◇聖女様、お目覚めの時間ですよ? (18)
いつもよりちょっとだけ長いです。
それにしてもと、アレクには不思議に思う事がひとつあった。この濃密な魔力が立ち込める中で、エースと名乗ったこの男とその仲間、それどころかトッドまでもが普通に動き回っている事をだ。生徒会長に選出されたのは、身分のせいばかりではない。実力もまた学園ではトップクラスでなければいけない。アレク自身も、それだけの自負があった。だのに、今は息をするのも苦しい。だが、エースたちは平然とした顔をしているのだ。それが理解出来なかったのである。
しかしそれを解決したのは、意外にも背後から聞こえるサリーの息苦しさを含んだ声だった。
「……あいつら〜、作業服の下に……対瘴魔スーツを着ているに違いないわ〜」
サリーは、祖父の顧客の中にいる探索者から聞いた話を思い出したのだ。
そもそも魔導帝国たるカインツ帝国が発展したのは、その根幹となる魔導科学の進歩のお陰でもある。では、その魔導の基礎となる魔石、或いは魔結晶と呼ばれる鉱石はどこから産出されるのか。
それが迷宮なのである。一説には魔力が濃い地域、所謂、魔力溜まりと呼ばれる場所が、迷宮へと変化したと言われている。現在の魔導科学でも、未だ迷宮研究そのものは半ばに過ぎず、その真偽も定かではない。とにかく、魔石、魔結晶と呼ばれる鉱石は迷宮から産出されるのだが、そこには地上では見掛ける事もない妖しげな獣が跋扈し、かなりの危険が伴う場所でもあるのだ。
だからこそ帝国法に基づき、鉱石産出の労働に従事する者は重犯罪者があたる事となっていた。しかし国民の中には命知らずな者も少なからずはいるもので、一攫千金を夢見て迷宮に潜る危ない連中がいたのである。それが探索者と一般に呼ばれる人たちだった。その探索者が好んで身に着けるのが、対瘴魔スーツなのだ。
迷宮は魔力が溜まった場所が変化すると言われるだけあって、内部には濃密な魔力が漂う場所が数多く存在する。それに対抗して作成されたのが、ある程度の魔力濃度を中和する対瘴魔スーツなのである。
サリーはそれらの事を思い出して指摘したのだった。
「ほぅ、そこのお嬢ちゃんはよく知っているな。あまり一般には知られていないはずだが、さすがは学園の生徒か」
その声には少し感心した響きがあった。
しかし、アレクの方は驚きを隠せなかった。
「まさか、今の状況を想定していたのか」
「いや、ここまでとは考えていなかった――」
エースが背後に聳える光の柱に目を向ける。その際、ちらりとまたゴーレム車へ視線を走らせた。
「――だが、準備するに越したことはない。古代の魔導装置……これほどとは」
「知っててここを選んだのではないのか」
「確かに、エルロイの伝承は俺たちが産まれた土地にもあったが、今回はそこに転がる大先生のお陰だ。世間知らずの研究馬鹿を騙すのは簡単だったよ。素晴らしい研究ですと少しおだてて、先生に是非とも協力したいと告げると、簡単に食い付いてきた。だが、今回は当たりだったようだな」
そこでまた薄ら笑いを浮かべるエースだったが、突然大きな声で笑い始めた。
「もしかしてあれか。俺と長々と話をしていたのは、時間稼ぎの積りか。それとも俺と信頼関係を作り上げ、交渉を上手く運んでそこの生徒たちを少しでも助けようとでも思っていたのか。所詮は学生だな。周りからちやほやされて、自信過剰にでもなっていたか。とんだ甘ちゃんだ」
「な!」
図星だった。開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だった。完全に此方の考えを見透かされ、アレクは驚きのあまり、話しかけようとしたままの形で口があんぐりと開いてしまう。
「悪いな、時間稼ぎをしていたのは俺の方も同じだ。おっと、動くなよ」
動こうとしたアレクの機先を制し、いつの間にかエースの手元には火杖が握られていた。しかも、周りにいたエースの仲間たちも火杖を構え、その全てが生徒たちへと向けられていた。
「少しでも動けば、生徒全員の命は無いものと思え。それに、俺も魔導士の端くれ。準備をしているのがこれだけと思うなよ。お前たち生徒会が関わってくるのも想定済み。その用意も整えている。お前や、ここにいる生徒たち全員を吹き飛ばすような切り札をな」
「んな……」
全てが後手に回っていた。
エースの瞳の中には、いざとなればここにいる全員を抹殺する積もりだと、本気の気配が強烈に漂っていた。そのエースが言うからには、切り札も相当なものだと思えるほどの気配。
アレクが下手に動かないようにと、言葉のみで牽制して行動を縛る。その恐るべき手腕に舌を巻くと同時に、エースとの経験の差を痛感するアレクだった。
「さっき俺たちの目的を聞いていたな。なら教えてやろう。俺たちの目的は帝国の象徴であり、この帝都の中心部にある帝城の破壊、いや消滅だ!」
「な、なに……馬鹿な。そんな事が出来るはずがない」
「出来るさ。これだけの魔力があれば」
エースがにやりと笑って、背後の光の柱を指差した。
「……本気か」
「あぁ、本気だとも。しかし、これだけの魔力があれば、帝城どころかこの帝都すら吹き飛ぶかも知れんな」
「な……そんな事をすると、お前たちも無事ですまない」
「それは元より覚悟の上。俺たちは決死隊だからな。この帝都に混乱をもたらせば、各地で同志たちも決起する手はず。そして帝国を打倒する」
帝国は広大な版図を持つ強国。例えどのような事があろうと、それは揺るぎようの無いものだとアレクは思っていた。だが、エースの背後で迸る光の柱を見てからは、その自信も揺らぎ始めていた。
「どうやら準備は整ったようだ。そこで大人しく見ていろ。帝城が消滅する瞬間を」
エースが右手を上げて、仲間たちへと合図を送る。すると――傍らに止められていたのは、かなり大型のゴーレム車。実験に必要な機材を積んできたと思われていたが、運んできたのはそれら機材類だけではなかった。
大型ゴーレム車の上部が、ギリギリと金属音を響かせ左右に割れていく。そこから現れたのは――合金製だと思われる滑らかな銀色の姿形。人の姿には似ているものの、高さも大きさも数倍。現れたのはまさしく巨人だった。
「魔導機兵! そ、そんなものまで……」
「帝国が誇る決戦魔導兵器……俺たちはこいつを闇ルートで手に入れたんだよ。どうだ、自ら開発した兵器で攻撃される気分は」
「…………」
にやつくエースに、アレクは言葉を失うしかない。
魔導機兵とは、軍用対地殲滅用の決戦魔導兵器。動力源こそゴーレム機関を採用しているものの、通常のゴーレムとは明らかに違う。外装には、アダマンタイト等の各種魔鋼を組み合わせた合金が用いられ、硬く尚且つしなやかさを失わない硬質外骨格を纏い、防御力にも極めて優れていた。しかも、その表面には対魔法、対物理障壁に包まれ、武装にも魔導ブレード等の各属性に対応した兵装が常備されていた。そして、最も通常ゴーレムと異なるのは、魔導機兵の内部に人が乗り込み運用する点であった。これにより、人、いやそれ以上にスムーズかつ滑らかな動きが再現され、その速さも通常ゴーレムとは明らかに違うものとなっていた。
魔導機兵は、帝国が決戦兵器と呼ぶに相応しいものだったのだ。
更に驚くのは、エースたちがこの場に持ち込んだ魔導機兵には、その背中に黒々とした大きな砲身が備え付けられていた事だ。
「魔導砲までも……」
魔導砲もまた帝国が、他国との決戦用にと開発された兵器のひとつである。
軍事用兵装の開発を主に行う工房等が、火杖の苛烈となる開発競争の最中に、その延長上として産み出されたのが魔導砲。そもそもが火杖は、治安局の人間や、一部の犯罪組織の者などが隠し持っていたりするが、正式名称は汎用型自動速射式魔杖である。中には突撃型や狙撃型等もあるが、世間一般で火杖とだけ手軽に呼び習わされているのは、この汎用型なのである。火属性魔力の詰まった火弾をカートリッジ式で短杖に嵌め込み、魔導士でなくても誰もが簡単に火弾を射出する事が出来るようにしたのが火杖なのだ。
その発展形武装が魔導砲。技術云々を省略して分かりやすく言えば、火杖を単純に大きくしたのが魔導砲なのである。しかし、本体が大きくなれば、発射される火弾も大きくなるのも必然。更に、火弾に利用する魔石を、結晶化の進んだ質の良いものに変えれば、詰め込める魔力の数値もはね上がる。過去には、山ひとつを吹き飛ばしたとの記録も残されているのだ。
まさに、魔導砲もまた、決戦兵器と呼ぶに相応しいものだった。
「さて、帝城の周囲には帝国の魔導技術の粋を集めた障壁が張り巡らされていると聞くが、果たして後ろで溢れ出ている魔力を込められた魔導砲に、どこまで耐えれるかな」
エースが、さも楽し気に愉悦混じりの笑いを発する。
「ば、馬鹿な……」
事の重大さに唖然となるアレク。だが直ぐに、これはとても容認できるものではないと、一瞬で決断する。もはや生徒たち全員が犠牲になろうと、自分の命すら落とす事になったとしても、この暴挙を必ず止めねばならないと。
だが、それもエースは想定してアレクと会話をしていたのだ。
アレクが、自分の魔法特性を解放するため鍵となる言葉を唱えようと――それを見越したエースの瞳がギラリと光る。
一触即発。両者が同時に動こうとした、まさにその時だった。
「あぁ、お嬢さまぁ!」
アレクの背後にいたはずのメリルが叫んでいた。
その声が、アレクとエース両者の、覚悟や決意などといった想いを背負って動こうとした、気組みそのものを外してしまっていた。
一瞬で、膨れ上がっていた両者の闘気が萎む。
そして、それは一瞬の隙でもあった。
エースの仲間も、よく訓練のされた過激派組織の闘士。それでも膨れ上がる両者の闘気に、嫌でも注目してしまう。いや、訓練されていたからこそ闘気に反応したともいえる。
だから、この場にいる全ての者――アレクやエースは勿論、エースの仲間たちもサリーとメリルも二人に注目していたのだ。
そんな状況の中で、突然に繋いでいたメリルの手を振り払い、アンジェラが自らの意思で動き出したのである。
メリルの声に、皆の視線が動く。しかし、皆が気付いた時には、アンジェラが『巨人の腰掛け』の前に据えられていた魔結晶に向かってスタスタと歩き、その手を伸ばし触れようとしていたのだ。
「女ぁ、何をする積もりだぁ! 射てぇ! 射て射てぇ!」
エースの感情を露にした声が響き渡る。
火杖から吐き出されるのは、白煙を巻いた数十の火弾。
「させるかぁ! 爆炎装身!」
アレクが言葉を唱えると、全身が燃え盛る炎に包まれた。これこそが、炎を操るアレクの魔法特性。その属性を生かし、火弾の射線上に体を割り込ませ、アンジェラを守ろうとする。
しかし、宙を飛ぶように翔るも、アレクが間に合うはずもない。火弾は既に、発射されているのだから。
たちまち白煙に包まれるアンジェラ。
「お嬢さまぁ……!」
メリルの声が、辺りに空しく響き渡る。
と、次の瞬間。
突然に全てが光に包まれた。この場にいる者全てが、生徒もアレクたちもエースたちも、眩いばかりの輝きに包まれた。余りの眩しさに、皆の視界が塞がる。
「おぉ、な、何が!」
皆が一斉に驚きの声をあげる。が、光に包まれたのは数瞬の間だけだった。
そして、皆の視界が戻った時、視線の先にいたのは――。
「やったわ! ついに表に出れたのよ! 私は成功したのよ!」
皆が唖然とする中で、場違いな、鈴を転がしたような涼しげな声が響き渡る。
「私の英雄譚は、今これから始まるのですわ!」
周囲の重々しい雰囲気を振り払う、パッと華やいだ満面の笑顔で、アンジェラが高らかに宣言していた。