◇聖女様、お目覚めの時間ですよ? (30)
遅くなりました。
帝都中に急を報せるサイレンが鳴り響き、重装甲のゴーレム車が街中を慌しく走り回っていた。街角の要所には、重武装の兵士が立ち警戒にあたる。帝城の周囲に至っては最新鋭の魔導機兵が勢揃いし、上空にも帝都防空隊の武装飛空挺が辺りに睨みを利かせていた。
突如の厳戒態勢に、通りのあちらこちらでは都民が集まり噂し合う。
「なんでしょうかね?」
「さぁ……」
「そういえば、さっきのあれを見ましたか」
「あれとは?」
「記念公園の辺りに、なんと言うか……」
「あぁ……見ましたよ。あの光の柱? のようなものでしょう」
「そうそう、あれは帝国軍の実験なのでしょうかね?」
と、都民は何事が起きたのかと驚き顔を見合わせ、直ぐに先ほどの不思議な現象を思い浮かべたのだ。それは、『戦勝記念公園』の辺りで生じたと思われる巨大な光の円柱。僅かな時間ではあったが、その大きさから帝都中から大勢の人に目撃されていた。それが何か関係しているのかと、ある者はもしもの事を考え家族の元へと急ぎ、或いは興味だかい連中は何事が起きたか見極めようとゴーレム車の後を追いかける。
帝都中が混乱し大騒ぎになっていた。
それは帝城内でも同じであった。情報が錯綜し、武官、文官を問わず駆け回っていたのだ。それもそのはずで、帝都が敵対勢力に攻撃されるような自体が百年ぶりの事。『ウィリアムの乱』と称される、皇帝の座を巡り一族が真っ二つに割れて、帝都内で骨肉の争いをして以来なのである。
「『戦勝記念公園』で争乱あり」
と、第一報がもたらされた時は、ちょうど帝城内にある政庁府で朝議が終わってすぐの頃。陸海空統合元帥のフォレスト・アミノ・ゴーゴリと帝国中央情報局長のマーク・バンジャル・ベタンコート、それに帝都治安局長のクリス・エヴァンスの三人が歓談してる最中だった。最初は、それほど重要視をしていなかったのだ。また、どこかの犯罪組織が騒ぎを起こしたのかと思われ、治安局の武装兵の一隊を『戦勝記念公園』へと向かわせた。
帝都も長い平穏が続くと、箍も緩むもの。それを引き締め直さなければと話し合っている最中に、第二報が入ったのである。
しかも――。
「争乱の元は『ダナン解放戦線』と称するテロリスト集団。魔導機兵と魔導砲を持ち出し、帝城破壊を目論んでいた模様。既に犯人グループは取り押さえたものの、まだ帝都内に仲間や協力者が潜伏している可能性あり、用心されたし」
と、緊急時の軍用魔導通信でもたらされたのだ。
これには「すわ、内乱か!」と統合元帥のフォレストが絶句し、本来は前もって情報を掴み未然に防ぐべき情報局長のマークは真っ青になった。
魔導機兵と魔導砲は、帝国の戦略兵器。当然、他国にはその性能や技術は秘匿されていた。それが流出したとなると、自分たちも含めた大臣クラスの閣僚の首が何人か飛ぶのは確実。そして続けてもたらされた情報で、二人の子息が犯人捕縛の中心にいたと聞いて更に慌てる事となった。
直ちに帝国内に戒厳令を敷こうとする治安局長に、統合元帥と情報局長の二人は、大至急、密かに息子をこの政庁に連れてくるようにと要請したのだった。それは、皇帝に事件のあらましを奏上する前に、確実な情報を手に入れておく必要に迫られたからである。
その頃、『戦勝記念公園』内では――。
「もう、何時まで待たされんのよぉ」
「俺たちは貴族家の者といっても、当主ではないからな。今回の事件は帝国にとっても大事なだけに、そうそう直ぐに解放はしてはくれないだろう」
と、不満顔のフレイヤを、スティーブンが宥めていた。
「それでも、これは無いだろう。まるで犯人扱いだぞ」
フレイヤが不満を言うのも尤もで、それとなく武装兵が彼らを囲んでいたからだ。部隊の指揮官も、相手が貴族だけに丁重には扱っているものの、何処にも行かないように見張っているのだ。それが見え透いているのが、フレイヤには腹立たしいのである。
「仕方がないだろう。それが彼らの職分だ。現場を検証して、もっと事情がはっきりと分かるまではな」
腕を組み、「うむうむ」と頷き納得するスティーブンは、相手が貴族でも引かない指揮官の仕事振りに感心していた。
そんなやり取りをしている二人の横では、思案顔のアレクがどうしたものかと頭を悩ませていた。
というのも――テロ事件自体はほぼ終結していた。魔導機兵はアンジェラの魔法によってスクラップと化し、それを見た残りのテロリストたちは戦意を喪失して逃げ出して、駆け付けた治安局の武装兵に殆ど捕縛されていた。
アレクの悩みの元は、アンジェラの事なのである。事件の概要は治安局の人間に伝えたが、アンジェラの事はまだ伝えていないのだ。
アンジェラが見せた数々の奇跡のような魔法。挙げ句に個人の力で、帝国の最終兵器たる魔導砲を封じ、尚且つ魔導機兵さえ葬ってみせた。それは破格の力。それこそ、神話に語られる光の女神にさえ匹敵する力のようにさえ感じられた。人に話せば、それこそ馬鹿にされそうな話なのである。或いは、新たな争乱を帝国にもたらしかねない。それほどの力なのだ。
本人はまだ何やら隠しているようだが、どこまで正直に報告して良いかを、アレクは頭を悩ませていたのである。
――父上に一度相談してからの方が良いかも知れない。
幸いな事に、生徒たちは気を失っていて、事件の事は殆ど知らない。フレイヤはあまりよく分かっていないし、スティーブンは口の堅い男。メリルはアンジェラが仕える主人で、元からぺらぺらと主人の事を喋るはずもない。後はサリーの口止めさえすれば、捕まったテロリストが何を言おうが、どうとでもやりようがある。
そこまでアレクが考えていた時に、治安局の部隊を率いる指揮官が歩み寄ってきた。
「アレク様。先ほど申されていた、エースなる犯人グループのリーダーの姿が見付かりません」
「え、どういう事だ!」
アレクが驚きの声をあげる。
アンジェラの魔法によって、サイズが十分の一まで圧し潰された魔導機兵。治安局の工兵隊が、コクピットらしき場所を解体していると、中から引きずり出されたのは辛うじて息のある半死半生のトッドのみ。アレクから伝えられていた、エースの姿がなかったのだ。
「もしやすると、転移の魔導具を使ったのかも知れませんな」
指揮官の言葉に愕然とするアレク。転移の魔導具は、それこそレアな魔導具。あの状況でそんな余裕も無かったはずと思うも、用意周到なエースだったらそれもあり得るかもと思いなおす。
「ち、まずい!」
面と向かって対峙したアレクには、分かるのだ。エースは、このまま野放しにしてはいけない危険な人物だと。
だが、舌打ちと共に駆け出そうとしたアレクの腕を、指揮官の男が掴んだ。
「あ、お待ち下さい。それこそ、後は我々治安局の者の仕事。既に帝都中に手配をかけています。それよりも、アレク様は関係者を連れて、至急政庁府まで出頭せよと、本部から連絡が入っております」
「ん?」
「どうやら政庁府で、お父上がお待ちかねのようです」
「父上が?」
「はい、迎えの高速飛空挺が参るとのことです」
「……関係者とは……」
「はい、事件を目撃した者すべてかと」
「そうか……」
返事をしたアレクは目を細めて、さっきまで自分の頭を悩ませていた張本人へと視線を向けた。
その当のアンジェラは、おかれている状況が分かっているのかいないのか、『巨人の腰掛け』と呼ばれる古代魔導装置の側で、メリルとサリーの二人とにこやかに談笑していた。
その笑顔は神々しさに満ちあふれ、人を魅了せずにはいられない。まるで、光神教で語られる女神ラナイアが降臨したのかと、アレクには見えた。そして、また頭を悩ませる事となるのだ。
本当に、何か目的があって地上に遣わされた光の女神の御使いではと、アレクの脳裏にふと浮かんだからである。
――父上にも、全てを話して良いのか……。
統合元帥である父に話せば、それこそ秘密りにアンジェラの力が軍事利用されるのは目に見えていた。帝国貴族としては当たり前の行動なのかも知れない。それが分かっていても、
――もし、本当に御使いだったら……。
アンジェラがこの場にいなければ、エースたちのテロを防げたかどうかも分からない。今頃は帝城は消滅し、自分たちも命を落としていたかも知れないのだ。もう少し様子を見て、アンジェラともっと話し合ってからでも遅くは無いのではと、アレクの気持ちは揺れ動くのだった。
そのアンジェラはといえば、自分の将来にもかかわる状況とも知らず、もはや残骸ともいえる聖樹の幹へ手を触れていた。
――ふぅ、悪い影響は与えられていないようね。
負の感情は聖樹に悪い影響を与える。それは繋がる地脈にまで及び、ひいては世界にまた魔を呼び寄せる事にもなりかねない。アンジェラの転生前の聖女時代に、異界より現れた邪神が狙っていたのも、聖樹を悪意で染め上げ地脈を侵し、世界そのものを魔界に変えようとしていたのだ。それを阻んでいたのが、転生前のアンジェラだったのである。
だからこそ、この聖域では負の感情に支配される争い自体が、禁忌だったのだ。
それなのに皆を助けるため、悪意を消し去るためとはいえ、自らがその禁忌を破ってしまった。しかも、『聖地不殺の魔法陣』に流れていた魔力まで全てを使って、『結界陣反転 絶』を魔導機兵に向かって放った。
その謝罪を聖樹に語り、そして与えられたかも知れない負の影響を調べていたのだった。
「もう、ここも必要ないですわね」
「はい、お嬢さま?」
アンジェラの呟きに、メリルが素早く反応する。
「ここはもう使えないように、地脈への繋がりを遮断したのですわ」
「え〜、使えなくしたってどういうことなの!」
今度はサリーが反応して驚く。
彼女にしてみれば当然だ。さっき、目の前の古代魔導装置から産み出された、膨大な魔力を見たばかりなのだから。アンジェラには聞きたい事が山ほどあるのに、その前に肝心の古代魔導装置を使えなくしたと言うのだから、卒倒しそうになっていた。
「ここはもう、聖地では無いということですわ」
そう言うと、アンジェラの触れていた聖樹の幹から、するすると細い蔓のような物が伸びて、アンジェラの腕に絡み付いた。
「これからは、私とこの苗木が共にある場所こそが、聖地となるのです。今は、これで十分……」
アンジェラは周囲の状況から、とても聖樹を守っていくのは無理だと判断したのだ。だから今は苗木の状態に戻し、持ち運び出来る道を選んだのである。今は自分の魔力へと根を張る苗木に、時折地脈の魔素を吸わせるだけで十分と考え、いつか新たな聖地となる場所を探し出せば良いとアンジェラは思った。
「ところでメリル。今は神聖暦の何年になるのかしら。それに聖国も……」
「え、神聖暦? ……ですか――」
困惑するメリルの様子に、アンジェラも不安になる。
「――ここはカインツ帝国で、今は帝国暦の1638年ですよ」
メリルの答えに、唖然とするアンジェラ。周囲の変わりように、不思議な気はしていた。自分は一体、何年後の世界に転生したのだろうと呆然とするのだった。
これにて一章の終了です。
今週は、仕事が忙しいので少し遅れぎみになると思います。
閑話『男爵家の人々』を挟んで、第二章を始める積りですが、もしかすると来週にずれ込むかもです。
第二章予告
覚醒したアンジェラは、新たな学園生活を始めますが、
「私、過去の英雄のような最強無敵の剣士を目指しますわ!」
「あのぉ、お嬢さま。今は剣士という職業がないのですが……」
「え……」
メリルの言葉に「ガーン」と崩れ落ちるアンジェラだった。
そして、
「ふふふ、我は諦めんぞ」
復活した狂魔導科学者が、ストーカーと化す。