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41誘い

 エマは、今日は本屋にきていた。

 本屋と言っても大通りにある大きな店で、庶民が気軽に入れる場所ではなく、主に貴族が顧客となっている高級店だ。

 高級ブランドの路面店のショウウィンドウのように、歩道からよく見える窓越しに高級書籍が飾られている。

 店内に入れないエマはここに飾られる様々に高価な書籍をいつも見て楽しんでいた。

 今日はたまたま緻密な挿絵がふんだんに施され、装丁も本革製の素晴らしい植物図鑑だったので、こうして窓に張り付くようにじっと眺めている。


「今日はお店の前通ってラッキーだった!

挿絵も全部手描きで、ホント素敵~芸術品の域よね。

さすがにこんな図鑑は図書館にないからね。

はぁ~こんな植物図鑑、欲しいなぁ」


(ここに飾られるのも今日までかも。窓越しだと痛むだろうし。もうちょっとじっくり見とこ)


 エマがそうしている間にも店には人の出入りがあり、いつもの日常の光景だった。

 なのに、今日に限って「エマ」と聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。


「ッ?!」


 本屋の正面玄関からエマに向かって颯爽と歩いて来るジークヴァルトは、いつもの下級貴族の服装ではなく、初めて会ったときのように上級貴族に相応しい装いをしていた。


 その姿は「素敵だな」と目には映ったが、それだけだった。

 エマにとってジークヴァルトはもう貴族社会という自分とは別の世界で生きる「公爵家のご嫡男様」だった。



✳︎

 ジークヴァルトは、たまたま半日の執務を終え以前から注文していた書籍類を取りにこの本屋に来ていた。普段なら屋敷に納品させるのだが、今日は帰りの途中に寄ったのだった。


 エマを見つけたのは本当に偶然だった。

 店主の見送りを受けながら店から出たところで、ショウウィンドウ前にいる女性が視界に入った。

 榛色の髪の頭が動き横顔が見えた時にはもう足がそちらに向いていた。


 慌てるというイメージからは遠い、いつも紳士然としているジークヴァルトの突然の行動に驚いただろう店主が思わず呼び止めた。だが、それを背中で聞きながらジークヴァルトはエマが立ち去らないうちにと彼女の名前を呼んだ。


 呼びかけに気づいたエマは驚きながらも応えてくれた。


「…こんにちは…宰相補佐様」


 役職名で。


 今の今までエマがジークヴァルトを呼んだことはなかった。呼ぶような必要も場面もなかったから。

 もし、平民の彼女が貴族の名を呼ぶとしたら家名や名前はありえない。だから爵位か役職名が妥当だ。

 そうと分かっているのに、ジークヴァルトはそれに少なからずショックを受け、不満が顔に出た。


 膝をちょこんと折って挨拶し、俯いてしまったエマにしまったと思った。

 数日前図書館に行った時、結局エマには誤解していた謝罪をしないままになっていたのだ。エマにとって、ジークヴァルトはまだ酷い誤解をしたまま自分を嫌っている存在だ。

 挨拶をしただけで機嫌を損ねた理由が分からず俯くエマに、怖がらせてしまったと慌てた。


 だから、なるべく穏やかな口調で、


「こんな所で会うとは思わなかった。どうしてここに?」


と尋ねた。


 すると、上げた顔に怯えや恐れはなかったが、代わりに驚きの瞳で見上げてきた。


「……飾ってある本が綺麗で見ていました」


 それはそうだろう。ジークヴァルトがエマにまともに話しかけたのがこれが初めてなのだから。


 とにかく、その瞳に負の感情がないことを見てとると、ジークヴァルトはほっとした吐息混じりに「そうか」と応じた。

 そして、エマが興味を引かれたのはどのような本かと気になり目をやると、それは植物の挿絵が美しい『植物図鑑』だった。


ーーー多分、エマは『魔女』だ。


 自分で得た確信が自分を暗い気持ちにさせる。

 たが、このままここで別れてしまうのが嫌だと思うと、もう強引にエマを誘っていた。


「これに似た図鑑がうちにある。よければ貸そう。時間は大丈夫か?なんならスーラに使いを送ろう。さあ、こちらへ。あの馬車だ」


 急な申し出に戸惑い一歩二歩と後退るエマを、エスコートするためにジークヴァルトは彼女の背に手を添えた。

 それは思いがけずエマの榛色の髪に触れることになった。長く柔らかい髪はさらりとジークヴァルトの指を滑り、その手触りはしっとりと手に馴染んだ。

 ジークヴァルトに男が持つある(しゅ)の衝動が沸き起こったが、努めてスマートに馬車へ導いた。

 だが馬車に乗る際にも、この後降りる際にもエマの手を取り甲斐甲斐しくエスコートしたのだった。



 でもそれを受けたエマは、豹変と言っていいほどのジークヴァルトの態度の変わり様に、ただただ困惑するばかりだった。


 やって来た公爵家の読書室、いや読書棟にエマは目を剥いた。


「こ、これは…」


(凄い!凄すぎる!!)


 別棟(べつむね)の三階建で中心が吹き抜け、壁全体が本棚だった。歴史を重ねた(おもむき)のある高級本屋が丸ごと一軒ある感じだ。

 一階の広い部屋には高価な筆記セットが準備された重厚な机、猫足のカウチソファにソファセット。


「エマ、どうした?」


 ジークヴァルトが、エマが受けた衝撃など露ほども知らず、二階へつながる階段の手摺に手をかけ待っている。


 びっしりと並べられているどれも高価で価値のありそうな書籍類に唖然としながら後につづくと、ジークヴァルトには何がどこにあるかが分かっているようで、「図鑑類はこっちだ」とエマを導く。


「これなのだが」


 エマでは決して手の届かない高さから一冊抜き出し手渡された図鑑は先程の本屋でみた図鑑に似ていて、でも実際手に持つととんでもなく高級品だと分かった。

 適当なページを開いてみると、これは安易に借りていいものではないとすぐに判断してジークヴァルトに差し出した。


「こんな高価なもの、やっぱり貸して頂くわけにはいきません」


「構わない。どうせここに置いてあるだけなのだから」


「でも…」


「……だが、どうしてこんなものに興味があるんだ?」


 戸惑うエマにジークヴァルトは話を変えてきた。そうなるとしつこく遠慮しているのも変になる。


「植物が…好きなので。特に図鑑は挿絵がとても綺麗ですし、緻密な挿絵のある図鑑は図書館にもありませんから」


「そうか……。下に茶を用意させた。飲んで行くといい」


 エマは弾かれたように顔を上げ、


「いえ、とんでも御座いませんっ。すぐに失礼いたします」


と、さすがにはっきりと辞退するが、下を見るとさっきのソファセットのローテーブルにティーセットをメイドが用意し、退出して行くところだった。


 こうなると帰るほうが失礼だろう。すっかりジークヴァルトのペースに流されている。


「……ありがとうございます。それではお言葉に甘えて…」



 

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