40動揺
翌日、ジークヴァルトは執務が始まる前の早朝に登城し、足早にある場所を目指していた。
そこは城内でも限られた者だけが入ることができる資料室。
過去の機密文書が保管されており、政に関する皇太后の占いの全ての記録も保管されていた。
皇太后が『魔女』であることを知っている者だけがこの部屋へ入ることができる。
ここは『国王』という存在がある、王国である。国は国王が治めなければならない。
政治に占いが関わっているとは知られてはならない。
当然、魔女探しを命じられたホージ侯爵も、その他の貴族同様、皇太后が『魔女』だとは知らない。
資料室の周辺は普段日中であっても人気がない。ましてや執務前の早朝なら静まり返っていた。
ジークヴァルトは、許された者だけが持つ幾つかの鍵の中から資料室の鍵を取り出すとそっと鍵穴に挿し込んだ。
カチャリと鍵が開く小さな音が大理石作りの壁や床に微かに反響する。
資料室の中は窓が無い。空間は奥行きがあり比較的広く、通風孔があるので湿気ず空気は淀んでいない。
図書館の本棚のように資料が整然と並べられてあるが、ただ図書館と違うのは何がどこにあるかは記されていないこと。限られた者しか閲覧しない場所なのだから、わざわざ記す必要もない。
ジークヴァルトは扉近くに備えられている簡素な机の上の、手持ち用の小さなランプのガラス板を一枚外し、その中に火を灯した。
資料室の扉を閉めると、光源はこのランプのみ。オレンジ色の小さな光でも暗闇の中なら辺りを照らすには充分な明るさだ。
ランプを手に、天井近くまである資料棚の間を迷いなく目的の場所まで歩いていく。
視線を数ある資料の背表紙にさっと走らせると、ある一点に目が止まった。長い指を背表紙に滑らせ、書かれた文字を確認すると棚からスッと抜き取る。
そして、再び机に戻ると小さなランプを置き椅子を引いて座ると、手にしていた冊子を自分の前に置いた。
目の前の冊子には、皇太后が魔女探しをホージ侯爵に命じ、侯爵が魔女マリアンヌを連れ帰るまでの全ての内容が記されてある。
ジークヴァルトは、冊子をゆっくりとめくった。
この冊子を見るのはこれが初めてではない。
ホージ侯爵がマリアンヌを連れ帰り、マリアンヌが魔女であると皇太后のお墨付きをもらったことで、それまでの行程は正式に資料として纏められた。その際に全てに目を通していた。
だが、その中に書かれた、ある村の名前をどうしても確認したかった。
ジークヴァルトは文字だけがつらつらと並ぶ無機質なページを一枚ずつめくっていく。
あるページを目で追っていた時、ジークヴァルトはその文字を何度も何度も見返すが、どこをどうみてもそうとしか読めない。
“テューセック村”
ホージ侯爵が皇太后の命令でまず最初に向かった場所。
エマを登城させる際、調査した報告書に出身地は書かれてあった。
あの時はエマに対する否定的な感情ばかりが勝ってしまい、「テューセック村」という文字がジークヴァルトの中で特に引っかかることはなかった。
だが、思い違いでもなく、間違いでもなく、エマの出身地は魔女探しの目的地と同一だった。
(五年前、この村には薬草を扱う自称魔女の老婆がいただけだった。
そして、同じ五年前、エマはこの村の大叔母に引き取られている。
ただの偶然か?)
読み書き計算はもちろんのこと、王都から三日も離れた片田舎で新聞や書籍から情報や知識を得ていた娘。
城での謁見をこなし、世継ぎの王子や貴族令嬢たちと同席の昼食会で何一つ恥ずべきところがない娘。
図書館で薬用植物の本を手に取っていたエマの横顔。
図書館の館長がペラペラと話していたエマの貸し出し内容……
「そんな『村娘』などーーーいないっ」
誰もいない部屋で冊子の傍に置く手を握りしめながら小さく絞り出した声は、すぐに闇にとけた。
エマの前ではマリアンヌの底の浅さは明らかだった。
マリアンヌが初めて城に上がった時、山奥に住んでいれば魔女だったとしてもこの程度だろう、と皆が納得していた。先代魔女が亡くなり教えを継承出来ていなければなおさらだと。
なにより、いままで正しく国を導いてきた皇太后が認めていることに間違いなどあるはずないのだから。
(ルイスはこの可能性に気づいているのか?
彼は初めからエマに好意的だった…
いや、知っていれば真っ先に喜び勇んで迎えにいくはず。
では、まだ気づいていない?
だが、エマの存在を知らせ皇太后様がお認めになれば、彼女はマリアンヌ嬢と対等になる。
ホージ侯爵の養女であってもマリアンヌ嬢の存在などあっと言う間に吹き飛ぶだろう。
仕える王子が望む女性を妃に出来るなど、喜ばしい限り……
臣下としては喜ぶ…べき。
いや、まず真偽だ。
真偽の証明。確実な証拠が必要だ。
エマも『魔女のレシピ』を持っているのか?
持たないなら証明出来ないのでは?
だが、もし、証明できれば………)
ジークヴァルトらしくもない散漫な考えが頭の中を駆け巡る。
(考えが上手くまとまらない。こんなことは初めてだ。
何故だ?
動揺…しているのか?
動揺?私が?)
だが、不意に
(もし、証明できれば彼女は、ルイスのものになるのか…)
という考えが脳裏をよぎった瞬間、胸がズキリと大きく軋んだ。
堪らず肘を着いた両手で顔を覆った。
そして、重く震える長い息を吐き出した。
(だめだ。もう自分自身も偽れないほど動揺している。
多分、エマは『魔女』だ。)
声を殺した呻き声が顔を覆う指の間からもれる。
(身分の枠が、外れた。
彼女と我々では生きる世界が違うと思っていたのに。
道が交わることはないと思っていたのにっ!
……………渡したくない。
エマを……、エマをルイスに渡したくないっ!)
「ーーーーー……いや」
激しい動揺から一転、急に冷静さを取り戻し手から上げたジークヴァルトの怜悧な美しい顔はあることを決意していた。
乱れた蒼味がかった銀髪の前髪からのぞく整った目元は鋭く細められ、もし目の前に人がいれば射殺してしまうほどに冷たい。
(これは…あくまで憶測だ。
そうだ、間違っているかも知れない不確かな憶測は口にすべきでない。
何もない。いつも通りだ。)
ジークヴァルトのアイスブルーの瞳を、オレンジ色のランプの炎の揺らめきがラベンダー色に染めた。
✳︎
ジークヴァルトは執務室に入り、いつも通り執務の準備を始める。
程なくルイス王子がやってきて席につくと、その傍らに立ちいつも通り朝の挨拶をして、「本日の執務は」と説明を始めたところでこちらを見上げるルイス王子の視線に気づいた。
「何か?」
執務中は言葉遣いを改めるのはいつものこと。
全ていつもの通りのはずだ。なのに、なぜ怪訝そうに自分をみつめてくるのか分からない。
「君、どうしたんだい?」
「何がでしょう?」
「へんな顔をしている」
ジークヴァルトの眉間に皺がよる。
「どういう意味でしょう」
「何かあったの?」
(何かあった…?……否。)
「何も…特に何もございませんが」
「……そう、それならいいけど」
ルイス王子は納得のいかない顔をしながらも、執務机に置かれた資料を手に取ると目を通し始めた。
そんなルイス王子の姿をジークヴァルトは傍で見下ろした。




