59帰宅
エマはスーラを見つけるとかけだした。
「スーラさん!」
「エマ、おかえり」
スーラがふくよかな胸でエマを抱きとめ、頭を優しく撫ぜてくれる。
王都の門をくぐった一行は、エマを無事に連れて帰るという約束を守るためにスーラの店へ向かった。
ジークヴァルトとルイス王子そして彼らの馬を引いた護衛を三人だけ伴った。
エマがスーラから顔をあげると、 ロジ、ロイ、そしてルーもエマの無事を喜んでくれた。
数日ぶりに入った家の中は、まるで他所の家のように様変わりしていた。
家具類からテーブルクロスに至るまで全て新しく新調され、以前とは見違えるように上等になっている。
全ての費用をジークヴァルトが持ち、彼の使用人たちや街の警備隊員らで整えてくれたとスーラは何度も礼を言った。
だが、ジークヴァルトは柱に残る傷や床の凹みを目ざとく見つけると、まだまだ不満というように首を振っていた。
たしかにきれいに整ってはいるが、使い続けてきた年季の入ったダイニングテーブルや壁を飾っていた絵皿、使い慣れたコップ類、窓辺に可愛い花を咲かせていた小さな鉢植えもなくなっている。
スーラたちが今まで大切にしてきた思い出や生活を自分のせいで台無しにしてしまったのだという罪悪感がこみ上げてきて、胸がたまらなく苦しくなった。
「ごめんなさい」と謝るエマにスーラは「そんなことより無事でよかった」と背中をさすり慰めてくれた。
気遣われると余計に涙は溢れるもので、エマはただただ泣きながら、ごめんなさいと繰り返すことしかできなかった。
✳︎
少し落ち着きを取り戻し、みんなが真新しいダイニングテーブルについた。
そして、ジークヴァルトがあらためて身分を明かしたうえで単刀直入に話を切り出した。
「『魔女』であるエマは、今後、公爵家で保護させてもらう」
「それは、いつまででございましょうか?」
スーラは先触れの兵士たちから村が賊に襲われたことも聞いたのだろう。エマにジークヴァルトたちの保護が必要なことは納得した上で、隣に座るエマの方に体を寄せ、まるで娘に寄り添う母親のようにエマの様子を伺いながらたずねた。
スーラ以外はみんな黙っていた。
みんなは分かっているのだろう。エマが田舎出身の娘としてこのパン屋で働く生活に戻ることはもうないと。
ロジは家の修復を命じられた警備隊長の対応からジークヴァルトたちがただの貴族の子弟ではないと察していたし、ロイとルーはこれから皇太后まで関わってくる大事なら、ホランヴェルス公爵家が保護する『エマ』という女性の存在を貴族たちに知られることは避けられないと確信していた。
ルーは黙ってみんなのために暖かい香草茶を淹れ、ロイとロジは視線を落としていた。
エマはこの騒動がおさまれば黙ってこの国を出ようと不義理なことを思っているのに、こんな災難に巻き込まれても我が子の帰りを待つようにスーラがまだ一緒に住む日常を望んでいてくれることに、また泣きそうになった。
すると、ジークヴァルトが「今日はここにいればいい。明日の夕方、執務が終わってから迎えにくる」と言ってくれた。
ジークヴァルトが気持ちを汲んでほんの少しの時間をくれたのだとすぐに分かった。
エマは溢れそうになっていた涙を指で拭い、心からの笑みを浮かべ「ありがとうございます」とジークヴァルトに感謝した。
ジークヴァルトたちはそれからすぐに席を立った。
まだ人通りも多く、さらに強盗騒ぎのあったスーラの店の前に兵士らが馬を連れているとなると、また何かあったのかとあちこちで人々が足を止めていた。
ジークヴァルトたちを見送るために外に出ると、始終無言だったルーがエマの横に並んだ。
心配をかけてしまったルーともたくさん話したいなとエマが隣を見ると、ルーの視線は真直ぐルイス王子に向けられていた。
何か物言いたげな雰囲気にどうしたんだろうとエマが首をかしげていると、ルーが鐙に片足をかけたルイス王子を急に呼び止め歩み寄っていった。
ルーの突然の行動に驚くエマにロイが、不在の間のことをこっそり教えてくれた。
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「エマを無事に帰してくださり、ありがとうございました。心より感謝申し上げます」
ルイス王子は鐙にかけた片足を降ろすとルーに振り返った。
「やあ、ルシエンヌ。君との約束を守れてよかった。
君からいつお礼を言ってもらえるのかと待っていたよ」
やれやれとジェスチャーしながらそう言うルイス王子にルーは、「申し訳ございません」と律儀に謝る。
少しからかう言い方にルーが拗ねたように可愛らしくルイス王子を見上げてくるはずはない。少し残念だが、ルーのこの生真面目な態度を不快だとは思わなかった。
「硬いねえ。そうだ、約束を守ったのだから何かお礼をしてもらおうかな」
「今回のこと元はと言えば貴方が原因なのでは?」
すっと姿勢を正して濃い藍色の瞳を細めながら冷たくそう言うルーに、ルイス王子は少し調子にのってしまったと小さく咳払いして気まづさを打ち消す。
「ところで、君はこれからどうするんだい?」
こんな軽く言っているが、とても重要なことだ。
こうしてルーと話す機会がなければ、日を改めて彼女の店を訪れようと思っていたほどに。
「……」
ルーは沈黙しているが、街で薬草屋をしているのはルー自身としても、ルイス王子から客観的に見ても潮時だろう。
グローシュ公爵家令嬢に戻ることはルーの中ではもう決断できているのだと思う。
ただ、帰国するのか留まるのか。
「ルシエンヌ、敬愛するエマに会いたければ、まずは僕に会いにおいで。
ああ、それから香草茶をごちそうさま。
美味しかったよ。
次は宮殿で美味しい紅茶を一緒に飲もう」
ルイス王子がウィンクしながらそう言うと、ルーは眉間に皺を寄せた。
*
翌日、エマは朝からいつも通りに店番をして働いていた。
昨夜の夕食は、みんなで遅くまでとにかくにぎやかに過ごし、ルーは「明日見送りに来るから」と言ってロイが送って行った。
夕方になればジークヴァルトが迎えに来るが、それまでの時間エマは名残惜しむように、いつもの仕事をいつも通りして過ごしたいと思った。
「いらっしゃいませ~」
店にやってきたのは常連の八百屋の老婆だった。以前、孫が怪我をしたと言って駆け込んできた老婆だ。
「ああ、おばあちゃん」
「こんにちは。しばらく故郷に帰ってたんだってね。留守の間に大変なことになったねえ」
この話はパンを買いにきた客ともう何度もしている。強盗に入られた話しはあっと言う間に街じゅうに広まっていた。
「はい。お店も元通りなんでまたご贔屓にしてくださいね」
「ちょうど会えてよかったよ。じつは爺さんの腰痛の薬が欲しくてね。お願いできないかね?」
近所の老婆たちのあいだではエマはすっかり薬草屋の扱いだった。
老婆の期待に満ちた目が眩しい。
「おばあちゃんごめんね。泥棒に全部盗られたから、もう薬は作ってないの」
老婆が見る見るしょんぼりとしていく。
「そうかい。もうダメなのかい。これから寒い季節になるしねえ」
エマがジークヴァルトのもとへ行けばもう老婆に薬を作ってあげる機会はないだろう。そう思うとエマはこの老婆の願いをきいてあげたいと思った。
「……わかったわ、おばあちゃん。薬作らせてもらうね。でもそのかわり協力して欲しい事があるの」
エマは休憩時間になると老婆の家へ向かった。
外に出ることをスーラにとめられたが、老婆の家は同じ通りにあるし、今は昼日中だ。
せめてルーに一緒に行ってもらったらどうかとも言われたが、ルーが今日の見送りに来るのはまだ少し後の時間だろう。
夕方までに余裕で帰るには今出かけた方がいい。
「我ながらいいアイデアよね。薬の材料を用意してもらって、お婆ちゃんの家で作ればいいのよ」
エマだって外をうろうろするべきでないことは分かっていた。だから、エマにとって最短で最善のナイスアイデアだった。
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帰り道、バスケットの中にはお礼でもらった野菜がたくさん入っている。
「あーいい仕事した。お爺ちゃん専用で速攻効くように作ったもんね」
まだまだ明るい時間帯で人通りも多い。それでもエマは足早に家へと急いでいた。
すると、どこからか「エマさん…エマさん…」と呼ぶ声が聞こえた。
足を止めあたりを見回すが聞き間違いかと思った。でも、また「エマさん…」と呼ばれた。
確かに声がした方をみると、路地の角に見たことのある人影があった。
それは、テューセック村でエマに、飼葉小屋へ行くようにいった隣り村の娘だった。
髪で隠れてはっきり顔は見えなかったが、あの癖の強い濃茶の髪。確かにあの娘だ。
「あなたはっ!」
エマが咎めるような声を出すと、娘は路地へ向かって走りだした。
「あ、ちょっとッ!待って!」
駆け出す娘を慌てて追った。路地を右や左へ何度か曲がると、娘は開いていた扉へ入りガチャリと鍵をかけてしまった。エマは嫌な予感にはっと立ち止まった。
これは罠では…と。
ジャリッと、後ろで誰かが砂を踏みしめる音。
一瞬にして嫌な予感が的中する。
ゆっくりと振り向くと、いかにも凶悪な顔をした大柄の男が三人、ニヤリと嘲笑いながら立っていた。




