36マリアンヌの過去
マリアンヌは自室に戻るとベッドに倒れ込んだ。
何年経ってもあの父親は苦手だ。いつも偉そうで高圧的で、マリアンヌを蔑んだ目でみる。
(あたしは皇太后様からの大切な預かりものなんだ。ルイス様と結婚すれば侯爵よりも身分が上なんだっ!)
気持ちを落ち着けるように大きく息を吐きながらごろりと仰向けになり、腕で目を覆うと暗闇の中に記憶が浮かびあがる。
マリアンヌは、山奥で暮らす木こりの娘だった。木こりは上手く商売すれば山の恵みで穏やかに暮らせるはずなのに、父親は現金が手に入ると、その全てをそのまま賭け事に使っていた。
母親はすでに亡く、必然暮らしは極貧を極めていた。
借金から逃れるために地方の山から山へ転々とし、ある日王都から西の国境近くの山奥で一軒の小屋を見つけた。
麓の村からも遠く人目を避けて暮らすにはちょうどいい場所だった。人が住んでいる様子もなく、親子は勝手に住み着いた。
小屋の中は荒れておらず、簡素な椅子やテーブルの他に小さな本棚まであったが、金目のものや前の住人が誰なのか分かるようなものは何もなかった。
運命が動いたのは今から五年と少し前。小屋に住み始めて三ヶ月ほどたったある日のことだった。
父親の留守中、小屋の周りが急に騒がしくなった思えば小屋は馬に乗った大人たちに囲まれていた。
大人たちは今まで見たこともない上等の服を着て本物の剣を差していた。
14歳のマリアンヌはただ立ちすくむしかなかった。
馬を巡らし馬上からマリアンヌをジロジロと見下ろす年配の男は恐ろしかった。男は、『魔女』を捜しに王都から来た貴族であること、そして、『魔女』ではないか?もしそうなら王都へ連れて行くと言ってきたのだ。
マリアンヌには『魔女』とは何なのか分からなかった。
だが、生まれてこのかたこんな金持ちそうな大人たちを見たことがなかったマリアンヌは有頂天になってしまった。ましてや、本物の貴族だ。
借金まみれの父親のせいで歳より大人びて計算高くなっていたマリアンヌはここで首を縦に振ればこの生活から抜け出せると直感した。
頷いたマリアンヌに、年配の男の指示で大人たちが証拠になるものはないかと小屋の中を勝手に家捜しし始めた。小さな本棚はもちろんのこと、天井裏に登り、床板を剥がした。すると、床下から丁寧に隠された見たこともない文字で書かれた書物が見つかったのだ。
マリアンヌは書物のことはもちろん知らず焦ったが、意外にも恐ろしい年配の男がいいように解釈してくれた。
マリアンヌは年配の男が誘導するまま頷いた。そして出来上がったストーリーは、修行し始めた矢先に師匠である先代魔女が亡くなってしまったが、マリアンヌは魔女の弟子だった、と。
王都で対面した皇太后は白髪の綺麗なお婆ちゃんという印象だった。
「皇太后」とは何なのかすら知らなかったマリアンヌは、恐ろしい年配の男、ホージ侯爵が汗をかきながら低頭する姿を見てやっと自分も頭をさげた。
魔女探しの結果を聞いた皇太后は、見つかった書物を植物の挿絵が描かれていたことから薬草の魔女の秘伝書とし、マリアンヌを魔女の弟子だったとした。
マリアンヌは都合のよい流れに身を任せた。
その結果行き着いたのは、魔女の力は伝承されることはなかったが、「魔女になるはずだった娘」としてマリアンヌは世継ぎのルイス王子の婚約者に据えられた。
証拠の書物の文字は結局誰も読むことが出来ず、魔女の薬草の秘伝書として『魔女のレシピ』と名付け皇太后が自身の離宮に保管したのだった。
木こりの父親がどうなったかは知らない。マリアンヌは次々と開いてゆく運命の扉に、いつか聞いた物語のプリンセスにでもなったようにただただ舞い上がった。
義父となったホージ侯爵は、早速マリアンヌを貴族令嬢とするべく教師らを雇った。
彼らは皆優秀だった。
礼法の「れ」の字の素養もなく、識字もできなかったマリアンヌをたった三年で社交界にデビューさせ、舞踏会や晩餐会で「趣味は読書です」と言わせるまでに仕込んだのだから。
世継ぎの王子の婚約者という幸運にまで登りつめたマリアンヌも努力と執念でそれを乗り越えた。
だが、そのために倫理や道徳、貴族としての責務や義務などの教育の時間を犠牲にしたことをマリアンヌは知らない。
三年越しでやっと対面したルイス王子にマリアンヌは一目で恋に落ちた。まだ仮でも王子の婚約者として過ごす日々は夢のように素敵だった。
だが、最近のルイス王子の変化にマリアンヌも確かに気づいていた。目に見えて王子と会える機会が減っている。
側室候補の三人を後宮に入れた時もいつも通りだったルイス王子の態度が急変したのは、春の舞踏会後ーーー
マリアンヌは拳をきつく握ると横たわるベッドに勢いよく叩きつけた。
「あたしは絶対幸せになる!誰にも、誰にも邪魔させないっ!あんな生活には絶対戻らないッ!!」
ハアハアと息が乱れるまで何度も何度も拳をベッドに叩きつけた。




