第44話 漆黒の魔女
「ご、ごめんなさいっ!!!」
夜の屋台が並び立つ広場で、慌てる様な声を出して頭を下げる女性。
「え? 俺、まだ何も……」
頭を下げる神官服姿のスタイルの良い金髪女性に、俺は思わずオロオロする。
そんな俺の感情を読み取ってか、彼女は顔を上げて申し訳なさそうな表情を浮かべたが、すぐさま俺の背後を見つめて青ざめると勢いよく首を振った。
「や、やっぱり、無理ですーーー!!!」
「ま、待って」
勢いよく頭を下げると、俺の前から逃げる様に去っていく教会女子。
『ふんっ。10年早いのよ』
そう呟く声の主をジト目で見ると、腕を組んでふんと頬を膨らませる絶世の美女が、俺の背後でふわりと浮かぶ。
そんな姿に思わずため息をつく。
「あのさ……10年後には俺39だよ? 結婚適齢期越えちゃうよ?」
『男は年齢ではありません』
「歳を取ったら、うふふあははきゃっきゃっする生活が困難になるよ……」
『うふふ』
「もしかして、楽しんでる?」
『あはは』
「遊んでるのか?」
『きゃっきゃっ』
「うがーーーーーーーーーーー!!!!」
俺が頭を抱えてその場で天を仰ぐ。
『もう。そんなに焦ってどうするのよ』
「あーのーなー! 何で邪魔するんだぁ!!!」
『貴方に相応しくないからよ』
俺の前から去っていった可愛い金髪女子の方を指さし、エリーに詰め寄る。
「とっても真面目そうだったぞ! 教会女子だぞ! 可愛かったぞ! 金髪だぞ! おっぱいも……それなりにあったぞ! 俺に相応しいか相応しくないかは、俺が判断するものだろっ!」
『でも、私も憑いてくるのよ?』
「なんでそんなニコイチみたいな言い方するのさ」
『本当のことでしょ?』
「ぐぬぬぅ……」
素知らぬ素振りで、腕を組みながら明後日の方を見るエリー。
だが、しっかり視線は俺を見る。
ニヤついてる……。
「ふんだ。どうせモテないさっ!」
『……どうしてそんなに彼女が欲しいの?』
ふとした拍子に聞かれた質問に、俺は一瞬固まる。
「どうして……?」
『ええ。そこまで拘る理由が知りたいわ』
俺は少し腕を組み、目を閉じる。
「知ってどうするのさ」
『出来る事ならば協力したいからよ』
「邪魔するのに?」
『相応しければ何もしないわよ』
エリーが腕を組みながら俺の真正面に立つが、俺は片目だけ開けてその様子を見ながらため息を吐く。
「……惚れる相手を見つけないと、これ以上は無理になりそうな気がするから……かな」
俺の答えを聞いて、エリーが目を丸くする。
『何それ』
「……ま、いいんだよ。これは俺の問題なんだから」
吐き捨てる様に呟き、俺は神殿宿舎に向かって歩き出す。
ふわりと俺の横に感じる気配。
視線だけ向けると、何故かエリーが微笑みを浮かべながら俺の腕に絡まっていた。
相変わらず感触がない。
それが残念でならない。
「……まったく。まあ、いいか」
苦笑いを浮かべると、俺は前を向いて宿舎へと戻った。
フランティア聖王国に滞在してから7日目。
俺は教皇に呼ばれ、今は執務室でお茶を頂いている。
教皇との謁見後、エリーは晴れて討滅対象から外すよう通告がなされたことで、エリーが姿を現しても混乱される事は無くなった。しかも、教皇は彼女に限り、悪霊とは別の呼び方、“漆黒の魔女”として呼称する事を決め、正式に教会の庇護下に置くことを宣言した。
つまり、今では教会公認の悪霊、漆黒の魔女になったわけだ。
それからというもの、エリーはもう姿を隠すことなく、常に俺の傍に寄り添うようになった。
とはいえ、俺が思い描いていた夢の様な世界。つまり、魔源者たる俺の周りに、魔力に惹かれて集まる美女に囲まれる事を夢見ていたのだが、現実には違っていた。
そりゃそうだ。急に悪霊ではないと言われても、悪霊との見分けなどつかないばかりか、ぱっと見た目悪霊そのものなエリーが常に俺の傍にあらわれているのだ。
つまり、教皇が良かれと思ってやった対応によって、逆にエリーに行動の自由を与えたことで更に悪化させてしまったという訳だ。
「はぁ……ただでさえモテないのに、更にモテなくなった……」
がっくりとうな垂れ、ぼそりと呟いた俺の言葉を聞いた教皇が、怪訝そうな表情を浮かべる。
「あらあら……そんなに落ち込むことはありませんよ? ダリル殿には素敵な女性が既にいるじゃありませんか」
「誰です? それ」
「孫娘ですよ」
「ああ……ポーラですか」
俺はその名を聞いてため息を吐く。
「ほんとに俺に惚れているんですかねぇ……魔力に惹かれているだけなら、何だか悪い気がするんですけど」
「あらあら。そこは疑いようがない事なのですけど、これは思った以上に重症ですね。いっそのこと、私が……」
『ちょっと待ちなさい』
教皇が俺に微笑みを向けるが、エリーが間に入って腕を組む。
『あなた教皇でしょう? 何を言ってるのよ』
「何を言っていると言われても、むしろエリーさんが何か誤解されてません?」
『な、何をよ』
「いくらでも話し相手になりますよと、お伝えしようとしただけですよ? 皇女殿下」
『あ、悪意しか感じないわ』
「悪意? あら、何を想像していたのかしら? ふふっ」
『……ふんっ』
討滅対象から除外する宣言が出されて以降、エリーは教皇ティリエスと二人きりでいる間はかなり砕けて話すようになっていた。
「それはそうと、もうそろそろ戻ってくると思うのですけど……」
『先に精霊正教国に行けばよかったのよ』
「あれでも私の血縁ですから、そう邪険にしないでくださいな、エリーさん」
『血縁だから不安になるのよっ』
そんな二人の会話を聞きながら、出されたお茶を飲み干す。
うん。美味い。
「おかわりします?」
「え? お願いしても?」
「構いませんわ。お待ちになってね」
ニコリと微笑むと、優雅な所作でティーポッドを持ち上げると、手前に寄せたカップに注いでいく。
教皇が手ずからお茶を淹れてくれる。
しかも美人。
これ、贅沢だよね?
『なに見惚れてるのよ』
「美人だもん。いいじゃんか」
『相手は教皇様よ? あなたとは釣り合わないわ』
「うるへー」
お茶が注がれたカップを俺に差し出しながら、微笑みを向けてくる。
「仲がよろしいのね。妬けてしまうそう。ふふっ」
『妬くって…………やっぱり血は争えないわ。要注意ね』
「あら、重婚する気はありませんよ?」
『あたりまえですっ!』
どこかで懐かしむような目をして微笑むティリエスに、エリーは頬を膨らませてそっぽ向いた。
「エリー……最近おかしいぞ?」
『あなたに言われたくないっ』
「さいですか」
苦笑いを浮かべながら、改めてお茶を堪能しようとカップを持ち上げる。
爽やかな良い香りを吸い込み、そっと口をつける。
ああ、やっぱり美味しい。
やっぱり落ち着いた環境で飲むのが最高だねぇ。
そう思っていた矢先、執務室の扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼します。ノルドラント教区司祭長様がお見えになりました」
「お通しして」
「畏まりました」
女性神官が頭を下げて退室すると、すぐさま聞き慣れた声が執務室に広がった。
「失礼します。只今戻りました、教皇様」
執務室に入って来たのは、司祭服姿で変わらぬ笑顔を浮かべるポーラだった。
「依頼遂行ご苦労様。ノード司教はなんと?」
ティリエスが静かに尋ねると、満面の笑みを浮かべてポーラが頭を下げる。
「はい。精霊正教国への派遣について同意を得られました。私の代理については西部教区司教様と協議して対応していただくことになりました」
「そうでしたか。わかりました。では正式に、私からも西部教区に通達を出しておきましょう」
「感謝いたします」
「では、帰ってきて早々ですが、明日には精霊正教国へ向かってください。そのため、今日はゆっくり休み、出発に備えて準備を整えてください」
「はい。確かに承りました」
「よろしい。では、お行きなさい」
「はい。失礼いたします」
ポーラは俺に向かってウィンクしながら微笑むと、頭を下げて部屋から退室した。
『むっ』
「どした?」
『べーつーにー』
どうでもいいが、最近性格が変わっている様な気がするぞ?
『変わっていません。周囲の環境が変わったんです』
何も言ってないぞ……。
「ふふっ。では、明日には出発していただきますので、準備をしておいてくださいね」
「わかりました。では、私たちもこれで失礼します。お茶、ご馳走様でした。美味しかったです」
「それは何よりです」
笑顔のティリエスに手を振られ、俺は頭を下げて退室した。
宛がわれた部屋に戻ると、早速準備をしようと荷物を纏める。
とはいえ、纏める荷物の大半がエリーが管理してくれているため、特になにもすることなく暇を持て余す結果になる。
「はぁ……暇だなぁ」
『ならば自分で畳みます?』
「皺だらけになる前科があるけど?」
『それもそうね』
「だろぅ?」
苦笑いをしながらベッドサイドに腰を掛ける。
「はぁ……貧乏生活時代が嘘みたいだなぁ」
『本当ね』
「まあ、充実してはいたけど」
『じゃあ戻りたい?』
「いや、それは勘弁」
『ふふっ。ダリルはいつもお腹を空かせてましたものね』
そう言いながら、俺の傍に腰を掛ける仕草をし、指を口元に当ててクスクス笑う。
「あの時は大変だったなぁ。追われてばかりで、碌な宿に泊まった事がなかったし」
『私を除霊しようと追いかけられたものね』
「ああ。それが今じゃ漆黒の魔女様ときた。大したもんだ」
『常に外に姿を出せるのは嬉しいですけど』
「お前さんはそうだろうけど、俺には少し残念だよ。ハハハ」
『恋人獲得活動のお手伝いはするって、いつも言ってるけど? まあ、これからは常に手伝ってあげるけど』
「勘弁してよ……」
頭を抱える俺に、エリーが魔力を操作して俺の肩をポンと叩く。
いつもの日常だが、俺はふと疑問を感じて尋ねる。
「そういえばさ、エリーがいつも言う俺に相応しい女性って、どんな人なのよ」
『え?』
不意にエリーが俺を見て目を見開く。
「今のところ、エリーのお眼鏡に適った人っていないよな?」
『え、ええ』
「どんな人ならいいのさ」
少し目が泳ぐエリーに、俺は目を細めて尋ねる。
「もしかしたらさ……」
『え?』
俺が顔を寄せると、エリーは若干身を引いた。
「おっぱいがおっきい人はダメとか?」
『……はい?』
何故か目を細め、眉間に皺を寄せるエリー。
何でよ……。
「え? 違うの?」
『むしろ何でそう思うのです?』
「何でって、エリーよりおっきい人だと、嫉妬しちゃうとか?」
指をこめかみにあて、盛大にため息を吐くエリー。
「何でため息つくのさ。だって他に考えられないぞ?」
『あのね、何で私が他人のおっぱいと比較して競わないといけないんです? というよりも私は自信ありますから、そんな事で邪険にはしません』
そう言ってふわりと俺の前に浮かぶと、ドヤ顔で胸を張るエリー。
うん。確かに大きい。
とはいえ、それが理由ではないとしたら、何でいつも酷い押し売りをするんだ?
「違うのか。うーん……後はすきだ『え?』ら……え?」
ん? 何で反応する?
急にわたわたするエリーに、俺は首を傾げる。
「どったの?」
『ちょ、ちょっと、何で私がそんな、いつそんな事を言ったのよっ』
「は? 何を言ってるんだ?」
『何って、何よ』
「“隙だらけだから付け込まれる”って、思っただけじゃんか」
『は?』
口を半開きにして呆けるエリー。
どうしたんだ、ホント……。
「なあ、違ったのか?」
『い、いいえ、その通りよ』
「そんなに俺って隙だらけか?」
『もう隙だらけ。すかっすか状態よ? そんなだから、教会の神官達が寄ってくるのよ』
「うーん。実感湧かないなぁ」
ゴロンとベッドに寝そべると、エリーは俺の上に向き合うようにして浮かぶ。
『今日も屋台へ行くの?』
「どうしようかな……」
そんなやり取りをしていた矢先、不意に扉がノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
扉から聞こえた声を聞き、エリーがすぐさまジロリと扉を睨む。
「お久しぶりです、旦那様っ」
ポーラだった。
『ついに虚言癖まで……かわいそうに』
「相変わらずね、エリーちゃん」
そう言いながら部屋に入ってくるポーラは、町娘の様な質素な普段着姿だ。
エリーはすっと近寄って腰に両手を当てて立ちふさがり、頬を膨らませる。
『町娘は立ち入り禁止です』
「それ、以前も言われたわよ? ああ、でも久しぶりのやり取りに、少し嬉しくなりますね」
余裕の表情を浮かべて俺に向かって微笑みを向けてくる。
「今日は一緒に広場へ行きませんか? 再会を祝して……というのは大袈裟ですけど、どうですか?」
暇だった俺にとって、この提案は魅力的だ。
二つ返事で頷いた。
「いいね。じゃあ、行こうか」
「ええ! 今日は一緒に楽しみましょう!」
『はぁ……平穏の日々は終わったのね』
俺の腕を取るポーラを引き離しながら、エリーはため息交じりに呟く。
そんなやり取りを懐かしく思いながら、俺たちは部屋を出たのだった。
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