境界線
イフィル視点
カナンとエデンの境界を越え、馬車は森へ入った。
上空をガルーダが飛ぶ。
馬車の真上は飛ばない。創造主の頭上を飛ぶなど、不敬極まりない。
先頭馬車の屋根に、猫の姿を確認すると、エデン側へと去って行く。
正面には、エデンを任せている三大代行者が待っている。人間には、まだ視認出来る距離ではない。
しかし、その後ろの集団には気が付いたのか、馬車の両脇を固める近衛には、動揺が走り始めた。
近衛は、しきりにイフィルとゼルータの動向を気にしている。
森を出た段階で、近衛の馬が限界を迎えた。
嘶き、暴れ、森を出て開けた場所に出るや否や、前ではなく横に逃げ始める。
「御使い様!」
先頭を進んでいた近衛隊長の声に、イフィルが頷きで認可を与え、馬車は単独で前進を続ける。
馬車を引くアルデバランに怯えは無い。
何しろ、古巣なのだから。
代行者達に、かなり近付いた。
「御使い様、カナシスです。何が起きているのですか?」
近衛達の異変に気付いた、馬車の中の者が、騒ぎだした。
中から前方の代行者達は見えない。
「あまり近付き過ぎるのも、怯えさせる事になるか?」
イフィルは、馬車を止めた。
代行者達は、降りてきたカナシス達を一瞬は睨むが、敵意を顕にはしない。
その力量差は、敵対視にすら値しないのだ。
「御使い様、お待ちしておりました。」
代行者の一匹。オーグが切り出す。
出迎えとして出張って居るのは、スライムのオーグ。バトルインセクトのガガント。ドラゴンのハイフースと言う代行者三体だ。
[出迎え御苦労じゃ。先の通達通り、エデンの一部を十年間貸し出す。もう少し下がれ。]
遥か彼方に、御使いとの拝謁を期待して、多くの魔族が集っていた。
その塊は、遠目には森の様にも見える。
ゼルータの言葉に、動揺した様だが、渋々と向きを変えて、奥の方へと帰っていった。
ドサッ
馬車の横で倒れる音がした。大臣が倒れた様だ。
後方で待機していた近衛の一人が、怯える馬を棄てて走り寄り、大臣を抱き起こした。
魔物達を見た皇太子とラーミァも、青い顔をしているが、かろうじて失神は免れている。
倒れた大臣を見て、同情の視線を送る。
「叔父上!お気を確かに。」
近衛の声に、大臣は目を覚まさない。
「其方は、アーネストの親族か?」
「はい。甥のドナルド・ハッチクスと申します。」
「この様な超常な事は初めてなのであろう。許す故、後方に下がらせろ。」
皇太子の命に、近衛は、大臣の身体を引き摺って、後ろへ下がった。彼自身も腰に力が入らないのだろう。
走って来ただけでも絶賛に値する。
人間側のゴタゴタを見守る魔族達は、事の収拾が終えるまで待っていた。
「御使い様。拝謁にあずかり、恐悦至極にございます。ハイフースにございます。」
巨大なドラゴンが、地に頭を付ける。
ゼルータが、かるく頷く。
「この度は、我が願いを聞き届け頂き、有難う御座います」
[不釣り合いじゃが、たまたま交換条件が出来ただけじゃ。十年後に、住みたければ住み、戻りたければ戻る。息子の好きにさせよ。]
ドラゴンの後ろから、人間の様な者が現れて、ハイフースの横で片膝を付き、頭を垂れる。
「ワイズとバーンに御座います。御使い様に拝謁を賜り、恐悦至極。」
[暫くは、儂達の雑用として同行せよ。]
「はっ。御心のままに。」
それは、鎧兜を着けた武将の様にも見えるが、その頭はドラゴンの顔の様であり、意匠の様な眼球が動いている。
また、各所が微妙に動く。
イフィルの手招きを受けて、彼は立ちあがり、ハイフースに一礼すると、馬車の横に移動して再び片膝を付いた。
去り行く彼を見守るハイフースの瞳が、悲しそうに見える。
〔よし、このまま10キロ程、境界を移動させる。〕
イフィルが御者席で手綱を唸らせる。
合図を受けて、アルデバランが前進を始めた。
〔カナシス、ラーミァ。近衛と共に、ゆっくりついて参れ。〕
イフィルが言い残すと馬車は進み、鎧武者の様な者だけが、追随する。
脅威が去ったと見て、近衛の馬達が落着き始めた。
カナシスが手招きをすると、近衛隊長が馬で歩み寄る。
「殿下。お呼びでしょうか?」
「うむ。10キロ程、移動するそうだ。兵達を進めよ。」
「承知致しました。」
近衛隊員長は、近衛隊に合図をすると、馬を降りた。
「殿下。この馬を御使い下さい。」
隊長から手綱を預かると、皇太子は、馬に乗り、馬車の後を追って、歩を進める。
「姫様は、馬車が来るまでお待ち下さい。御者席になりますが。」
法衣姿のラーミァに馬を宛がうのも問題だし、馬に相乗りも不敬だろう。
隊長とラーミァは、後続の到着を待った。
一時間程で、イフィルの馬車は止まった。
皇太子も馬車に追い付き、並走していた。
先行していた代行者達が、馬車の停車に気が付き、踵を返す。
〔この地点に、新たな境界を設ける。期限は十年間。その後は、以前の境界に戻す事とする。〕
[同意する。]
イフィルの宣言に、ゼルータが同意を示し、代行者達が頭を垂れる。
慌てて、カナシスも馬上で頭を垂れた。
イフィルが手を翳すと、地面が揺れ動き、大地を割って、石の壁が出来上がった。
以前の境界に有った者と同じ、一メートル程の高さだ。
〔ここに、新たなる契約は成った。一同、御苦労であった。〕
皆が再び礼をする。
イフィルは手綱を操作して、馬車をUターンさせ、カナンの方へと進めた。
カナシスも後を追いながら見返すと、代行者達は、頭を垂れたままだ。
度々振り返ってみていると、暫くしてから代行者達の姿も、森の様に見えていた魔族の姿も、視界にはなく、離れた場所にエデンの森が見えるだけだった。
「ふうぅ」
皇太子は、大きく息をついた。
後続の近衛達と合流した皇太子達は、馬を止めて大臣の姿を探す。
「アーネストは何処か?」
「叔父は、まだ気を失っております。」
近衛の中から、ハッチクスが進み出て、頭をさげた。
「仕方無い。ハッチクス、其方が、取りまとめをして測量を始めよ!」
「御意。」
「他の近衛は、周囲を探索し、安全を確保せよ。その他の者は、野営の準備だ。」
手際が良いと思ったら、懐から紙を出して、見ていた。
側仕えか誰かが、用意しておいた、工程表だろう。
イフィルとゼルータは、新たなる契約の結果を眺めていた。




