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52悪意

結婚って…

私、まだ18歳で…

あ…この世界はこれが普通なんだ。

それじゃ私、ハンスさんと結婚して一緒に暮らして子供を産んで育てて…お母さんに…なるの?

無理…無理、無理…絶対っ無理っ!


 エマは慌てて席を立つと、テーブルの端にいき勢いよく深く頭を下げた。


「ごめんなさい!すごく良くしてもらって、今までも良くしてもらって、他所(よそ)からきた私なんかに良くしてもらって。ご恩は感じています。

すごく、すごく感じていますっ!

だけどっ、結婚なんて全然考えられなくてっ。

本当に、本当に、ごめんなさいっ!!」


 エマはぎゅっと目をつむり頭を下げたまま叫ぶようにそう言った。

 どれぐらいそうしていたのか、奥さんの手がそっと背中にのった。


「エマ、頭をあげて」


 恐る恐る顔をあげると、村長が困った顔で眉尻を下げ、ハンスはため息を吐いて下を向いていた。


「エマ、びっくりするようなこと言ってごめんなさいね。

ハンスはあなたのことが好きみたいだし、あなたなら村長の奥さんをやっていけると思ったから。

でも、結婚は恩返しでするものじゃないわ。好きな人としないとね」


 奥さんはそう言って、エマの背中をゆっくりとさすり、村長も「驚かせてすまん」と言って、ハンスの背中を「しっかりしろ!」とバンバン叩いていた。


 エマの心臓はドキドキとして足も膝がガクガクしている。

 この世界の結婚の適齢期が20歳前後だということは知っていた。

 でも、それを自分自身に突然つきつけられて、一生をかけて一緒に生きていく人をもうこの歳で見つけなければならないのかと思うと、とても不安で怖かった。



 翌日は朝から祭りのように人々が周辺の村々から集まって来た。


 村長たちとは昨日の気まずさを引きずる間もない程朝から大忙しだ。

 男の人たちは力仕事、女の人たちは収穫したものを仕込んだり保存したり加工したり食事の用意をしたり。


 穀物の他に、果物などの農作物の収穫もこの季節に迎える。

 そのため、植え付けや収穫は近隣の村々が協力して行う大イベントだ。


 このたいへんな作業は早朝から始め、日暮れには全部終了する。

 村人の寄せ集めと(あなど)るなかれ。慣れた作業なので各自自分の判断で素早く動き、それでいて打ち合わせしたかのようにどんどん作業は流れていくのだ。

 そして、日暮れになると今度はきっちり撤収まで終わって、それからみんなで打ち上げの宴会だ!


 いま村長の家の台所は宴会用の調理で戦場のようになっている。

 昼食作りも戦場だったが、宴会は品数も増えるし全員に一斉に振る舞うため量も大量だ。


 台所の勝手口を大きく開け放ち、庭にあるいくつもの臨時の竈でたくさんの女性たちが包丁を振り上げダンダンと豪快に食材を切っていき、大きな鍋やフライパンで火力と格闘している。


 エマはというと、臨時の竈と作業台を使って、朝からせっせと薬作りをしていた。

 エマが戸籍を作るために王都に行く時、村人用にいろいろと常備薬を大量に作っていったのだが、もうかなり使ってしまったらしいのだ。


 今回も長持ちするように、そしていろいろな症状に効くように胃薬や熱冷まし痛み止め、傷薬に目薬などなどを作っている。

 元の世界なら、医薬品作りは薬草に含まれる天然の有機化合物の化学構造を解明してその物質が体の中でどのように作用するかを明らかにし……などなどーーと大変大掛かりで高度な作業だが、この世界で『魔女』だけが知るルーンを使えば自在に作ることができる。


 何故この世界ではルーンに魔法の言葉と言えるほどの力があるのかが不思議だが、その問いに答えてくれる人は誰もいないし、今はそんなもの思いにふけっている場合じゃないっ!


(この薬はどんどん瓶に入れてっ、そっちの分はもう少し乾かしてたいから広げておいて、奥の分はもう包んで大丈夫かなっ)


 とにかく、忙しいっ!


 だからエマは気づかなかった。

 くせのある濃い茶色の髪の女の子が、同じ濃い茶色の瞳でエマを憎々しげに見ているなんて。



✳︎

アレがエマ・ハースト…

あんなのがあたしのルイス様を?

全然大したことないじゃないっ!


 ホージ侯爵からエマの存在を聞いてからマリアンヌは気になって仕方がなかった。

 社交シーズンが始まればルイス王子に直接聞いてみようと思っていたのに、たったの一度も舞踏会を一緒することがなかった。

 明らかに避けられている。


 侯爵はエマを始末すると言っていた。だからマリアンヌは心待ちにしていたのに、なかなかいい知らせが来ない。イライラが重なり、最近では夜もあまり寝付けなくなっていた。


 ところが、先日の夜、微かな物音で目を覚ましたマリアンヌは真っ暗な庭先を走る影を見つけ思わず後を追った。

 行き着いたのは庭の奥に建てられた建物。温室にくっ付いて建っている小屋だ。

 ここは立ち入り禁止とだけ言われているが、マリアンヌは換気窓からそっと中を盗み見た。ここから覗くと中の声も丸聞こえだった。

 ホージ侯爵が良からぬ者と何か良からぬ事に使っていることは知っている。あの人相で清廉潔白なはずはないので驚きもしない。


 テーブルの上には木箱や台所にありそうな道具類に、たくさんの本や紙の束などが無造作に広げられ、それにどこかで見たことのあるゴワゴワした葉っぱの植物が置かれている。


 粗野な男達はボソボソと侯爵に報告をする。


 どうやら数人でエマのパン屋を襲ったらしい。

 マリアンヌは歓喜の声が出そうになる口を両手でふさいだ。

 だが、肝心のエマが昨日の早朝に実家の村に帰っていて、持ち物のだけ盗ってきたと話が続いた。


 男達の無能ぶりにかっと頭に血が上ったが、今度はマリアンヌを青ざめさせる話が続いた。


 木箱には薬草屋が往診に使うような薬や道具が入っていて、本や紙の束も薬草やそれに関わる難しいものばかり。

 その中にはホランヴェルス公爵家のジークヴァルトのメモ書きがついた公爵家蔵書の高価な植物図鑑まであるらしい。

 さらに、『魔女の秘伝(レシピ)』がどこにもなかった、と。


 侯爵は、ルイス王子たちもエマ・ハーストの正体に気づいているかも知れないと舌打ちしている。

 そして、王子たちが襲撃に気づくに前にエマを追って何もかも全て始末するんだと粗野な男たちに命じ、こんなものまで持っていたのかとゴワゴワした葉っぱを掴み力任せに引き千切った。


(エマ・ハーストの正体?正体って…

『魔女のレシピ』って言えば、『魔女』しかありえないじゃないかっ!!)


 あのゴワゴワした葉っぱの植物、そういえば隣の温室でたくさんの小さな鉢植えがそんな形の葉だったような、とマリアンヌは思い出したがそんなことはどうでもいい。

 侯爵はマリアンヌには大切な話は何一つ教えてくれないのだから。


(こんな奴らに任せてられない。

あたしが自分で始末してやる。)


 部屋に戻って、手早く荷物をまとめた。

 急な出発には慣れている。木こりの父親と借金取りからさんざん逃げ回ってたから。

 侍女には、しばらく部屋に引きこもっているように装えと手紙を書いておいた。侯爵の叱責が怖くてマリアンヌの不在は黙っておくはずだ。


 金にものを言わせて街で借りた馬車を走りに走らせた。乗り潰したらまた乗り換えてとうとうテューセック村に着いた。


 村に着いたらよそ者は目立つ。旅を装って泊めてくれと村長の家に入ってやろうと思っていたら、なんと今日は収穫日だった。

 神様はあたしに味方してくれているとマリアンヌは喜んだ。


 そうして手伝いの一人としてうまく紛れこんだ。

 適当に手伝いながら、エマにどうやって近づこうか考えていたが、ごった返す台所で周りの女たちの世間話がうるさくて鬱陶しい。


 また無駄口が始まった。


「ドリスの婆さんが亡くなってからはエマが村では一番の薬草を扱う腕を持っているんだからずっと村にいてほしいねえ」


「そういや、あれ、上手くいったんだろうかねえ」


「あれってなんだい?」


「あれだよ、あれ、ここの息子のハンスの結婚話だよ」


「へえ!あの気弱なハンスが嫁もらうのかい!誰なんだい?」


「だから、あの子だよ」


 女が顎でくいっと合図したようだが、村長の息子の話しなんかマリアンヌに全く興味はない。


「ああ、エマかい!」


っ?!


「そうそう、ハンスがずっと惚れてただろ?エマに村にいてもらったら安心だしね。

王都から戻ったら所帯持たせたいって奥さんが言ってたんだよ」


(エマが結婚?村長の息子と?

ふっ、ふふふふ、ぷふふふふふ!

芋剥いてるんだから笑わせないでよ!指切っちゃうじゃん!あはははははは!)


「ちょっと!あんた達!その話しちゃダメだよ!」


 横で話を聞いていた別の女が口をはさんできた。


「なんだい、どうしたんだい?」


「その結婚話なくなったそうだよ。

今朝奥さんががっかりしながら教えてくれたんだよ。エマが申し訳ないって、断ったそうだよ」


「ゆくゆくは村長の奥さんになれるんだよ?もったいない」


「理由は知らないけどね。エマも王都に行ってたし、好きな人の一人や二人できたのかもね…。

さあさあ、この話はお終い。奥さんの耳に入ったら気が悪いからね」


(エマ、あんなにいろんな薬を作れるなんて、まるで『魔女』みたいじゃない。

なんでお父様があんたの正体に疑いを持ったのかなんて知らない。

でも、多分あんたがホンモノの『魔女』だ。

あたしの感がそう言っているもの。

だからエマ、あんたはハンスのお嫁さんにならなきゃ。

お嫁さんになってこの村で一生ずっと暮らさないとダメじゃない。)


 太陽が沈みかける頃、すべての作業を終えた男達が続々と戻って来た。


 適当な男をつかまえてハンスがどこなのか聞いてみる。年配の男が首から下げた布で汗をふきながら、ああ、あいつだよと指をさした方向に目をやると、痩せ型のひょろりと背の高い男がいた。


(エマ、とってもお似合いじゃない!)


「ハンスさん、ハンスさん!」


「え、え、あんた誰?」


「あの、エマさんからたのまれことがあって!」


「エ、エマ?」


「あたし、隣村から来てエマさんとは今日あったばかりなんですけど、すっかり仲良くなっちゃって!

それで、ハンスさんとの結婚の話を聞いたんです」


 ハンスは気まずそうに目を逸らしているが、マリアンヌは手を組んでお願いポーズで熱弁する。


「エマさん断ったこと後悔してるって、言ってました!」


「ええっ!」


「エマさん、ハンスさんがもっと強引に男らしく迫ってくれたら頷いてたかもって」


「エ、エマが…」


小首をかしげながら可愛く上目遣いをすると、ハンスが頬を赤らめ動揺するので、マリアンヌは気をよくして最後のひと押しをする。


「それで、宴会が始まって少ししたら飼い葉小屋で待ってるそうです!」


「え、ええっ!エマがっ…!?」


 ハンスに近づき、分かりやすく言ってやる。


「エマさん、強引な人が好きなんですよぉ。

疲れてるハンスさんを癒したいんですって。

飼い葉小屋は誰も来ないし二人だけになれるでしょ?

だ・か・ら、エマさん、待ってるって!

この意味、分かりますよね?」


 ふらふらと歩み去るハンスをマリアンヌはにっこりと送り出した。

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