旅立ち
下男達が馬車に荷物を積み込む間、ラーミァは馬を眺めていた。少し離れて。
下男達も恐れていたその馬は、通常の馬より一回り大きかったのだ。
時々開く口には、明確な牙が見える。
そして、普通は数頭で引く行商馬車を一頭で引いていた。
色も、黒と言うより黒ずんだ赤だ。
「変わった馬ですね。」
ラーミァは積み込み指示をしているイフィルに声をかけた。
「少し、魔物の血をひいているらしいのですが、従順で良い馬ですよ。」
確かに、外観以外は見慣れた馬と違いない。静かに藁を食んでいる。
行商馬車は、オムニバスと呼ばれる乗り合い馬車の、窓なしバージョンの様な形をしている。
通常の馬車は、幌で荷台が覆われているが、行商馬車は、夜営で獣に襲われない為と、屋根上の睡眠スペースの為に箱の様な仕様らしい。
後ろ側には、寝床に繋がる梯子が付いている。
荷物の出し入れは側面から行われる。
荷台には、商品であろうか、農作物と共に、『新品の農具』が多数納められていた。
荷台では、縄張りを守っているのか、猫が高い場所から作業を見ている。
作業が終わると、イフィルは荷台の扉を閉める。猫のゼルータは空気穴から器用に屋根上へと移動した。
御者台に登ったイフィルが、手を差し伸べ、ラーミァを御者台へと誘う。
「まずは、王都へ向かい、国王陛下に謁見をお願いし、帝国宛の書状をいただきます。」
御者台は意外と高く、ラーミァは手摺りにしがみついた。
「判ったわ。イフィルさん」
「『イフィル』で構いませんよ」
「じゃあ、私も『ラーミァ』と呼んで下さい。」
「判りました。ラーミァ。」
馬車は、静かに走り出す。
馬車は、しばらく走り、先程、農具の商売をした場所に差し掛かる。
既に農民の姿は無い。
『シュッ』
空気を裂く様な音がして、ラーミァは御者台の背もたれにへばり着く。
同時に馬車は急停止した。
不審な音もだが、彼女が驚愕したのは、目の前の光景だ。
御者台直前の空間に、手の平ほどの長さの矢が空中で止まっている。
見えない壁に阻まれている様に、矢の回りの空間が霧の様に濁っている。
『シュッ!シュッ!シュッ!」
更に矢の飛来が続くが、同じように空間に留まる。
よく見ると、矢じりには何かの液体が塗られている。
イフィルは、御者台の棚から、何か道具を持ち出すと宝石部分を押した。
辺りの大地に稲光りが走る。
「「ぐあっ!」」
周辺の茂みで、数人の男が倒れた。
「先程の若者か。」
それは、農具取引の時に、猫を眺めていた青年のうちの二名だった。
「おのれ~怨敵め!」
若者達が、ふらつきながら睨む。
手には小型の弓に取っ手のついた様な見慣れぬ物を持っている。
「シータの信徒か?奴の指図ではないだろうに。」
そう言って、イフィルが再び、先程の道具を掲げると、若者達は、散り散りに走り逃げてしまった。
遠方でも走り去る姿が見える。実際は三人組だったのだろう。
イフィルは空中に止まった矢の羽をつまんでは、道端に投げ捨てた。
「貴方も魔導師だったの?」
「いいえ。ラーファ様に幾つかの魔道具をいただいているだけです。」
イフィルは、手にしていた魔道具らしき物を見せた。
魔道具は、ほとんどがオーダーメイドだ。見た目では、どの様な魔道具かは、解らない。
魔導の力が無い者用も、不可能ではないはずだ。
「先ほどの者達は、何なのでしょうか?」
「我々の旅立ちを、快く思わない者が実際に居ると言う事でしょう。」
ラーファやラーミァが遠方へ出掛ける時は、国の護衛が居たが、襲われる事は無かった。
家の近所を出歩く分には、一人でも、危なくは無かった。
しかし、このタイミングで、近所の農民に狙われたのは、イフィルではなく、間違いなく彼女だった。
平和な生活をしていたと思っていたら、既に命懸けの戦場と薄皮一枚だった現状に、彼女は両の腕を抱えて震えだした。
「辞めて、帰りますか?」
顔を覗き込むイフィルに、ラーミァは暫く考える。
将来的には、自分達にも影響を及ぼす、魔導帝国の蛮行。
身体が不自由な祖母にかける負担。
受けている信頼。
「行きます!」
ラーミァは、震えながら答えた。
イフィルは、手綱を動かし、馬に再び歩まさせる。
小道の先に、王都へ続く街道が、見えはじめていた。