言う日がくるとは。ここは友人としてひと肌脱ごうじゃないか。
「はあ、仕方ないなあ。
それじゃ、明日と明後日しっかり働いて、明々後日でいいかい?
そうしたら週末と合わせて休めるだろ?」
ルイス王子が連休で休める案をだしてやると、「わかった、すまないな」とジークヴァルトが嬉しそうに、そして謙虚に感謝をしめした。
(そうだろう、そうだろ、僕はなんて友達思いのいいやつなんだ)
「いいよ、君の恋の手助けができる日がくるなんて、僕は嬉しいよ。
もう帰ってあげなよ。お疲れ様」
気分をよくしたルイス王子が微笑ましい気持ちでそう言うと、ジークヴァルトも「ああ、お疲れ」と、機嫌の良さを隠すことなく応じた。
ジークヴァルトは、この忙しい最中に休みをくれる友人にもいいことがあればいいなと思ったが、ついさっきのルーへのやらかしをはっと思いだしてしまった。
ーーー「たかが『薬草屋』が、誰に向かって口をきいている」
(あれは…、俺がルイスを手助けしたことに…ならなくも…ないな。よしっ)
「ルイス、ルシエンヌ嬢は多分この国に残るぞ。
少々乱暴だったが彼女の反抗心を相当煽ったからな。
お前、彼女に帰国して欲しくないと思っているだろ?」
「ええっ!!あ!待てっ!」
ジークヴァルトはふっといい笑みを残し執務室を出た。
何やら叫んでいるルイス王子の声を背中で聞きながら帰宅するために足早に廊下をすすむ。
屋敷に戻ると、エマが「おかえりなさいませ」と言って出迎えてくれた。
泣いた目の赤みも薄れ、穏やかな様子にジークヴァルトは安心した。
クリーム色のワンピース姿に見惚れていると、「着ていた服が汚れていたのでお借りしました」とエマが恐縮したので、ジークヴァルトは黙って頷いた。
プレゼントしたものだからどうこうと、もう何も言わなかった。
彼女が着て、とても似合っている。それだけでよかった。
「ただいま、エマ」
いつも一人の夕食は今日からエマと一緒だ。
下町からきたエマをメイドたちが侮っているような様子もなく、むしろ屋敷全体の雰囲気が華やいでいるようにも思えた。
若い女性とこのダイニングで食事をとるなど今までなかった。
ジークヴァルトは朝は飲み物しかとらない時もあるし、昼食はもちろん夕食も忙しい時は城で済ますことがある。
エマがいることで料理人も腕の振るい甲斐があるだろう。
使用人たちがいつにも増して動きがいいのが雰囲気を良くしているのかもしれない。
「エマは何をして過ごしていたんだ?」
「ジェームズさんにお茶を頂いて、それからお屋敷の中を少し案内して頂きました」
あんな状態のエマを残して行くのは心配だったが、ジェームズがうまくとりなしてくれたようだ。さすがは公爵家の執事長だ。
「どうだった?」
「何もかも素晴らしいとしか言いようがありません」
本当に感嘆している様子でいきいきと話すエマはとても可愛らしい。
彼女がパンを届けに来た時「値踏みをしていた」と言い放った自分はどうかしていたとしか言いようがない。
「君に気に入ってもらえてよかった。
建物は他にもあるからまた案内しよう」
もう公爵家の財貨をすべてエマの前に披露したい気持ちだ。
「ところで、うちの料理は口に合ったようだな。
何か好きなものがあれば言ってくれ。料理人に作らせる」
「はい…たいへん美味しかったです。
…あの、今日は私の軽率な行動でご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
私がもっと、」
エマの楽しげな言葉や表情しか見たくなかった。だからジークヴァルトは言葉を遮った。
「エマ、君が無事ならよかった。謝らなくてもいい。
ただ、約束して欲しい。
屋敷内はどこでも自由にしてもいいが、外出は必ず俺と一緒にするように」
単に身の危険のことを言っているのではなく、これから先、外出はいつも一緒にという願望なのだが、エマは、「……はい、分かりました」と謝るように頷いた。あんなことが今日あっての今だ。仕方ないことだが、嬉しそうに「はい」と言ってくれる日が早く来てほしい。
ジークヴァルトはエマを喜ばせるなにか話題はないかと、探した。エマの気がかりを少しでも解消すればどうだろうか。
「今日は君を強引に連れてきて悪かったと思っている。
明日、屋敷の者に荷物を取りに行かせるから、手紙を書くなら必ずスーラに渡すように言っておくが?」
エマはぱっと顔を輝かせ「はい、分かりました」と嬉しそうに微笑んだ。思惑は大当たりだ。
夕食後は、エマを引き止めるのを我慢して部屋へ送る。
自分の屋敷に入れたとたんに、自分のものにしたような気持ちになってしまっている。この先、誰にも渡すつもりはないからその通りなのだが、急ぎすぎてエマの気持ちが離れては意味がない。我慢だ、我慢。
部屋の前ではハグくらいはいいだろうかと葛藤したが、「今日は早めにやすみなさい」と紳士的に言って、あとはメイドにまかせた。部屋には浴室もある。ゆっくり入浴して心身共にリラックスすれば、明日の朝には晴れやかな笑顔をみせてくれるだろう。
ジークヴァルトは大人しく自室に戻り、書類の整理などをしていた。時折、エマが同じ屋敷にいるんだなと思うとそわそわした気分になりながら。
すると、「そうだ」と思い立った。そして、本当によかれと思ってエマの部屋へと向かった。
エマの部屋をノックするとすぐに「どうぞ」と返事があったので、ジークヴァルトはすんなりドアを開けた。
なのに、エマはノックをした相手が思っていた人物とは違ったという様子で慌ててソファから立ち上がった。
ジークヴァルトはそこでやっと己の軽率な行動に気づいた。
(ナイト…ドレスッ)
エマは驚きはしたものの、どうしたのですか?とためらいもなく戸口に立つジークヴァルトに歩み寄ってくる。
エマに早く休むように勧めたのはジークヴァルトだし、休む前にゆっくり入浴すれば疲れも取れるとも思った。だから、エマが入浴後のナイトドレス姿でいることはとても自然なこと。
ただ、その姿を夫でもない男が夜に部屋を訪ねて見てしまうことにたいへんな問題がある。
エマに変態呼ばわりされたら立ち直れないっ!
エマのほうは、現代日本育ちだから少々生地が薄くても肌を隠すにはナイトドレスで充分なのだが、そんな事情をジークヴァルトが知るはずもない。
何か弁解をっ、だが、エマは不思議そうに首をかしげ、叫ぶ様子はない。その様子に力をえて、
(今更慌てて出て行くことのほうがエマを不快にさせるし格好もつかない)
と、自己弁護に切り替えた。
「部屋に…何もないと退屈だろうと思ったので、これを」
と動揺を隠しながら、本を三冊手渡した。
「ありがとうございます」
ふわりと微笑みエマは喜んでくれた。
「これは…詩集ですね?それに、こっちは植物を題材にした短編集」
「ああ、物語だと続きが気になって眠れなくなるだろ?」
エマが喜んでくれたのが嬉しくて、少し調子にのってジークヴァルトが肩をすくめながらそう言うと、エマは「確かに、そうですね」といって、くすくすとおかしそうに笑った。
笑うエマの頬は湯上りのせいで白桃のようなほのかな紅みがさし、円やかでとても愛らしい。
触りたい。柔らかさや温かさを触って感じたい。
和やかな雰囲気だったジークヴァルトが急に黙り込んだので、エマが首を傾げ見上げた。
(この子は自分が今どんな目で見られているのかわかっていないのだろうな。
自分がどれほど煽情的な格好で俺の前に立っているのか、全然わかっていない)
榛色の長い髪が華奢な鎖骨あたりで片側に束ねられ、胸の膨らみを越えて垂らされている。
胸元が広く開いて、普段の服では決して見えない部分が見えていることがひどく厭らしい。
ジークヴァルトはくらりとめまいにも似た感覚におそわれ、「エマ…」と呼び衝動的に手を伸ばした。
「エマ様、お飲み物をお持ちいたしました…っ?!」
我に返って振り向くと、ワゴンを押したメイドが開いていたドアのところで立ち止まっていた。するとその後ろにいたジェームズが何事かと顔を覗かせた。
「エマ様?いかがなさいま……っ」
後をメイドに任せ、エマにおやすみを言ってジークヴァルトはジェームズと共に部屋へむかう。
その途中、「ジェームズ、助かった」とボソリと言えば、
「もう少し遅ければエマ様に軽蔑されているところでしたね。
まったく、なんと軽率なっ。
メイドもまさかという顔をしておりました。
使用人には、エマ様はルイス王子様が保護をお命じになった方と説明しておりますのに、その方のお部屋にこのような時間に行かれるとは。
貴方だけならまだしも、部屋に貴方を入れてしまったエマ様の品性をも貶めかねないのですよっ!
浮かれる気持ちもわかりますが、もう少し考えて頂かなくてはっ」
と、いっきに小言が返ってきた。ジークヴァルトは、元教育係の執事長に「はい」と従順に返事した。




