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37心の内

 戸外から馬たちの蹄の音が聞こえた時、エマは不安と緊張で胸をおさえた。深呼吸を二度してから戸を開けると、にこやかに「やあ」と手を上げるルイス王子の後ろに立つジークヴァルトが真っ先に目に入った。

 でも、彼はエマと目が合うと不自然に視線を逸らしてしまった。


(どうして来るんだろう…私のことが嫌いなのに…)


 いつも通り中に二人を招いたエマは、いつも通り素朴な菓子と冷たい香草茶を差し出す。

 でも、それをジークヴァルトが黙って口にすればエマは、


(どうして私の作ったものを口にするの?私が嫌いなんでしょ?!どうして食べてくれるのよ…)


と、戸惑い、切なくなる


 エマの心の中はぐちゃぐちゃだった。


 ルイス王子が、「いまは社交の季節だから色々と忙しくてね」などとあれこれ言っていることに相づちを打ちながらも、半ば上の空だった。


 一方、ジークヴァルトは、(つと)めていつも通りを装っていた。

 内心では、連日続いた舞踏会の話をルイス王子がする度、ダンスを踊った女性たちにエマの面影を追っていたことに今更気恥ずかしさを感じていた。

 そして、とにかく今まで誤解をしていた謝罪をしなければと焦っていたが、きっかけを掴めないでいた。


 でもそんなこと、エマに予想できるはずもない。

 だからジークヴァルトの思いとは裏腹に、エマは自分一人が心を乱していることに、とうとう(むな)しさを感じ始めていた。


 するとそこへ、店へと続くドアからスーラが顔をのぞかせた。


「どーも、お二人ともごゆっくりなさって下さい。エマ、ちょっといいかい?」


 ルイス王子とジークヴァルトに愛想笑いをしながら、こっちこっちとエマを呼ぶ。


「スーラさん、どうかしましたか?」


「今日図書館へ行ってきてくれないかい?この本を返してきて欲しいんだよ。いま酒屋の奥さんが来てるんだけど話が長くなりそうなんだよ」


「私の返却分もあるので大丈夫ですよ」


 スーラは「すまないね、頼んだよ」と言って数冊の本が入った袋を渡し、エマは快く受け取った。


「失礼しました」と再びテーブルに着くと、ルイス王子が「図書館へ行くの?」と聞いてきた。

 すぐそこでのやり取りだ。スーラとの話しはまる聞こえだったのだろう。


「はい、本の返却に」


 王都には国立の大きな図書館がある。国民なら誰でも無料で借りるとこができ、本の種類も多い。

 女性の識字率が比較的高い王都では、女性が図書館へいくことは特別なことではない。

 もちろん、エマも薬草に関係する本はもちろんのこと、小説や、新聞などを読みに頻繁に図書館を利用していた。


 そういえば目の前の王子様は図書館をつくった王家の人だ。


「あの図書館は本当に素晴らしいです。つくっていただいてありがとうございます」


「あの図書館の創設は百年ほど前になる。

創設した王の考えは、『国は、国民から知識欲を取り上げない。国民が知識を得ることは、ひいては国のためになる』だ。僕もそう思う。

実際利用している民から感謝の言葉を言ってもらったのは初めてだけど、なんともこそばゆい感じだね」


 ルイス王子は、穏やかに笑い同意を求めるが、ジークヴァルトは「ああ…」と返しただけでその先は続かなかった。

 ジークヴァルトは、どうしてか変に緊張してしまい、エマに対する言葉を見つけられないでいた。

 社交界ではどんな相手でもそつなく交わしていた会話が続かない。


 そんなジークヴァルトをよそにルイス王子は、そういえばと思いついた。


「街の図書館には一度も行ったことがなかったなあ」


 そうなると、「一緒に図書館へ行ってもいいかい?」となるのは当然の流れ。


 王子様のご所望に、肯定以外の選択肢があるはずない。

 内心ため息を吐きながら「ご希望であればご案内させて頂きます」と言ってしまっていた。


 街の人々が行き交う道を、美丈夫二人を連れて歩く。

 普段は気安くエマと挨拶を交わす露天の店主やおかみさんたちが唖然とした顔で三人が通り過ぎるのを見ている。


(後が怖い。後からおばちゃんたちの質問攻めが怖い。)


 とにかく、早足で図書館へ急ぎたいエマだったが、あれは何だ、これは何だとルイス王子がいろいろ尋ねてくる。自分が治める国なのに珍しそうにキョロキョロして、エマの迷惑など全く気付いてない。

 この状況から逃げ出したい一心で、もう走って振り切ろうかと本気で思い始めたとき聞き覚えのある声がした。


「エマ?」


 驚いた顔でルーが立っていた。

 細身のズボンの上に膝丈まである白の綿のシャツ。その上に皮のベストを羽織り、長い銀髪を片側でゆるく結んだだけの相変わらず性別を感じさせない格好だ。

 片手には薬草の束を抱えている。多分仕入れに行った帰りだろう。


「ルーッ?!」


 エマは救世主のように立つルーに駆け寄ろうとしてハッと立ち止まった。

 男性の姿をしたルーにこのまま駆け寄ればジークヴァルトは何と思うだろうか…とまで考えたところで、エマの中で何かが吹っ切れた。

 ジークヴァルトを(はばか)って親友のルーを避けなければならないことに馬鹿馬鹿しさを感じた。


(もうどう思われたって、いいっ!)


 エマは、ルーの元に駆けた。



 ルーは、二人の青年を見てすぐにピンときた。 エマが話していたこの国の世継ぎの王子ルイスと公爵家嫡男で王子の側近ジークヴァルトだと。

 それに、エマのこの様子だとまた面倒なことに巻き込まれているのだろうと容易に想像でき、内心舌打ちした。


(こいつらまた来ているのかっ、金髪の…これがルイス王子…)


 長身に美形、金髪に碧眼、上品で華やかでーーー軽薄な雰囲気。なるほど、エマが言っていた通りのザ・王子様だと失笑しそうになった。


 ルイス王子が、分かりやすい程怪訝な顔でこちらを見ている。ルーは面白くなり、敢えてエマの耳に顔を近づけてそっとささやいた。


「私が女だと絶対言わないで」


 わかったと素直に頷くエマに優しく微笑みかけると、右手を胸に置き二人に頭を下げる。


「はじめまして。私はルーというものです。エマの親しい友人です」


 親しい、に若干力を込めてそう挨拶するとルイス王子がついっと顔を上げ挑発にのってきた。


「やあ、こんにちは。我々は王宮警備隊のルイスとジークヴァルトと言う。エマの親しい、友人だ。

手に持っているのは…薬草?君は薬草屋かい?」


 ルーはしまったと思ったが答えるしかない。


「ええ、まあ」


「ふーん……あれ?君…どこかで会ったことがあるような?」


「は?いいえ、私はしがない薬草屋です。貴族様にお会いしたのは今が初めてです」


 ルイス王子の突飛な発言にルーは眉間の皺を深くした。

 ルーは隣国の公爵家令嬢だが、令嬢として国外の王族や貴族にまだ会ったことはなかった。そういう機会を得る前に家出をしたから。

 薬草屋と知られたことが、ルイス王子に大きなヒントを与えてしまったかと思ったが、別のことに気が散ったようだ。


 ルーは、またエマの耳元に顔を寄せ「大丈夫?」と聞く。

 エマは先ほどよりも落ち着いたのか、「図書館を案内するところだったの、近いうちにお店にいくね」とひっそりと早口でそう言って、「いきなりごめんね」と肩をすくめた。


 「困ったことがあったら、いつでもーー」と言い終わらないうちにルイス王子は「行くよ」と言ってエマを連れて行ってしまった。


 ルーは去っていくルイス王子らの背中を冷ややかに見送る。


(気まぐれなよく分からん男だ。まあ、エマに親しい男がいると思っただろう。これくらいの意趣返し当然だな。)


 いまは社交シーズン真っ只中。世継ぎの王子に挨拶だけでもと、多くの貴族たちがルイス王子が出席する舞踏会の招待にあずかろうと躍起になっている時期だ。

 下位貴族なら当主しか王族への謁見は許されない。

 本来、王族とはそういうものだ。街の娘に会いに来るなど異常なのだ。


(こんなに頻繁に通ってくるとは…やはり、あの王子は何か勘付いているな。もし、『魔女』だと知られ、エマの『力』を利用しようとするなら、エマを連れて私の国へいこう。)


 それに、エマを悩ます最大の原因。あれが、宰相補佐ジークヴァルト。

 彼はルーにあからさまな感情は向けてこなかった。

 感情の読めない無表情、アイスブルーの冷たい目でルーを観察していた。


(エマはあんな男がタイプなのか?私の兄様の方がずっと素敵でお似合いだと思うけど。

エマを傷つけ哀しませるくせにルイス王子と一緒にのこのこ来ているとはどういう了見かっ!)


 どんな高慢な男かと思っていたが、実際会って見ればルーを蔑んだ目では見なかった。『平民』に対しての貴族特有の差別意識はないようだ。


(では、エマだから傷つけた?

何を一方的に思い込んでいるかは知らないが、結局エマが気になるから会いに来て、エマの後ろをついて歩いているんじゃないか。)


 そうでなければ、ルイス王子が街へ行きたいと言っても、止めることはいくらでも出来るはずだ。


(エマは嫌われていると思い込んでいるし、そんなねじ曲がった思いは到底伝わらないだろうな。お気の毒さま。)

 

 普通の娘なら一生かかっても会うこともない人物をこうして引き寄せるなんて、これが稀有な『魔女』が持つ特別な運命なのか、とエマを思った。


 そして、長身の男たちの姿が見えなくなった雑踏を見つめながら、


(エマを追いかける暇があったら、あのもこもこした植物を早くなんとかしろっ!)


(いか)った。

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