第53話 ええ。惚れてください。
精霊大樹の街へと向かう道中、エリーは終始俺の傍で笑いを堪えている。
「笑いすぎじゃない?」
俺のぶっきらぼうな言葉に、エリーは傍に寄って微笑む。
『だから言ったのに』
「確かに、忠告を聞かなかった俺が悪いよ? でもさ、一応失恋したんだよ?」
すると、目をきょとんとさせて俺を見つめてくる。
『え? あれって失恋?』
「違うの?」
『うーん……普通に食事に誘って、たまたま誘った相手に婚約者がいて、単に一緒に食事をしましょうと同意を得ただけの、単なる懇親の延長線上の様な気がするけど』
「そうなの?」
『好意を伝えていないのに、どうやったら恋が破れたことになるのよ。そもそも、始まってすらいないのに』
複雑だ。
『それに、一方的に口説こうと思って食事に誘ったと思っているのはあなただけよ? 邪な思いで誘ったけれど、純粋な思いでそれに応じただけだから、温度差が激しくて見てて痛いわ』
「……それはそれで悲しいな」
『だから止めておいた方が良いって言ったのよ』
「まるで知っていたかのような言いぶりだねぇ」
『え?』
なぬ?
何でえってなる。
「知ってたのか!?」
『まあ、ね』
「どうやって知ったのさっ」
『……実際には結婚していたと思っていたけど』
「なぬぅ!?」
驚愕する俺をよそに、ため息交じりにジト目で俺を見つめてくるエリー。
「な、何さ」
『はぁ……まぁ、これも人生経験と思って、賢くなったと諦める事ね』
「理由を教えて、エリー先生」
『あなたは経験で覚えた方が良いのよ。ダリルくん』
「ケチ」
唇を尖らせ、精一杯の捨て台詞を吐き捨てると、エリーはぷいっとそっぽ向く。
『……指よ』
そっぽ向きながらも目線だけ俺に向けて呟くエリー。
だけど、指がどうかしたのか?
「指がどうしたんだ?」
『はぁ~』
めっちゃため息つかれたんですけど。なんでよ!
「何でため息。いいじゃんか、教えてよ」
『嫌よ。教えてあげない』
「ケチ。美人だからっていい気になるなよっ!」
『……貶しているのか褒めてるのかわかりにくい苦言ね』
ふんだ。
精一杯の抗議になるかはわからんが、大股に歩いて少しだけエリーと距離を離す。
俺の背後にエリーの気配を感じるが、拗ねているので無視してそのまま歩き続ける。
『……左薬指に嵌めた指輪の意味、本当に知らないのね。まあ彼らしいと言えば彼らしいし、これまで教えなかった私も悪いのだけど……でも、ちょっと悔しいと思ってしまうのが嫌だわ……もう、ダリルのバカっ』
少し頬を膨らませて呟くエリー声は、前を歩くダリルに届くことはなかった。
平穏無事に、道中魔物に襲われることも無いまま順調に進み続けていたが、もう間もなく到着する手前で一旦休憩を取ることになった。
木の根元で各々が足を休めている中、ハウンスカルを脱ぎ去りながらライラが俺の隣に並び立った。
「思っていたよりも、ここは平穏なのですね」
「そだねぇ」
『これだけの集団が移動しているのだもの、襲い掛かってくる魔物なんていないわ』
俺の相槌に重ねる様にして答えるエリーに、ライラはクスリと笑う。
「本当に不思議です。まさかあなた方と再会できるなんて、夢にも思わなかった」
「それは俺もだよ」
ふと思い出すのは、安全に暮らせる場所を探そうと彷徨っていた日々。
その時に立ち寄ったあの村でライラと出会い、悪霊を連れているという理由で教会の者たちに追われたことで強引に離れてしまったけど。
そんな事を思い出していると、ライラがふと複雑そうな表情を浮かべて俺を見る。
「こうして無事に会えているからいいけれど、あの後……闇商人たちを倒した後、二人ともいなくなってしまって心配したんだ」
「どうって言われてもね……まあ、逃げてたなぁ」
「ああ……教会の方たちかな?」
「そうそう。教会の方たちからね」
「やっぱり……」
ライラが納得した様に頷く。
チラリと彼女を見ると、何かを決意した様な表情を浮かべ、視線に気がついてか俺と目を合わせる。
「ダリルさん。これからは安心して欲しい」
「ん? 何をだい?」
「あなたが私を守ってくれたように、私があなたを守りましょう」
急な申し出に驚き、思わずライラの顔を覗き込む。
そんな彼女の目は、何故か優しいものになっていた。
「それは有難いねぇ。何せ、ノルドラント王国にたどり着くまで、ずっと逃げ回っていたからなぁ。短い間だけども、精霊正教国にいる間に帝国の人と仲良くなれるのはこちらとしても願ったりかなったりだよ」
頷きながら応じると、ライラは不思議そうに首を傾げ、そして小さく横に振る。
「そこは問題ありません。むしろ、傍に居たいと言っているだけです」
そうかそうか…………ん?
「ん?」
「あ、いえ。なんでもありません」
笑顔のまま首を振るライラ。
「まあ、何はともあれ、今後ともよろしくね」
「ええ。こちらこそよろしくお願いします」
にこっと笑いながら、手を差し出され、俺はその手を取った。
幾度も剣を振った、鍛え抜かれた手だったが、それはとても温かく、柔らかみを帯びる女性の手だった。
そんな手の温もりを感じながら、少し気恥ずかしくなって思わず声を出す。
「頼りがいのある手だね。いざとなったら、本当に頼りにしちゃうよ?」
「ふふっ、どうぞどうぞ。是非とも頼って欲しいですね」
「はっはっは。そんなこと言われちゃったら惚れちゃうよ?」
冗談交じりの何気ない一言。
だが、ライラの返答は予想もしない衝撃的なものだった。
「ええ。惚れてください」
「は?」
急に何を言い出したかと思うと、ライラは僅かに目を伏せながら、頬を僅かに上気させて続ける。
「ダリルさんは、独身……ですか?」
「え? あ、ああ、うん、そうだけど」
「そうですか……。ならば、いっそのこと恋人同士になっても問題ないですよね?」
「は?」
『ちょっと待った!』
ライラの言葉に、俺は思わず目を見開くが、その言葉を受けて驚いていたのはエリーも同じだった。
『待った! 待ちなさい! あなた、本気で言っているの?』
「え? ええ。本気ですけど」
『相手はこれよ?』
指さす先にはダリル君29歳独身の平凡な男が立っている。
俺だよ。俺。
というよりもだ、指をさすな。
「これ? え、ええ。ダリルさんですね」
『出会って間もないのに、そんな簡単に決断していいの?』
「初対面……ではないですよ?」
困惑しながらも微笑みを浮かべるライラに、何故かエリーは若干たじろぐ。
だが、すぐさまずずいと詰め寄る。
『……ダリルは30よ?』
29だ!
「ほう。まあ私は25だから、問題ないですね」
『む、むっつりよ!? えっちな事しか考えていないのよ?』
「まあ、それは男性ならば仕方がないだろう……」
『万年貧乏の甲斐性無しで、好きなものと言えば❝おっぱい❞って真面目に答える様な人よ?』
「え? 胸か? ならばそれなりに自信があるぞ」
チェーンメイルごしに胸元をぐいと持ち上げるライラ。
ちゃらふよんなんて音が聞こえてきそうなほど、一般的な女性よりも大きい胸部装甲をお持ちの様だ。
『むむぅ……』
唸るエリー。
いやいや、ちょっと待て。
俺の回答も聞かずに何で勝手に話が進むんだ?
俺ってここに居ない子? まさに空気か!?
なんて変な事を考えながら二人のやり取りをただ茫然と見ている俺だったが、ここでライラがおもむろに俺の方に視線を向けてきた。
「……私ではダメか?」
この潤んだ何かを懇願するような愛くるしい目に、貫かれない心はない。
うむ。ここは漢ダリル、精一杯肯定して夜の皇帝になろうではないか!
「いや、別にい『ダメです。もっと自分を大切にしなさい』い……」
おーい、エリーさーん。
というよりも、何故にそこまで断言できる? 俺ってばそんなにダメな子か?
俺の肯定発言に重ねてきたエリーにジト目を向けると、当の本人は素知らぬ素振りでそっぽ向いた。
だが、ライラはそんなやり取りを見たせいか、口元に手を当てながら肩を震わせて笑い始めた。
「あはは! ……やはり、エリーさんは相変わらずですね」
「相変わらず?」
「ええ。相変わらず、ダリルさんのことになるとムキになる所が変わっていないなぁと思ったのですよ」
『そんな筈ないわ。いたって普通よ、普通』
エリーがそっぽ向きながらそう答える、ライラは小さく首を振りながら背筋を伸ばして微笑みを向けてくる。
「このお話はまたの機会にゆっくりしましょう。では、間もなく出発でしょうから部隊に合流します。また、後ほど」
「ああ。そうだね」
小さく頭を下げた際に俺と目が合うと、ライラはウィンクしてにこっと笑いかけてきた。
冷静沈着な印象のあった騎士たるライラに、可愛らしさが追加されて危うく陥落しそうになった俺がいる。
そんな俺の事をジト目で見つめるエリーだったが、やがて深くため息を吐きながら呟く。
『全く……これも魔源者としての力かしら。ダリルの魔力は女性を引きつける何かがあるのかしら……』
すると、背を向けて去ろうとしていたライラが立ち止まり、俺とエリーに顔を向けて小さく笑顔を向ける。
「ふふっ……私、魔力の総量が少なくて、魔法を扱う適性が無いと判断されてますよ? それでは、また後程」
再び小さく頭を下げると、ハウンスカルを被り直し、その場を去っていった。
残された俺たちは、今の発言をよく理解しようとする。
『魔法適性が無い……ですって?』
ぽつりと呟くエリーに、俺は真顔で尋ねる。
「どういうことだ?」
『魔源者の魔力に影響されない……ということよ』
「……つまり?」
唖然とするエリーを目の前にして俺は息を飲む。
『じ、純粋に、ダリルの魅力に惹かれている?』
「え? 本当?」
『……知らないっ』
何故かエリーは腕を組んでそっぽ向いた。
ヘレナに振られたが、まさかのライラ……。
「……むふっ」
『あ、まさか、ヘレナに振られたくせに、もう立ち直ったの!?』
「ムフフ」
『ちょっと、聞いてる?』
「聞いているとも、エリーくん」
『く、くん……?』
「んむ。ついに、ついに俺そのものに好意を持つ者が現れようとは!」
俺がガッツポーズをしながらクルリと回ると、急にエリーが目の前に対峙する。
『あ、あなたね、ヘレナに言い寄ろうとしていたのに、舌の根も乾かぬうちに早速乗り換えようとでも言うの!?』
「何で? だってヘレナは失恋じゃないんだろ? ノーカウントっしょ?」
『くっ……あなたね、好きになる女の子を、そうポンポン替えていいとでも思ってるの!?』
「女性に愛されることこそ漢の本懐。出会いは酒場ではなく、戦場にあったとは……むふっ」
『何を良い事いったようなドヤ顔してるのよ。ちっともいいこと言ってないわよ? それに、そんな風に女性を振り回すのはおやめなさい』
エリーの言葉に、俺は思わず立ち止まる。
「振り回す? 誰が誰を?」
しまったと言わんばかりの表情をするエリーに、俺は意味が解らず問いただす。
「なあ、どういうことだ? 俺がいつ女性を振り回したんだ?」
俺の質問にたじろぐエリーだったが、何かを思いついたのか手をポンと叩く仕草をすると、真剣な眼差しを向けてきた。
『そ、そうよ、ポーラよ。ポーラは明らかにダリルに好意を持っているのよ? なのにポーラの想いには応えないのに、ライラの想いには応えちゃってもいいの?』
エリーの言い分に、俺は思わずポーラの顔を思い出してしまう。
「う……それも、そう……か?」
『そもそも、ポーラが居ない間にライラとの話が進んでいるのよ? 精霊大樹の街に到着した後で、ポーラがライラと会ったりしたら、どうなると思う?』
空を見上げる俺とエリー。
……うん。あまりいい展開が見えない。
だが、何とも言えないのも事実。
「ま、まあ、どうなるかはわからないよ」
『ええ、そうね。それに、彼女がまだダリルに相応しいかはわからないわ』
「それにしても、あまり突っ込んでこなかったな?」
『知らない人じゃないから……油断していたわ』
「油断? 何でエリーが油断したら不味いんだ?」
『……何でもないわ』
「そか。ならいいけど」
エリーは何だか複雑な表情をしているが、なにはともあれ素晴らしい展開だ!
ライラ……あの時に女の子が、まさかこんなに美人になっているとは思ってなかった。
すると、離れた場所に居たライラが声が聞こえる。
「集合! 間もなく出発するぞ!」
剣を腰に帯び、姿勢正しく指示を出すライラに、俺は思わず見惚れてしまう。
スラリとした立ち姿に発育の良い胸部装甲。にもかかわらずスタイルが良い。
それに、甲冑姿のその出で立ちは、まさに勇敢な騎士然とした格好良さだ。
「カッコいいな」
『あの動き、無駄が無いわね』
「凄いね。剣術師範みたいな評価の仕方だ」
『剣なんか振ったこと無いから知らないわ。世の中ハッタリも必要なの』
「何だよ、言ってみただけかい」
エリーが両手を腰に当てながら胸を張るが、言ってる内容は単なるはったり。思わず苦笑いしてしまう。
すると、俺たちを見つけたライラが手を挙げながら声をかけてくる。
「ヘレナさん、ダリルさん。こちらの準備は整いました」
「わかりました。では、参りましょう。もうすぐで到着しますよ」
帝国兵が揃って頷くのを見たヘレナは、俺たちにも視線を向けて微笑んだ。
「じゃあダリルさん、行きましょう」
「え? あ、はい。わかりました」
出発を促され、俺はヘレナの元へと足早に向かう。
すると、ライラは俺の傍にやって来ると、隣に並び立った。
「では、参りましょう」
「あ、ああ」
ヘレナに従い、俺たちは移動を開始する。
何故かライラが俺の隣に並び立ち、反対側にはエリーが複雑な表情をしながら付き従う。
目的地たる精霊大樹の街へと歩みだした。
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