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34立場

 ダンス程度で汗を…と自分でも不思議に思ったが、ジークヴァルトはとにかく涼しい風にあたりたくなり足早にテラスへ向かった。


 冷たい石の欄干に手のひらを置き、涼しい風が頬を冷やすと深いため息がでた。


(エマに悪いことをした…)


 一息つけばそんな思いが浮かんだ。


 エマの報告書を見て強かな女だと思い込んだ。だから彼女と初めて会った時、強く拒絶した。

 春の舞踏会で大きく感情を揺さぶられた自分が、騙されたようで腹立たしかったから。

 だが、このひと月で感じたエマの人柄、慎ましい暮らしぶり、(すが)る老婆の事情を聞くエマの眼差しは男爵の婚約者を助けた時と同じだった。


(本当に強かな女なら俺たちを優先していたはずだ。

だが、彼女は俺たちよりも助けを求める老婆を優先した。)


 エマが老婆とともに店を出た後のことだった。


 ジークヴァルトとルイス王子はケーキを自分たちで皿に取り分け食べた。

 出来立てで温かくフワリとしたケーキは口に入れるとナッツの香ばしく優しい香りが鼻に抜け、とても美味しかった。


 だが、二口ほど食べたところで手が止まった。


 ジークヴァルトはフォークを手にしたまま何とはなしに窓辺へ目をやると、その窓は中庭に面していて庭の緑が初夏の強い日差しを受け青々として暑そうだった。

 だが、中は、石作りの壁がシンと静まり返り室内をさらに沈黙させ窓から遠ざかるほど部屋のなかの陰を濃くしていた。

 飾られた色彩豊かな絵皿や小さな鉢植えの中で咲く明るい色の花々さえ、ぐっと口を引きむすんで重く沈黙しているように見えた。


 ジークヴァルトは、


(ここはこんなにつまらなく、寂しいところだっただろうか?)


と思った。

 それから手をつけたケーキを果実水で流し込むと、店にいたスーラが見送るのも中途半端に「また来る」とだけ言ってルイス王子と共に店を後にしたのだったーーー


(つまらない……寂しい……

分かりきっている…それは、エマがいないからだっ)


 ジークヴァルトの胸にジンとした痛みが走る。


 そもそもエマへの誤解が確信へと近づいたのは、初めて対面した謁見のとき自分を見上げる視線から明らかな好意を感じたからだ。


(悪い印象を持つ女にいきなりあんなふうに見つめられれば、やはり想像通りかと悪く誤解してしまうのは仕方ないではないかっ!)


 らしくない拗ねたような文句を心中で吐露してはっと気づいた。

 そういえば彼女から好意的な視線を感じたのはあの一度きりだ、と。


 いままでの自分の言動をつらつらと思い返せば、僅かな好意など消え失せて当然だった。


 そう、あの時も…


 キッチンに行ったルイス王子が気になり、二人でいるところを見てしまった。

 エマが何かをルイス王子に話すと王子は戸棚に手をかけ、エマの耳元で何かを囁いた。そして、エマは王子を見上げると……微笑んだ。


 その顔を見た瞬間、腹の辺りから濁った血がザワッと駆け上がったように感じた。


ーーー上手く誘惑出来たと思ったか。油断も隙もないな。


 気づけばあんな言葉を投げつけていた。


 あの笑みは誘惑などとはほど遠い…何かほっと安心したものだった。むしろ誘惑じみたことをしたのはルイス王子の方。


 エマは、店を出るとき、頭を深々と下げ、「失礼…いたします。申し訳ございませんでした」とかわいそうなほど恐縮し謝罪していた。


(あれは俺の言葉に対してのものだろう。)


 非のないことへの謝罪と、そうせざるを得ない立場。


 深いため息を吐いたジークヴァルトに自己嫌悪と罪悪感がのしかかり、額に手をあてたまま項垂れる。


(度重なる辛辣な言葉や態度でどれほど傷つけたことか。好意どころか、なるほど慇懃さで壁をつくるわけだ。)


 ジークヴァルトがのろのろと顔をあげ振り向くと、窓を隔てた向こう側にルイス王子が美しく着飾る女性たちと談笑をしている姿が見えた。

 またルイス王子が言った言葉が頭に浮かんだ。あれは、初めて行った時、自分は済んだと言って自らの昼食を出した時だった。


ーーーエマは優しいね


(まったくその通りだ)


 ジークヴァルトがふっと自嘲しているとルイス王子と目が合った。ルイス王子の目が「僕だけに仕事をさせる気?」と言っていた。


 ジークヴァルトはテラスを離れ煌びやかな貴族たちがさざめくホールへ向かう。


 エマへの誤解に気づいたとしても、ルイス王子の気まぐれが終われば二度と会うこともない貴族と庶民の関係だ。

 たとえ、エマが外国の貴族の出身だったとしても現状のままならこの社交界で会うこともない。


 公爵家の嫡男として、ジークヴァルトはあの窓の向こう側の世界で生きなければならないのだから。


 それに何より、エマの自分への好意は消え失せている。


 この時、ジークヴァルトの脳裏に、


ーー後からかまいたくなっても知らないからね。


ーーそれは、絶対ない。


ーーふーん、『絶対』ね。


とルイス王子が念を押した記憶は抜け落ちていた。

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