叢生記
1日目
大変だ。
今、僕の目の前には神様がいる。
目の前とはいいつつも、実際には六畳ギリギリのワンルームの対角線上なのだが、確かにヤツはいる。
何をするわけでも何を言うわけでもなく、ただいるだけ。
こちらがチョット目をやると、ヤツも思い出したようにこちらを見る。
気に入らない。気に入らないが、いてしまうのはしょうがない。
僕は無視を決め込む事にした。
誕生日だというのに、なんて日だ。
2日目
何度観たか思い出せないアニメの音声だけが響く部屋で、慣れないアルコールを飲んでみる事にした。
昼間は外に出れないが、日付けが変わるあたりに外出するのはちょっと好きだ。誰にも負けてはいない気がする。
酔い潰れる学生共を通り抜け、アルコールをビニール袋の中に潜ませ歩いているのは痛快だ。
あいつらが飲むアレよりもテキーラに近い飲み物をこれから呑んでやる。飲むんじゃない。呑むんだ。
若干の味への期待を抱えながらプシュっと音を鳴らすと、対角線上のヤツはチラリと一瞬だけコチラを覗いた。
忌々しい。
気にせず一気に甘ったるい消毒液を喉に流し込む。
アイツは僕が呑む度に「ん、ん」とボソボソ呟き、かと言ってその声に振り向くとコッチを見つめてだんまりを決め込む。
ムカつく。
僕はやっぱり、全くと言っていいほどメロンソーダの味のしないそれを流しに捨てて、布団に潜り込んだ。
3日目
わかった。
ヤツを見なければ、いてもいなくてもどうでもいいのだ。
無視以上に見ないように気を張ればいい。
元々この六畳の部屋で、僕の可動域はせいぜい四畳ほどだ。寝る時は布団を全て廊下に運んでしまえばいい。ヤツに付き合う事はない。
正しさ?くだらない。
この部屋でこっちを見つめる暇があったら、ハンセン病を隔離し始めたヤツらに天誅の一つでもしてきたらどうだ。
神様ってヤツはいつも正しくあれとか言うくせに、自分で作った世界の事は放置プレーじゃないか。
そんなの絶対間違っている。
僕は、正しくもないが間違ってもいない。
今日は徹底的に無視を決め込む事にした。
4日目
今日、アイツがボソっと言った。
「ごめんなさい」だ。
何に謝っているんだ?
謝るくらいなら最初から全部作らなきゃいいのに。
だからアイツは嫌いだ。
全部わかってる振りしても、知ってるだけで何もわかっちゃいない。
5日目
部屋を片付けることにした。
大事なのは捨てる事のようだ。
手に取るもので「ときめき」を感じないものを捨てればいいらしい。
とにかく捨てる。
今日はヤツもとても静かだ。
こういう日が続けばいいのにと思う。
6日目
大変だ。
部屋に何もなくなってしまった。
Netflixの言うことを信用した僕が馬鹿だった。
ここまで僕が「ときめき」を感じないなんて、あの番組の女も思いもよらなかっただろう。
ヤツも塵ひとつなくなった部屋で、まるでフクロウみたいに目を丸くしてこっちを見ている。
全くの同感だ。むしろ僕が一番驚いている。
でも、ヤツを驚かせたのは少しだけ気分が良い。
僕はちょっと余裕ぶって、鼻歌混じりにフローリングの部屋を飛び出し廊下で寝転んでやった。
少しだけ泣いた。
7日目
紐はあった。
括る場所はない。
小学生の時に母さんが好きだった真っ赤な頭をしたギタリストが、ドアノブを使っていたのを思い出した。
母さん。そんな風に呼ぶのは頭の中とはいえ何年ぶりだろう。
玄関は汚れてて嫌なので、しょうがなく部屋に戻ってやる事にする。
ちくしょうやっぱりだ。やっぱり7日なのだ。
ヤツが現れてちょうど7日目。
休むなら、今日なんだ。
部屋で決めるとなると、どうしてもドアの場所の都合でヤツと顔を合わせることにはなるが、仕方がない。
ヤツを無視するように心がけながら、ゆっくりと缶のフタを開ける。プシュっと小バカにしたような音が響いたが、リアクションは一切せずにできるだけ一気に呑みこむ。
味はやっぱり、メロンソーダのニセモノだ。
いつから僕はニセモノを好んで飲むようになったのだろう。
それにしても人の為と書いて偽物とは、これいかに。
さしずめ僕は、誰の為ともならなかったのだから本物なのだろうか。
ほいと体重を投げてぶら下がる。
首が伸びるようで気持ちがいいような、そうでもないような。
ヤツと目が合い、ふと笑ったような気がした。
ーーふん。神を殺すのは、僕だ。
14日目
母親が全ての段取りを終え、何もなくなった部屋へ帰ってくる。
本当はもう少し早く来たかったのだが、あまりの出来事で心に体が追いつかなくなってしまっていた。
十日ほど前に電話でした会話は、悪い意味でいつも通りだった。
「何もない」という近状報告を聞き、言葉に詰まり、つい謝って激昂させてしまい、電話が切れる。誕生日プレゼントの感想が聞きたかっただけなのに、それすらも上手くいかない。
誰の力も借りず自分一人で遮二無二に頑張っていたつもりだが、親として正しくあったのかという不安が、いつもあの子を怒らせてしまっていた。
35年間、いつもいつも。
何もなくなってしまっている部屋で、メロンソーダの缶をプシュっと開けた。
飲むこともなく、置くこともなく。
「晩御飯は何にしよう」
黒と茶色と白だけの部屋で、無意識にそう呟いた。
部屋に響いた自分の声でふと我に返り、部屋に唯一残された姿見で、少しだけ乱れた白髪を整え、ぬるくなったメロンソーダを一口飲む。
自分が贈ったその姿見には、息子と同じで歯並びの良くない、使い方の間違った笑顔だけが一瞬映った。
15日目
部屋のものはすべて、処分することになった