◇聖女様、お目覚めの時間ですよ? (2)
メリルにとってアンジェラは、自分が仕える男爵家のご令嬢。自分が側に付いていながら怪我をさせるような事があれば、どのようなお叱りを受ける事になるか分からない。だが、それだけが心配だったのではない。アンジェラとは身分も違うし、ましてや自分が仕える貴族家の娘であるのだが、そんなものを越えて心の底から心配していた。
元々メリルは赤子の時に、孤児院に引き取られ育てられる予定だった。それを、当時のモンテグロ男爵家が、少々強引な方法で横からかっさらったのである。というのも、それはまだ生まれたばかりだったアンジェラに仕えさせるためであったのだ。
アンジェラは生まれた時から、不思議な赤子だった。生まれた時には泣き声ひとつ上げることもなく、取り上げた産婆と母親を「死産か!」と、大いに慌てさせるほどだった。本来、赤子が初めてあげる産声は、絶対に必要な事。産声をあげる行為によって肺に空気を送り込み、呼吸を開始するのが通常だった。だが、アンジェラはあり得ないことに、泣くこともなく自発的に大きく息を吸い込み、通常の呼吸を開始していたのである。
しかもその後も、声は出さず身体を動かそうともしない。ただジッと、動かず寝ているだけ。泣きもせず笑いも見せず、ただただジッとしているだけなのである。そんな様子を見かねた両親が、心配のあまり多くの高名な医師たちを呼び寄せ見せるも、「健康体そのものです」と、診察した全ての医師が首を捻るばかりだった。
しかし、ただひとつ、両親を喜ばせる事があった。それは、魔力検知器で計ったところ、メーターの針が振りきれるほどの膨大な魔力が、アンジェラの中に内包されている事が判明したからである。だがそれも、医師たちが「この多すぎる魔力が原因かも知れませんな」と伝えると、たちまち意気消沈して期待を萎ませる事となった。両親は、何とかしてくれと医師たちに泣きつくも「成長と共に、ある程度は改善されていくと思われます……が、できれば何か外部から興味を引くような刺激を与え続ければ、或いは……」と、何とも頼りない返答。しかし、その言葉を信じるしかなかった両親は、そこで藁にも縋る思いで一計を案じた。『アンジェラと共に成長してくれる女の子が側で仕えてくれれば』と。その子が、アンジェラに刺激を与え続ける事を願ったのである。
そんな訳で、アンジェラと時を同じくして生まれた赤子を探すことにしたのだが……ここでひとつ問題が生じた。それは、アンジェラの膨大なまでの魔力である。共に成長するのであれば、やはりその子にも、アンジェラまでとは言わないまでも、ある程度の魔力を有しているのが望ましい。だが、人の多い帝都といえど、それなりに魔力を有する者は珍しい。ましてや、生まれたばかりの女の子との条件が付けば、更に厳しくなるのは当たり前。手を尽くして探すも中々見付からず、ようやくの事で辿り着いたのがメリルだったのである。
生まれて直ぐに事故で両親を亡くしたメリルは、光神教の教会が経営する孤児院が引き取る事になっていた。というのも、魔力持ちのメリルに目を付けた牧師が、末は光神教の司祭に育てようと考えての事だったのだ。それを、半ば脅すかのように横取りしたのがモンテグロ男爵家だったのである。もっとも、家財が傾くかと思えるほどの寄付金を、教会にはむしり取られたのだが。
そんな訳で、仕えるべき主と、その侍女としての立場の違いはあれど、男爵家において幼い頃より姉妹のように育てられたアンジェラとメリルなのであった。
しかし、その後も成長すれど、アンジェラは一切の感情を見せる事もなく、自分から動こうともしない。その瞳は焦点が合うこともなく、どこを見ているのかもよく分からない状態。放っておけば、1日中でもその場にぼぉとしたまま動かないのだ。誰もが、アンジェラの声すら聞いた事も無いのである。だが、言葉を教えると、紙が水を吸うが如くあっさりと覚えてしまう。他人が声をかけて導いてあげれば、これには素直に従うのである。
その様子は、まるで魂が抜けた後のような――だから周りからは、モンテグロ家の人形姫。或いは、ゴーレム姫と陰口を叩かれる始末なのである。
両親も最後には一縷の望みをかけて、アンジェラを名門アグラリア魔導学園へと押し込んだ。今回も、またしても強引に入学させたのだが、そこはやはり名門といわれるだけあって、入学時には学園側と激しいやりとりで揉めたのである。アンジェラひとりでは、まともに試験を受ける事すら出来ないのだから、当然といえば当然だった。だが、男爵家はそれでも諦めきれず、今度は貴族位を盾に、アンジェラの魔力の多さを強く訴えたのである。そこで学園側は渋々とではあるが、魔力検知器でその能力値を計ったのだが、驚くことに、アンジェラは学園史上でもトップクラスに入るであろう魔力値を示したのである。こうなると学園側も折れるしかない。それほどアンジェラの魔力値は魅力であったのだ。だから条件付きでは有るが、アンジェラの入学を認めたのである。
その条件とは――。
『学園に入学するだけの能力を有する者を用意し、その者にアンジェラの一切の面倒を見させる事』
これが、アンジェラ入学の条件だった。
当然の如くその者には、幼い頃よりアンジェラに仕え一緒に育ったメリルに回ってくるのが必然。そこでメリルは必死に勉強し、入学試験では上位に入る点数を叩き出すと、晴れて二人は名門アグラリア魔導学園へと入学する運びとなったのであった。
しかし、二人が入学して半年。男爵家の願いも空しく、未だアンジェラがまともに声を発する事すらなかったのである。