海辺の村
広大な海原に無数の諸島を浮かべるギルナ諸島。
そして、その諸島の一角、ザガ島にはパクチ村と呼ばれる小さな漁村があった。木造の家々が立ち並ぶ、閑静な村だ。
白波が白い砂浜へと打ち寄せる。朝日が空を桃色に染め、村に夜明けを運んできた。
沖では数隻の中型船が太陽の方角へと帆を張って進んでいく。
そして、その様子を地面に腰をつけ両手を砂浜に突き立ててるような姿勢で座り込んで眺める一人の人物がいた。雑に整えられた少し癖のある短い黒髪に黒と紫を基調とした独特な民族衣装を纏い、足にはサンダルを履いている。
端から見れば少年といったところだが、実を言うと彼は歴とした少女なのだ。少年のような容貌は彼女が好き好んでしているものなのだ。
そして、彼女は名をジンジャーといった。
彼女は荒波一つ見えない茫洋たる海原を航行する複数の船影をしばらくの間眺めていた。
「姉ちゃん、そろそろ母さんが朝食になるから戻って来いてさ」
惚け顔のジンジャーに突然、声がかかる。
振り返ると、そこに立っていたのはジンジャーと同様に癖のある黒髪に
ジンジャーの弟のミントだ。顔だけを見ればジンジャーと瓜二つだ。違いを挙げるとすれば、ミントは姉に比べて顔立ちが少し柔和な印象を受ける。
「それにしても毎日毎日」
「最近は異海生物の動きが活発になってるからな。ただでさえ漁師は命がけだってのに、全く酷いもんだよ」
異海生物は近年になって突然、海上で目撃されるようになった未知の生物だ。その姿は目撃証言によって全く異なっている。サカナやカメ、ウツボといった他、竜や鳥、はたまた人型の物までいるという……。
しかし、全ての証言で一致していることとしては、その姿が巨大であり、かつ獰猛で見境なく船を襲撃してくるという点だった。その脅威を恐れた人々によって、これらは異海生物と呼ばれるようになったのだ。
以前は遭遇するのはごく稀で航海者の見た幻ではないかと噂されていた。しかし、徐々に目撃者は増えていくこととなり、海を越えてこの辺境の村にもその噂が流れてくるほどになった。それ以来、ジンジャーは頻繁に海岸から大洋の様子を伺っているのだ。
「まあ、この島の近海じゃあ目撃情報はないみたいだし、そこまで心配する必要もないと思うけどね」
ミントの軽口にジンジャーは少々難色を示す。
「そうでもないさ。隣村からの電報によれば、やつらは常にその勢力範囲を広げてる。いつこの海域に現れてもおかしくないんだ。警戒を怠らないに越したことはない。……さて、今日の海の様子に異常はなさそうだし、さっさと帰るか。こんな所で無駄話をしてたら母さんにしか……ん?」
ふと、彼女の視線が一点で止まり、言葉が詰まる。
「どうしたの、姉ちゃん?」
「なあ……あそこ……何かいねえか?」
恐る恐るジンジャーが指さした先へとミントも目をやる。二人の位置からは少し離れた場所、浜辺と海の境の波打ち際、そこには青と白との二色に分かれた何かが打ち上げられていたのだ。その正体に気が付いた二人は目をむく。
「人だ! 誰か倒れてるんだ!」
ミントがそう叫んだ瞬間、ジンジャーは勢いよく腰を上げるとサンダルで砂を踏みつけながらその人物に走り寄っていった。
打ち上げられた人物は、まだ若い少女だった。遠目に見えていた青と白は、彼女の身にまとっていた衣装と腰の丈まである長い髪の色であったのだ。
ジンジャーは彼女の側に来るとしゃがみ込んで彼女に触れる。
少女の身体はすっかりと冷え切り、まるで氷を素手で触っているような感覚を覚えた。
「死んでるの……」
ミントは不安げな声で問いかける。
そんな、ミントを尻目にジンジャーは少女の口に手を持っていったその時……。
「こいつ、まだ生きてる!」
ジンジャーは叫ぶ。
なんと彼女の口元からか細いながらも吐息が漏れていたのだ。
「ミント、母さんに頼んで毛布を用意しろ! それから暖炉に火をつけて部屋を温めておくんだ! あたしもすぐ行く!」
「わ、わかった」
ジンジャーの言葉に戸惑いながら答えると、ミントは村の方へと走っていった。
ジンジャーはその様子を見届けて少女を背に負ぶる。ずっしりとした重みが彼女に圧し掛かったものの、持ち前の剛腕で軽々と持ち上げる。そして、彼女もまた村の方へと足並み早く歩みを進めていくのだった。