装飾に身をゆだね
ぽっと思いついた山下りのモティーフから、思考のラビュリントスへ。
まじめに読むな、感覚で眺めよ。
こねくりまわした思考世界なんて、流れすぎてしまえば深い意味なんてないのだから。
そんな感じ。
ポジティブシンキングが山登りだとすれば、ネガティブシンキングは山下りだ。
勢いにまかせて下っていくのはそうとうに愉快。足腰なんぞどうにでもなれと。
ポジティブのほうは、なにか重たいものを背負いながらの一歩一歩。ノリは許されない。そんなものはただの誤魔化しでしかなく、山麓に近い東屋で夢でも見ているようなものだ。錯覚にだまされるな。
山頂の光景に期待をするな。顕れたものを受け容れるのだ。感動するのだ、わけもなく。
その先にはまた下り坂だ。あふれでようとするものを、あふれださせるのだ。杖は使いどころによって体勢を崩す。自分の脚が頼りだ。
おぞましいか。味気ないか。
私はただ、美化というものに飽きてしまっただけだ。シンプルに見ようとしているだけだ。
だが、それもすぐに終わる。こんな思想にはすぐに飽きてしまって、決別して、また装飾にひかれていくのだ。
でたらめだ? どちらが。
私はただ、流れるなかに身を置いて、時々見えたものに心をゆだねるのみだ。