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56ジークヴァルトの怒声

 空が白み始めてくると山を登り家に行ってみた。もちろんジークヴァルトとルイス王子も同行した。


 『魔女のレシピ』については、皇太后の離宮で保管されているらしい。彼らにとって大切な証拠だ。そう易々と見ることは出来ない。


 いずれ魔女の真偽を確かめる場に、エマに立ってもらうことになるとルイス王子は硬い表情で言った。


 むしろエマには望むところだ。偽者が嘘の証拠をさらしてだましていることが『魔女』の矜持として許せない。

 そして、なにより偽者が調合した怪しげな薬を『魔女』の名のもとに広め、多くの人たちが被害を被ることが恐ろしい。

 現にその予兆がもこもこ草だ。あの毒草の密売にもホージ侯爵が関係しているらしい。

 あんな物を密売する人間だ。別の薬草や調合で人を蝕む薬を作るかも知れない。それを皇太后を後ろ盾にして『魔女』の名で売ることだってあり得る。


 無力なエマにはジークヴァルトたちの保護が必要だが、その陰にただ隠れたくはない。

 偽者とホージ侯爵の罪をあばく協力は何でもするつもりだ。


 でも、だからといってその(のち)も彼らの(そば)にいるつもりはない。

 若い未婚の『魔女』にこだわるならそれは権力者の側に置かれるということ。


 エマはそこまで翻弄されるつもりはない。『魔女』であると告白した時、全ての事が終わればこの国を出てひっそりどこかで暮らそうと心に決めている。



 たどり着いた山の家は跡形もなく焼け落ち、畑や柵も区別が着かないほどだった。

 周りの森は延焼を防ぐために家を中心に円を描くように切り倒され、森の中にぽっかりと穴が空いていた。


 焼けた臭いが鼻をつき、辺りの空気が生暖かく感じられる。陶器類は真っ黒に焼け転がっていて、完全に鎮火させるために小川の水がかけられぐっしょり濡れていた。


 エマはしばらく茫然と焼け跡を見ていたが、適当な棒を拾うと何か焼け残っているものはないかとあたりを漁ってみた。


(本当にひどい。さすがに何もないか。何もかも焼けたんだ。)


 ジークヴァルトが、「何か埋めて隠しているものなどはないのか?」と一緒に見て回るが、エマはゆっくりと首を振る。


「ありません。そんな隠す必要のものなんて。

この村じゃ家に鍵をかけることも稀なことなんです。

この様子では何も残っていないとは思いますが…」


 ジークヴァルトが何か(なぐさ)めの言葉を探しているのが分かったが、エマは気づかないふりをして下を向き灰の中を進んだ。

 いま慰められたら泣いてしまいそうで嫌だなと思った。



✳︎

 エマの気が済むまで見れるようにジークヴァルトとルイス王子は少し離れた場所から見守ることにした。


「かけてやれる言葉が何もなかった。かわいそうに。

賊らが持ち去ったエマの持ち物は、なんとしてでも取り返してやりたい。

きっとホージ侯爵のもとにあるはずだ。

王都に戻れば一気にかたをつけたいが…やっかいなのは『魔女のレシピ』だ。

エマは存在しない偽物と言ったが、それをどう証明するかだ」


「『魔女の力』が証明となると言っても例え重病人を治療して完治させたとして、それが『魔女のレシピ』を否定することにはならないからね。

あれはデタラメで作れるような代物ではなかった。

そもそもあの本は一体…」


 そう言ってルイス王子が隣を見ると、ジークヴァルトはじっとエマの動きを目で追っていた。


「ルイス、荒らされたエマの部屋、襲われた村そして焼き払われたエマの家。

彼女が奴らによって無残になっていたかも知れないと思うと怒りでどうにかなりそうだ。

もし…もしも、この襲撃に皇太后様も関与しておられたなら俺は、」


「待った。それ以上言うな」


 ルイス王子はジークヴァルトの瞳の揺らぎを見て理解した。


「君を謀反人にはしないと言っただろ?

僕の代には僕自らの判断でこの国と民を導いていかなければならない。

だから、皇太后がホージ侯爵の横暴を看過しているようなら諌めるのは僕の役目だ。

もし、侯爵に加担しているならーーー

そんなご老人はホージ侯爵諸共次代の王の意に添わぬ反逆者とみなす」


 ルイス王子は胸に秘めていた決意を口にした。

 本当はマリアンヌを『魔女』と認め婚約者にと言われた時に毅然とした態度で皇太后に拒否を伝えるべきだったのだ。

 そうすれば、ホージ侯爵の増長もなかったしエマに辛い思いをさせることもなかったはずだ。

 ルイス王子は過去の自分の不甲斐なさを悔やんだ。


「…分かった」


 ジークヴァルトが噛みしめるように静かにそう言った。

 そして、


「だが、もしもエマを『魔女』と認めマリアンヌ嬢でなく彼女を婚約者になどと馬鹿げた話になった時は、俺は彼女を連れて国境を越えるからな」


と物騒なことを言うが、声は少し深刻さが和らいでいた。


「怖いことを言わないでほしいね。

以前にも言っただろ?

僕は君とエマを失いたくないって」


 ジークヴァルトがかすかに口角を上げた。


「ところで、随分エマにアピールしているけど、エマも初々しい反応だし、脈はあるんじゃないか?

貴婦人の憧れジークヴァルト様がアプローチしているのだから当然か?」


「エマは戸惑っているだけで、俺をそういう想いで見ていない。眼差しでわかる」


「エマはそこらへんの女とは全くちがうからね。

貴族だとか金だとかで人を選んだりしないだろうね」


「俺から公爵家を取ったら何が残るんだろうな。

エマにただの男として愛されるならこんな幸せなことはない」


 貴婦人たちを卒なくあしらってきたジークヴァルトが、そんなことを言うのかとルイス王子は片方の口角をあげる。


「君、今まで自分から女性を口説いたことがないだろ?」


 ジークヴァルトは一瞬ほうけたが、意味を理解すると至極納得のいくことだったので思わずルイス王子に顔を向けた。


「そう…だな。好きな(ひと)ができれば振り向いてもらうためにまず何からすればいいんだろうか?」



✳︎

 エマは一縷の望みをかけて自分の部屋だった場所を丁寧に調べていた。


(やっぱり、学生服やカバン、教科書、ノート類も全滅か。

こんなことなら王都に持っていくんだった。いや、結局盗られただろうし、同じか…。あ…あった!)


 ポケットからハンカチを取り出して、真っ黒な四角い物をそっと持ち上げた。

 まだ温かい。それは溶けるように変形し、起動しないただの黒い塊だった。


「何か見つかったのか?」


「それは何?箱…?」


「いいえ。でも、私にとってはとても、とても大切な宝ものです」


 この世でたった一つ残された大切な日本の思い出を丁寧にハンカチに包んでエマはそっと胸に抱いた。


 山を降りる頃にはすっかり夜が明けていた。

 広場では飲み明かした人達がそれぞれの村に帰る用意や片付けをしている。


 ルイス王子はグレンやカトリーヌと話しがあるとその場を離れ、エマとジークヴァルトの二人になったところへ奥さんと村長が心配そうにかけよってきた。


「エマ、家の様子はどうだったの?」


「すっかり焼けて何もありませんでした」


「そう…、でも、これからはうちがあなたの家と思ってね」


 奥さんはそう言うとエマの肩をそっと撫ぜてくれた。


「ありがとうございます」


「そうだぞ、エマ。それにあのバカ息子は根性を叩き直すために知り合いの商家に修行へだそうと思っている。

やつも思い余ってのことだったから許してやってくれ。次に会う時はもうあんなことはないから安心していつでも戻っておいで」


「はあ…」


 ハンスのことは奥さんには大丈夫だと言ったし、村長相手に厳しく責め立てるつもりはない。

 でも、許して当たり前という雰囲気に納得出来ないものを感じ、なんとも歯切れの悪い返事しかできない。


「なんの話だ」


 村長の話にジークヴァルトが割って入ってきた。


 ハンスのことをどう説明していいのか躊躇(ためら)っていると、遠巻きに見ていた話し好きの中年の女たち三人が我先(われさき)にと寄ってくる。


「じつはですね、ここの息子さんのハンスがずっとエマに惚れてたんですよっ」


「それでね、エマちゃんならお似合いだし、ちょうど村に帰ってくるなら所帯(しょたい)を持ったらいいってことになって!」


「所帯…?とはなんのことだ?」


「ああ!お貴族様で言う、結婚!結婚のことですよ!」


「結…婚?」


「そうそう、それでっ、」


「エマ」


 振り返ったジークヴァルトの瞳は()()えと冷たかった。


「君はハンスという男と結婚するのか?」


 その雰囲気に答えを間違えれば暴発(ぼうはつ)しかねない危険を感じた。

 ルイス王子の側近を勤めるほどの人が衝動的に何かをするとは思えないが、エマは、


「いいえ。結婚なんてしません。ハンスさんとのことはお断りしました。

私は、誰とも、結婚するつもりはありませんから」


と、ゆっくりと慎重に言った。


 ジークヴァルトらにとってエマはホージ侯爵らと戦うための戦力であり、やっと見つけた『魔女』をみすみすこんな田舎で落ち着かせるつもりもないはずだ。

 でも、エマも彼らの(そば)に置かれるつもりはないことを暗に含んだ。


 ジークヴァルトはまるで白昼夢から覚めたように瞬きを何回かすると、忘れていた呼吸をするように深い息をはあと吐いた。


 そして、


「本当だな?」


とエマに念を押した。


 その何の意図も含まない純粋に(すが)眼差(まなざ)しに意外なものを感じて一瞬動揺したが、エマは「はい」と言って頷いた。


 だが、話はここで終わらなかった。


「そうなんですよ、エマちゃんは断ったんですけどね、ハンスが諦めきれなくてねぇ」


「誰も来ない飼い葉小屋でエマをいきなり押し倒しちゃったんですよっ!」


(おばちゃんたちもうやめて~!

宰相補佐様が目見開いて固まってるじゃない!)


 エマの気持ちはお構いなしに、驚くジークヴァルトを面白がるように三人は得意げに話し続ける。


「エマが怖がっちゃって。ねー、エマ」


「でも、山火事があってエマを探してた村長さんに見つかって、すんでのところで止めたんですけどね。

あのままだったら誰も気づかなかったかも!」


「「「「若いって、いいねぇ、アハハハハ!!」」」」


 あの時の恐怖を思い出すと犯罪を若さや情熱で片付ける女たちに憤りを感じるが、ここで現代日本の倫理観を主張したところで彼女らには伝わらないだろう。

 結局、こういう田舎では全般的に考え方がゆるい。娯楽が少ない分、特に恋愛に関しては。


「だから、服があんなに汚れていたのか?」


 ジークヴァルトは昨日のエマの様子を思い出したようだ。


 ルイス王子たちとの話の後、部屋で着替えた服は背中からスカートの(すそ)まで土で真っ黒に汚れていて、お尻をひきずったので布が所々破れていた。


「その男!どこにいるッ!!」


 ジークヴァルトの突然の怒声に戦慄(せんりつ)が走った。


 女たちは瞬時に口をつぐみ、村長は凝然と立ち、奥さんは両手で顔を覆った。


 腰の剣に手をかけ村長を睨みつけるジークヴァルトに、みんながハンスの命の危険を察した。


「も、申し…訳、申し訳ございませんっ!息子がとんだことをしでかしまして!申し訳ございませんっ!どうか、どうかっお許しをっ」


 バカ息子と言っていた村長が慌てて土下座をし、地面に額をこすりつけながら必死で頭を下げる。


 エマは、ジークヴァルトが殺気立つほどの怒りをあらわしてくれることに驚いた。

 でも、本当はエマが村長や笑う女たちにぶつけたい感情はこれだったのだと思うと、心の中のモヤモヤしたものが晴れたように思った。


「あ、あの、息子が言っておりましたっ。ある娘に飼い葉小屋に行くように言われたと。

エマは結婚を断ったことを後悔していて、もっと男らしく迫ってくれたら承諾していたと。

だから、エマが飼い葉小屋で待っているから行けと言われたそうなんですっ。

もちろん私はエマがそんなこと言うはずないって思っています。

ですが、息子は真に受けてしまってっ」


「ちょっと待って下さい!奥さん!

私、そんなこと言ってません!

だって、私、奥さんが飼い葉小屋で手伝って欲しいことがあるって、隣村の娘さんから言われて行って…」


 エマの言葉に奥さんが激しく首を振る。

 不可解な話にジークヴァルトの眉間にシワが寄る。


「どういうことだ?エマ、隣村の娘とはどんな娘だった?」


「どんな…、私と年が近そうな、癖のある濃い茶色の髪と瞳の…初めて見る娘さんでした」


「息子が言っておりました!濃い茶色の髪の、初めて見る娘だったそうです。

その娘は今日エマと初めて会ったが仲良くなって結婚話のことを相談されたと」


「ええっ!?私、そんな話誰ともしてません!」


「そんな娘、隣村にいたかしら……」と、奥さんも首をかしげる。



 癖のある濃い茶色の髪と瞳の娘…

 ジークヴァルトの脳裏に一人の令嬢が思い浮かぶ。

 だが、濃い茶色の髪と瞳の娘など珍しくはないし、王都にいるはずのホージ侯爵家のマリアンヌ嬢がエマの存在を知りここまで追いかけてきて罠に嵌めた?まさか。


 とにかく、エマがハンスに襲われかけたのはその娘が仕掛けた罠であることは間違いない。

 エマにとってここは故郷だろうが、彼女を襲った男に、罠にはめようとする誰かも分からない女がいる場所。

 ジークヴァルトはエマを連れて一刻も早く村を立ち去りたいと思った。


 剣呑な空気を撒き散らしながら考え事をしているジークヴァルトに誰も何も言えず、話し好きな女たちはそそくさとその場を離れ、村長と奥さんは息子への殺気はおさめられたのかどうかとジークヴァルトの様子を伺っている。


 エマは話しかけてきた隣村の娘を思い出してみた。

 好感の持てる、はつらつとした笑顔の可愛らしい子だと思った。飼い葉小屋で手伝いがいるという話も、とても自然で疑いもしなかった。

 でも、彼女は笑顔でエマを罠にはめようとした。

 あんな卑劣なことを笑いながらできるなんて、彼女は一体誰なのか。

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