23呼び出し
ルーを訪ねてからさらに数日後の午後。
「ただいま、スーラさん。休憩終わりました」
スーラと店番を交代するためにエマが店に入ると、スーラと普段作業場にいるはずのロジがいた。
二人はエマに気づくなり、待ちかねていたように詰め寄ってきた。
手には何やら小さな紙が握りしめられている。
「あ、あの、どうしたんですか?」
「どうもこうも、これを見ておくれっ」
差し出されたメモはパンの配達を依頼する内容だ。
だが、届け先に目を走らせた瞬間エマは目を見開いた。
届け先は、ホランヴェルス公爵家。はっきりとエマに持ってくるよう指名されてある。
エマは穴があきそうなほどメモを見つめ、そのエマをスーラとロジは心配げ窺う。
「エマっ、公爵家様からの使いだっていって立派な身なりの人が持ってきたんだよ。これってどういうことだろうね。
公爵様なんて大貴族がわざわざ町のパンの配達を注文するなんて。
それに一籠分なのに手間賃もって、充分過ぎるお代も先に渡されたんだよ」
スーラはエマが何か悪いことに巻き込まれているのかと不安をにじませる。
エマはそんな二人に心配をかけないように努めて平静を装うと、
「ホランヴェルス様は先日お城へ行ったときにお会いしたんです。お会いしたのはご嫡男様ですけど。
私がパン屋で働いているとご存知なんで、一度町の味を試してみたくなったのかも知れませんね。
でも突然でちょっとびっくりしちゃいました」
と、何でもないふうに明るくそれらしい説明を捻り出した。
スーラとロジは顔を見合わせホッと肩の力を抜いた。
「なんだい、そうだったのかい。あーびっくりした。それにしても公爵家のご嫡男様がねぇ、うちのパンを食べたいなんて光栄だよ。
特別美味しいパンを焼かなくちゃね、あんた」
スーラはロジの肩をポンポンと叩くと、ロジもああと頷く。
心配して気を揉んでくれていたのだろう、やれやれと言いながら休憩するため二人は住居の方へ入って行った。
二人の姿を見送ったエマは、店と住居を隔てるドアをスーラが閉めた瞬間、店番の椅子に頭を抱えて座り込んだ。
(何これっ、どういうこと!?
私になんてもう会いたくないんじゃないの!?
もしかして昼食会のとき何か不味いこと言った!?
何話したか全っ然覚えてないっ!
それで今更お咎めとか?!今更?!
でも……でも、私のこと忘れてなかった)
とはいえ、あの時のジークヴァルトの様子から楽しいことが待っているはずもなく、かと言って呼び出された理由が想像がつかない。
時間は無情にも過ぎていった。
ルーに相談したくても、仕事を放っていくわけにもゆかず、スーラたちにも心配かけるわけにもゆかず、あっという間に翌日の朝を迎えた。
エマは最近買った新しいバスケットに新しい白いナフキンを敷き、ロジが丹精込めたパンを丁寧に盛り合わせ、可愛らしい柄の新しいナフキンを被せる。
そして、持っている服の中で一番ましな裾の長い小花模様の水色のワンピースを着て、髪も丁寧に梳かして見苦しくないように控えめな髪飾りでまとめる。
いまのエマに出来る精一杯で身なりを整えた。
昨日はあまり眠れなかった。
呼び出されたことに戸惑い、何か罰があるのかも知れないと恐れたり。それは考えすぎで裏口でパンを配達するだけで呆気なく終わるかもしれないとも考えてみたり。もし、ジークヴァルトに会えたのなら、私は周りの人たちを利用して成り上がろうなんてしてない、と思い切って言ってみようかとか。もくしは、誤解をして悪かったと言ってもらえる…?とか。
ほんの少し淡い期待を抱きながら、手鏡を覗き込みもう一度前髪を整えた。
✳︎
気をつけて行くようにとスーラに送り出され、荷馬車や商人、朝市の買い物客で行き交う賑やかな通りを歩き、王宮方向へ歩いて行くと、閑静な貴族の邸宅が立ち並ぶ区画へと入る。
立ち並ぶといっても、それぞれの屋敷は高い塀に囲まれた大きな庭を有しているので、各家の門扉から門扉まではかなりの長さがある。
なかでも公爵家は第一の貴族階級、屋敷の広さもそれに比例して広大だ。
使いの者が置いていった地図を頼りに裏門を探すが、塀沿いに延々と歩き、たどりついた時には息が切れていた。
(や、やっと着いた…疲れた…)
「……ここが裏門?」
(裏門っていわゆるお勝手口なわけで…、なのに何んなのこの大きさっ!)
エマは門構えに圧倒され後ずさったが、守衛に見つかり呼び止められた。
予め連絡が通っていて、守衛はすぐに屋敷内からメイドを呼んで戻ってきた。
もうここでバスケットを渡して帰ろうと、こちらへ来るメイドを待った。
鉄製の門扉が開かれ、人が一人通れるほどの間を通してもらう。
「スーラのパン屋です。ご注文のお品をお持ちいたしました。お受け取り下さい」
「どうぞこちらへ」
メイドはエマに和かに微笑みながらついてくるように促し、そのまま背を向けてスタスタと歩き出してしまった。
パンの入ったバスケットを両手で差し出したまま、呆気に取られているエマの背後で無情にも門扉の鍵がガチャンと閉ざされる。
その音がまるで牢屋の鉄格子がとじられたようにエマには聞こえた。
厨房まで配達しろということだろうと、明るい予想に切り替えながらメイドの後ろに続いた。
だが、厨房を通り過ぎ、使用人たちが行き交うエリアを通り過ぎ、長い廊下を通り過ぎ、絨毯が敷かれた廊下を通りすぎ、遂には、美術館か大聖堂かと見紛うほどの大理石が敷かれた広々とした通路をコツーンコツーンと木製の靴底の音を反響させながら、屋敷の奥へ奥へと進んでいった。
たまりかねて、
「あ、あの、これはどこにお届けすれば…」
と前を歩くメイドに恐る恐る問えば、
「もうすぐですので」
と静かに柔らかな答えが返ってくる。
その時見えたメイドの横顔は少し微笑んでいて全く悪意など感じない。
(優しすぎて逆に怖いんですけどっ!)
エマの脳裏にはもう悪い予想しか浮んでこない。
肘にかけたバスケットの柄をギュッと握り、この場から逃げ出す方法をめまぐるしく考える。
いまこのメイドにバスケットを押し付けて逃げたとしても確実に屋敷で迷子になる自信がある。
でも、このまま行ったら確実にあの人がいるはず。いざ本人に会うとなると緊張で逃げ出したくなる。
どうする、どうする、と考えているうちに、大理石の立派な階段を上り、結局、大きな両開きの扉の前まできてしまった。
メイドがノックをし、「お連れ致しました」と声をかけると、片扉がゆっくりと開らかれた。
入るようメイドの視線に促されたエマは、扉を開けて待つ執事らしき男性に小さく一礼して、そっと部屋に足を踏み入れた。




