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25血筋としての矜持

 香り高い紅茶が目の前のローテーブルにそっと置かれた。

 はっと顔を上げると、扉を開けた若い執事とは違う老執事が柔和に微笑みかけてきた。


「お嬢さん、お砂糖やスパイスはいかがいたしましょう?」


 老執事に促されるようにエマが目の前のカップを手に取ると馥郁とした紅茶の香気がふわりと香る。


 この世界の紅茶は濃いオレンジ色をしている。

 貴族階級は主にこの紅茶を嗜み、庶民はハーブ茶を飲む。単に紅茶は高価だからだ。

異世界(ここ)の紅茶も種類は様々で、味によって甘みや酸味を加えたり、スパイスを加えたりして飲む。


 エマはこの世界の紅茶の味をドリスに教わった。高価な茶葉を買ったのではない。茶の木の葉から作ったのだ。

 魔女にとって、複雑にブレンドされた特産の紅茶でもどんな種類の茶葉がどれほどの量で組み合わされているのか知ることは簡単だ。

 いまエマに出された紅茶は色と香りからストレートで飲むのが一番良いタイプのようだ。


「とてもよい香りです。このままで。ありがとうございます」


 香りに誘われるまま微笑んでそう答えると、老執事もまた微笑み返しそっともとの位置に退いた。

 手にあったカップの紅茶の香りが鼻に抜け、肩の力までぬけた。


(さすがは公爵家の執事。この場に座るということは主人が招いたということ。それなら私がド平民でもお客様として扱う…)


 何の理由で呼ばれたのかはわからないが、すべては目の前で長い足を組んで優雅にお茶を飲むこの王子様の気まぐれが原因だと思うと段々腹が立ってきた。

 何が楽しいのか微笑んで機嫌良さそうだ。

 この王子様がここへ呼んでくれたおかげで誤解の上塗りをする羽目になった。


(そもそもあなたが気まぐれ起こさなきゃ私の日常は平穏だったんだから!

どうして私がこんな居た堪れない気持ちにならなきゃなんないの!)


 もしかして、これは平民娘を貴族の屋敷に招いて威光を見せつけて、場違いさにオロオロしたり惨めさに萎縮したり、反応を楽しむ貴族のお遊びだろうか。

 そうなら悪い女を(いじ)めてやろうっていうお遊びで呼ばれたのでは?


 そこまで考えが及ぶと、一口飲んだ紅茶の高貴な芳香が全身を包んだように感じ、まるで魔法にかけられたようにエマは背筋をすっと正した。


(よし、おどおどするのやめた。

いま私は招かれた客。何を卑屈になることがあるっていうの。

何が出ても完璧に対応してやろうじゃないの!

勝負してやろうじゃないの!)


 ルイス王子の面差しが言いたいことを言い合っていた気心の知れた従兄弟たちと重なる。

 従兄弟妹たちはエマより年上の兄弟と年下の妹の三人がいる。母の兄の子供達だ。年上の従兄弟たちは古くからの貴族として社交界へデビューをしていたが、エマはその範囲ではなかった。

 だが、折にふれて実家へ帰る母親にとって、エマが従兄弟妹たちに引けを取らないマナーや知識を身につけるために躾を怠らなかった。見栄や自尊心からではなく、血の連なる女子としてと当たり前と考えていたからだ。

 エマにとって祖父の邸宅を彷彿とさせるこの空間でなら尚更、貴族の血筋として胸を張りたかった。


(私は勝つ!勝って、公爵家の玄関から堂々と帰ってやる!)


 エマは心中メラメラと並々ならぬ闘志を燃やしながらそっとカップを戻すと、気まぐれにこんなところへ自分を引っ張り出した美丈夫なルイス王子をまっすぐ見た。


 エマの雰囲気が変わったことにルイス王子が面白がるように目を驚かせる。


「先日の茶会では、忌憚(きたん)のない意見を聞かせてもらったね」


 ルイス王子は茶会での何かを咎めるのではなくそう切り出した。柔和な微笑みを浮かべ、長い足を組みかえながらとてもリラックスしている。


 かたやエマは早くも青ざめていた。


(……は?忌憚のない意見??)


 昼食会での話題について言われているようだが、なにせ断片的な記憶しかない。

 その原因は窓辺にすらりとした身体を預けて立ち、こちらを見つめる公爵家ご嫡男のことを意識しすぎて昼食会では内容が頭に入ってこなかったからだ。


 エマはルイス王子のいう「忌憚のない意見」とやらは何だったのか、自分はそんなことを言ったのだろうかと目が動揺で泳いだ。誤魔化すために顔を俯け「いえ、そんな…」と言葉を濁しているとルイス王子はエマが恥ずかしがっていると解釈したようだった。


「出すぎたことを言ったと恥ずかしがることはない。令嬢たちの趣味への意見はなかなかだった」


 そこまで聞いてやっとエマも思い当たる。

 令嬢たちの趣味について感想を求められ、それらしいことをぺらぺらと話したのだ。エマは記憶を必死で辿る。


「…あっ!あー、あれは……し、新聞や本からの受け売りでして…」


 新聞といっても、週間で発行される十数ページほどのものだ。社会・政治・経済のほか生活や文化・芸術などの紙面がある。この国には何社か新聞社があり、読者は主に男性だ。それをドリスは村長経由で王都から取り寄せていて、あんな田舎の山の中にいながらも時事情報は得られていた。


「そう、新聞……っ!新聞?!」


 ルイス王子にとって、エマの口から『新聞』という単語が出てくるとは思っていなかったのだろう。一度聞き流した後に驚きの声をあげた驚き方にエマは笑いそうになった。


「はい。村長さんが王都から取り寄せていまして。届くのは数日遅れでしたが」


「へえ、新聞を…」


 ルイス王子は心底驚いたようだ。

 それもそのはず、この国の女性の識字率は低い。

 貴族は別にして、王都の商人の妻や娘たちは読み書き計算が出来るものが多い。スーラもパン屋を営んでいくうえで必要なためできる。

 だが、商家以外の女性や田舎ではその割合はぐんと下がる。

 テューセック村でも、エマと村長の妻以外は簡単な手紙を読み書きできる女性が数人いるくらいで、その程度でも村では女性ながら大したものだと言われていた。


 そんな状況から考えると、娘が新聞を読むということは非常な驚きなのだ。


「大叔母が読んでいたので、私も…」


「花の品種改良や織物、琴のことも新聞で?」


「……花…、あのフロールシアのことは以前新聞で読んだことがあります。まだ紫色は改良されていないと。

織物はとても緻密で美しかったので、額に入れて飾っても素敵だなと思っただけです。

琴は大叔母が同じものを持っていました。少し教えてもらったことがありますが難しくて途中で断念しました」


 答えながらエマは不可解に思う。咎めるふうでもなく、馬鹿にするふうでもなく、こんなことが聞きたくて呼んだだけなのだろうか。


「エマの大叔母殿はなかなかの文化人、趣味人だったのだね」


 ルイス王子が腕組みをしながら感心したように頷く。

 すると、ここまで黙って見ていたジークヴァルトが、


「田舎の村では過ぎた知識だな。エマ」


と、棘のある冷たい口調でそういった。


 エマの心臓が跳ねた。


 田舎の山奥で不釣り合いに知識を持つことに不審感を持たれたからなのか、不意打ちにーーー『エマ』と呼ばれたからなのか…


 心臓が跳ね、胸を大きく打ち始める。


「ジークヴァルト、そんな言い方はないだろう?

裕福な商家の妻が独り身になってから田舎で穏やかに余生を送ることもよくあること。エマの大叔母殿も?」


 ルイス王子が話を続けるが、心臓がうるさい。


(何でこんなにドキドキしているの?!)


「え?あ、お、大叔母ですか?えっと、大叔母は…趣味人でして、……それで、あの、私はずっといろいろ親戚の家を転々としていましたので、それまで面識は一度もありませんでしたので…。それに大叔母は自分の話は全くしないまま亡くなりましたし…」


(私何言ってるの?!言ってることめちゃくちゃ!)


 動揺のし過ぎで支離滅裂になってきたエマは、語尾を濁しながら顔を俯ける。


「立ち入ったことを聞いてしまったね、すまない」


 顔を上げるとルイス王子は痛々しそうに見つめながらエマの方へ身を乗り出す。


「あの、謝らないで下さいっ!気にしていませんからっ!」


 『王子』を謝らせるなどとんでもないことだ。両手を振り慌てて否定するが、そのエマの姿さえルイス王子には健気にうつったようだ。労わるように見つめ返される。


 ジークヴァルトがエマから視線を外し、呆れたようにハッと小さく息を吐き落としたのが視界の端に見えた。


 全身の血がざっと引いた。


(王子の同情買ってまた上手いことやったって絶対思われてる…

自分の前でよくも王子に媚びられるなって思われてる!)


「急にどうした?エマ?」


 ルイス王子はさらに腰を浮かせ身を乗り出すとエマの顔を覗き込んできた。心配げなルイス王子の瞳と視線が重なる。


 ルイス王子がエマを気遣えば気遣うほど、ジークヴァルトから冷気が漂ってくるような錯覚をおぼえる。


「あ、あの……も、申し訳ございません、し、仕事が…ありますので、これで失礼を…」


 手の震えを隠すようにぎゅと握り合わせ、よろよろと立ち上がると、頭をぺこぺこと下げながらジリジリと扉の方へ後ずさった。


 結局、見兼ねたルイス王子がメイドに帰りの案内を命じてくれた。


 こうしてエマは、公爵家の玄関から帰ってやる!との意気込みも虚しく、もと来た裏門から逃げるように公爵家を後にしたのだった。

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